ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00412_眠れない問題

いや、全く眠れてないわけじゃないんですよ。

6時間は寝てるので、もしかしたらもっと少ない人も多いかもしれない。

 

でも、でもですね。睡眠が大好きな私としては、中途覚醒なく7.5~8時間ぐっすり眠り、朝ぱっちり目覚めたいという気持ちがあるわけなんですね。

最近日中眠く感じるし。夜中に目が覚めることがあります。ほぼ毎日だな。

日中の眠気と朝の疲労感をなんとかしたい。

 

しかしなぁ、筋トレは欠かしたくないし、出来れば夜もある程度活動したい。

23時になったらスコンと眠りに落ちて、翌朝6:30までぐっすり眠って、ぱっちりおはよー!と目覚める、そんな睡眠ライフにあこがれます。

中途覚醒も3時4時だと「もうちょい寝るか」ってなるんですけど、5時くらいになると起きるか寝るか迷いますね。

 

寝不足だけが原因かわからないんですけど、しんどみを感じることがちょこちょこあります。

いや、置かれている環境はかなり恵まれているはずなんだ。それでもしんどみを感じるというのは贅沢だ、という話でもあるんだけど。

「そんなに恵まれているのに愚痴を言うなんて贅沢だ!」と指差されるのが嫌、とかいう謎のストレスが発生しています。

具体的に誰かに言われたわけでもないのに、そんな風に罵ってくる人の声がリアルに想像されてしまう。被害妄想だよなぁ、嫌だなぁ。

せめて「実際に言われていないことは気にしない」くらいの度量は持ちたい。

00411_先人の知恵

先人の知恵は偉大だなと思う今日この頃。

 

「悩みがあるときは身体を動かせ」という先人からの知恵。

だいぶ前から本で読んで知っていた考え方ですし、ネット上でも同様の言説を見ていたんですが、

 

「いや、身体を動かせないから悩んでるんだよ」とか

「身体動かしても悩みの原因解決しないじゃん」とか

色々考えて否定的な立場でおりました。

 

実際、身体を動かすどころではない人にとっては無理な話だと思います。

決して万能な解決策ではない。

 

しかし、昨日の夜私を蝕んでいた鬱屈とした気分を断ち切ってくれたのは筋トレでありジョギングでした。行くまでは「筋トレ行かなきゃ」と鬱屈してたんだけどな。行ってしまえばすっきりするんだ。

「面倒くさいことはさっさとすませるべき」ということも先人の知恵ですね。

 

先人の言うことを素直に聞けるか、というのは結構大事なことです。

時代の変化で変わるものも多いけど、変わらないこともあるわけだし。

あと、言っていることを正確に理解するということも思いのほか難しい。

先人がAと言ったときに、そこには無数の前提が隠されていて、その前提を踏まえずにAを実行しようとしても、頓珍漢なことをしてしまう可能性があります。

 

「悩んでるときは身体を動かせ」だって、「動かせないほど体調が悪い時でもそれでも動かせ」ではないと思うんだよな。

「できる範囲で少しずつ動かせ」くらいだと思うし「筋トレとかでなくても散歩でOK」くらいだとも思うんです。

 

そういえば、散歩はとても良いストレス解消になると最近気づきました。

自分に役立つストレスコーピングを増やしていきたい。

00410_言えないこと

誰にでも、他人には言えないことがあるのかなと思います。

いやもう私なんか他人に言えないことばっかなんですけど、皆様はいかがでしょうか。

まぁ、ありますよね。きっとある。それを話すのにはエネルギーがかかりすぎる、みたいな話、きっとあると思うんですよ。

 

何でもかんでも話せばいいというわけでもないと思います。

「こんな話したら嫌われるかもしれない」みたいなエピソード、ある程度みんな持ってるんじゃないかと思うんですよ。

良く考えたら、色んな人の「他人には言えないこと」を聞いてきたなと思うのです。

 

あなたにだから話せる、まだ他の人には言えていないんだけど。

そんな前置きを頂いたことも、何度かある。

 

すごく神妙に口を開いた友人から出てきた言葉が、拍子抜けするほどありふれたエピソードだったこともありました。

でもそれはきっと、私の受け止め方が違ったんだろうなと思う。

シンプルな表現の背景にきっと想像を超えるような過去があったんだろうと思う。

きっと相手もこちらに分かりやすいようにありふれたエピソードに乗せてくれたんだろう。そういう意味では相手との信頼関係がまだ足りなかったのかもしれないと思う。

 

辛い話をする相手としては、私は少し硬すぎるのかもしれない。

けろっと笑って「実は昔こんなことがあってさ~」と口にして、精神を浄化していく、そういう話し相手になれたらなぁと思うこともある。

 

もっと気楽に話したいと思う反面、気楽に話せない人の話し相手にこそ自分はなりたいのではないか、みたいな思いもある。

私にだから話せない人もいれば、私だから話せた人もいると思う。

 

他人に言えないことをうまく共有していける人間になりたいものです。

00409_偏っていく覚悟

主張をする、と言うことは、一方に寄る、立場をとるということだと思います。

反対の相手ができたり、考え方ができたりする。

必然的に対立を生じさせる。

「あっちもいいしこっちもいい」みたいな態度だと、強い主張はできない。

 

もっと主張したいと思う。

それはもっと対立を生むということと同じだと思う。

対立をするほどの覚悟がないから主張ができない。

誰かから非難されることを受け容れないと主張ができない。

「誰からも非難されたくない」という人は、対立の中に身を投じることができない。

私もそんな風に、もう長いことふわふわとしてきた。

ふわふわしてきたはずなのに、結構対立にも巻き込まれてしまってきた。

 

認めなきゃいかんのだ。

仲良くばかり生きていけない。社会の中を現実的に生きていかなきゃいけない。

言うべきことは言わないといけない。

 

信念とか、倫理とか。

自分がどうしたいか、ということがはっきりしているなら。

それを伝えて実践していくのが良いんじゃないかなと思う。

00408_言語化

言語化についてちょっと考えてみたいと思います。

言い換えれば言葉にすることですよね。

学生時代、「言葉にする」ということを恐れていたことがありました。

自分の欠点を認めることが嫌だった時、それについてとても悩んでいたのに、言葉にして書き出したり、相談したりすることがとても恐かったのです。

「こんなことで悩んでいる」ということを言ってしまうと、自分が悩んでいることを認めてしまうというか、「あぁこいつそんなことで悩んでるんだ」と軽んじられそうだとか、「どうせ言ったってなにも解決しないだろうな」という無気力感もあったりとか。

 

なので、言語化するには勇気も必要なんだと思います。

今の自分を認める勇気。できないことを認める勇気。

これってすごく大変だ。いまだに私は「頑張ればできるのではないか」という淡い期待を抱きすぎてしまい、結局何もできないという悪循環を繰り返してしまっています。

 

思えば「恐い」という気持ちが及ぼす影響、私にとってとても強いなと思います。

失うのが恐い、手放すのが怖い、失敗するのが怖い、取り返しがつかなくなるのが怖い。

恐がりすぎだと思います、自分でも。

もっとあっけらかんとしたい。変なところ楽観的過ぎる部分もあるからその辺うまく調整したい。

 

「恐い」「面倒くさい」を何とかコントロールできるようになりたいなぁ。

行動にブレーキをかける感情、大きくはこの二つなんだよな。

乗り越えていきたいところです。

 

00407_専門

専門家にあこがれる話。

何度ももうしてきたかもしれませんが。

一つのことを深めていく、というのがどうにも苦手です。

どんなに面白そう、興味深いと思っていても、長時間続けられない。

長期間思い続けられない。

気持ちの変わりやすさ、っていうのは結構悩みとして書いてる回数が多い気がするな。

 

何にも極められていないな、という。

極めるっていうのはきっと大変なことなんだなと、ぼんやりと思う。

ぼーっと生きてんじゃねぇよ、と頭の中で声がする。

うーん。

「無理をしないで生きる」という方針の限界点が、この辺りにある気がする。

 

悩み続ける、ということへの耐性があんまりないな、とも思う。

ちゃんと考えて決断する、って全然やってこなかったなぁ。

なんか決めたことも揺らぎがちだし。もっとシャンとしたい。

良く生きるためには緊張感が必要なんだ。最近良く思う。

気楽にするだけじゃ、気楽になれないというか。

ほどよい緊張感がないとできることが著しく減る。

やらされるからできる、っていうのは結構ある。

 

やるべきことをしっかりやろう。

00406_方法論

方法論を確立させたいという思いが色々なジャンルにおいてあります。

例えば文章書き。例えばコミュニケーション。例えば作曲。例えば勉強。

「あ、これをやればいいのね。準備するものはこれで、手順としてはあーしてこーしてこう!」

みたいな見通しをバシッと立てられるようになりたい。

文章もコミュニケーションも作曲も勉強も、とにかくふにゃふにゃと取り掛かって何となくやっているうちに成功or失敗(多くの挫折含む)になっております。

 

確立、ちょっと具体化すれば言語化、かしら。

自分がやってることの言語化、全然しないでここまできたなぁ。

「とにかくやれ! 時間を掛けろ! 金を惜しむな!」

くらいしかない。

なんでこう、こういう時の口調が昭和のラーメン屋のおやじなんだろう。

自分を罵ってくるときのJKと言い、なんかこうキャラが画一的だし、造形が甘い気がするな。

 

それはさておき。

方法論の所に話をもどして。自分はいつもどんなふうにブログを書いているかなぁと思い出してみます。

このブログの文章は本当に一筆書きというか、勢いに任せて書いてます。

推敲もしない。書いたらすぐ公開する。

話がそれるのは大いに結構としている。

最初にタイトルを決めて、それについて書いては見るけれど、割と早い段階で全然別の話になってしまう。正しい文章と言うか、どこかに掲載するような文章ではまずいけど、ここのブログならいいか、みたいな感覚。

 

ある意味、文章を書いているというより、独り言をつぶやいていると言う方がしっくりくるかもしれない。本当は誰かとしゃべっていると書きたかったけど、一人だしな。脳内の人との会話とか言い出すといよいよ統合失調してる感じがはなはだしくなってくるな。

 

本当に、無を考えて無をタイピングするようなブログ記事ですけど、なぜだか心の健康に寄与している実感があります。無でもいいからアウトプットすべきなんだな。ネットとかメディアとかの意図的な情報収集でなくとも、われわれ日常の中で無限に近い情報をインプットしているわけで。バランスをとるためには書き出したり人と話したりするのってとても大事なんだよな。

いや、本当にアウトプット大事で、私が前の職場で病んだのはコミュニケーションが圧倒的に不足していた、と言うのが大きな原因だと思っている。だって事務的な話しかできなかったし、冗談話とかまったくできなかったし、上司に話しかけるの苦痛で10分とか「どうしようどう伝えよう……」って頭の中がぐるぐるしていて、そりゃあ発狂もするわ、という感じでした。そういう状況に自分を追い込んだ原因は私自身にも多分に責任があるのでそこはもう猛烈に反省すべき点なのですが。コミュニケーションが枯渇して社会的に閉ざされると人間本当につらい。そりゃ死にたくもなるわ。

 

なので、これからは積極的に人と関わっていきたい。外へ出ていきたい。調和を大事にしたい。

これはこれで「どこまで自己主張するか」「自分を押し殺しすぎないか」という所ともつながっていくんだけれど。日々実践ですな。現在、現実の最先端で試行錯誤するしかないのな。