ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00503_できることをするしかない

何かと騒がしい日々ではありますが、それでもできることをするしかない。

これは日常でも同じことですが。

「何かできることはないか」と考えることはもちろんある程度必要なんだろうけど、そればかり考えていて他をおろそかにしたり、「これならできそう」と思ったことをやれなかったり、やってることを続けられなかったり。

 

日々是実践。

机上で考えるだけじゃなくて、考えたことをやらないといけない。

やったこと、現実にあったことから考えを始める。

良いこと、悪いことの原因を考える。

それを次につなげる。忘れない。

次に「こうしよう」と決めたことができなかったとき、どうしてそれが出来なかったのかを考える。

 

考える、もそれだけだと見えづらい。

紙に書く。PCでまとめる。言語化

00502_インターネットポエム

仕事も趣味も続かない。

すぐに飽きて投げ出したくなる。つらいことからすぐ逃げる。

そんな自分のルーツというか、変わらないものって何だろう。

そういう話をしたときに「インターネットポエム」と言うものが出てきました。


今では廃れたSNSで思ったことを書いたり、大学時代に文学的なことを勉強していたり、作詞をしたりブログを書いたり。Twitterも含まれるかな。


他の人から見たら恥ずかしいようなポエム(笑)を、もう十六年以上書いている。

笑われるのは恥ずかしい。

そして、他人が笑うのを止めることはできない。


笑われてもいい、と思うように心を整えること。

笑われないくらいよいものを書くこと。


見ていて痛いものでも、突き抜ければ価値が出るんじゃないか。

インターネットにポエムを流したがる自分の性質はなかなか変わらないと思う。

そんな自分を否定せずに生きていきたい。

00501_幼稚

自分が幼稚だと思う。

なぜだろう。

嫌なことをやりたくないといって逃げてしまうところとか。

自分本位で人のことを考えられていないところとか。

 

もっとしっかりしなきゃと思う。

具体的にどういうことなんだろう。

もう十分できているところをさらに緊張させて、手を付けるべきところは結局手つかず、そんな風になっている気がする。

手を付けられないところにはそれなりに理由があるわけで。

でも理由をつけて言い訳しているところが幼稚だと、そういう話。

 

00500_社交

社交ができるようになりたい。

もうちょっと具体的に。

調整だけじゃなくて主張。
協同。

社交に伴う心理的負荷を下げたい。

「楽をしようとするな」とも言われそう。

別に負荷を負うからえらいという訳でもない。

わりと出来てるとも思う。
苦手なのは「自分から声をかけること」「反論」「疑問を持つこと」とか、そう言うところ。
仕事柄なのか、純度100%の受容でなければいけないような思い込みがあるかもしれない。
だから一対一だとそこまで負荷ないけど、関わる人が増えると等比級数的に負荷が増すとか。

んー、そんなに主張してないわけでもないのでは、とも思ってきた。
なんで「不燃感」こんなに高いんだろな。
思っていることとは逆のこと言ったりするからか。でも人間ある程度は誰しもやるわけでさ。だから人間誰しも不燃感あるんだよ。筋は通るけど解決せんよねそれ。

なぜ主張しないのか、は反論が怖いからでしょう。なぜ反論が怖いのか。わからない。症状は? 答えなければならない緊張。相手にわかってもらわなければならないというプレッシャー、敵意を想像すること。

意見が別れそうなことについてはそもそも話題にしない。意図的に逸らすなどしてしまう。先送り。きつい。

調和を志向するせいで建前ばかりになり、かえって調和しきれない、緊張感がぬぐえない。そういう感じ。何からしたらいいのか。

分かり合えないと諦めること。
別に納得させなくてもいいと開き直ること。
辛かったこと反芻しすぎるのやめよう。

自分が痛いこととかされた嫌なこととかばかり見てるけど、控えめに見ても同じくらい人に嫌なことをしている。プレッシャーをかけている。辛すぎると、そういう部分で盲目になってしまう。

ちゃんと人と付き合う余裕を持つこと。
そこから社交を始めれば良いと思う。

00499_反射神経

反射神経で生きてる、と最近よく言うようになりました。

その場その場の風向きに合わせて動く。

右と言われれば右。

左と言われれば左。

 

それまで積み上げたものとか、確たるものとか、そういうのがあまりない。

 

今までこんなことで失敗してきたじゃないか、と言うようなこと。

痛みが残っていて、それゆえに戸惑ったりしてしまうこともあるんだけど。

「この問題が解決されたから大丈夫!」というような、

建設的、論理的な思考ができていないと思う。

 

どこまでも感情的だなと思う。

もっと合理的、論理的に行動できるようになりたい。

効率的とも言うべきか。

 

合理的、という話と、確たるもの、という話は矛盾もある気がする。

矛盾と言うか、別の次元の話なのかな。

 

どう生きていくのか。

いい歳してそんなことで悩んでいる気がする。

ポエムはやめて、早く建設的なことを始めろよ。

そんな声もする。

動かねばな。

00498_ちょっといいコーヒー

ちょっと良いコーヒーを買いました。

ドリップするやつ。普段はスティックタイプのやつだけど。

今までのが一杯18円くらいなのに対し、ドリップの方は一杯50円くらい。

2倍以上のお値段です。

 

やっぱりね、おいしい。

香りがいいんですよ。

ぜいたく。本当にぜいたく。

 

そこでポッと出てきたのが「このコーヒーを毎日飲みたいか?」という問い。

んーどうだろう。

ぜいたくなものは、たまにだからいい。

毎日飲んでいたらありがたみが薄まってしまう。

 

そっちの方が、親近感のある結論でした。

 

「もっと良いコーヒーもあるんだし、どんどん好きなもの飲もうよ」

と言うような思いも浮かんできますが、どうかなぁ。

「もっと追究しろよ。そんなんだからおまえは中途半端なんだよ」

そんな声もあるけど、あんまり強くないので、今日はそんなに体調が悪くないんだろう。

 

いずれにせよ、ささいな幸せを大切にしたいものです。

今日もコーヒーがおいしい。

 

00497_からっぽ

そんなタイトルの唄があったなぁと。からっぽ。

 

表現したいものがないのに、表現したいという矛盾。

表現することに焦がれている。

「何を?」と聞かれてもとくに何もない。

何年か前、とある新書の帯に

 

「オレはやるぜ」

「何を?」

「何かを」

 

というやり取りが書いてあったことを思い出す。

結局何もしたくないんだろうなと思う。

 

夢を描くことのおいしい部分だけを啜っているよう。

結局「何も成し遂げることができなかった」という空虚を将来的に感じることになる。

それが代償。

夢を見るだけ見て何もしなかった、甘い部分ばかり食べた代償。

 

すべきことはあれで、これで、と明確になっているのに。

一つもやりはしない。

そんな現実から逃避して、夢のおいしい部分だけをすする。

具体的な努力をしない。逃げてばかり。

 

そろそろからっぽを実感しなければならないとき。

でも多分もう遅い。

積み重ねたものがある人とからっぽの人。

差はもう埋められるようなものではない程度になっている。

 

今からでも積み重ねるしかない。

そんなに高くは積みあがらないかもしれないけど。

からっぽに耐えられないなら。

下手でも積んでいくしかない。