ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00179_思い通りにならない

自分が計画的にしないせいで、周りの人に迷惑をかけてしまうことがよくあります。
行き当たりばったりで好きなことばかりしてしまう。
嫌なことは理由をつけて先延ばしにしてしまう。

自分でも、どうしてこんなに辛くて、どうしてこんなにできないのか、どうしてこんなに抵抗感が強いのか、分からない。自分でも。

甘えと言えば甘えですよね。
「うつは甘え」「障害は甘え」という言い方さえある状況で、
うつの診断も障害の診断ももらっていない自分が言うことなんて甘え以外の何物でもありません。

計画を立てても、途中で計画の粗が見つかって悩むのです。
計画を破れば「また計画通りにできなかった」と悩むし、
計画を守れば「こんな理不尽なやり方を続けるなんて、遠回りしてるな」と悩みます。
どちらに転んでも悩みは消えない。

自分で基準が持てないので、考えも行動も支離滅裂になります。
さっきの計画の話だって、気分が違えば
「理不尽な計画を途中で辞められた。成長が近づいた」とか
「理不尽なやり方でも続けられる継続力が身についた。いいよいいよ」とか。
全く別の考え方をとても説得力あるものとして受け止めます。
こんなときはどちらに転んでも悩まない。

こんなに思い通りにならない自分、計画の立て方を見直して、自分のことをもっと冷静にみなきゃいけないなと思います。
自分は、そんなになんでもできる人間じゃない。
あれもこれもしようとしすぎないようにします。

とりあえず、7時間半眠ることだけを目標に今日も生きます。

00178_「死んではいけません」側の人間になるということ

どうしても、センセーショナルなことばかり言いたくなってしまう。

実際の自分はそんなことないのに。

 

色々なことを考え出して、まともな文章に出来ない気がしてきました。

 

めんへらは生きづらい。

でも、きっと「ふつう」にはなれない。

ふつうのふりをしてめんへらと関わり続けるめんへら。

 

「めんへら」か「ふつう」か。

そんなことにこだわりすぎる人は、「ふつう」にはなれない。

別に「ふつう」がそんなに偉いわけじゃない。

 

ぐるぐる考えすぎて、だんだん「ふつう」と「めんへら」の違いがよく分からなくなってきました。

そのまま、この二者択一へのこだわりをうまく捨てられたら。

「ふつう」になれるかもしれませんね。

 

「死んではいけません」は、「死ぬこと」を否定している言葉なんだけど。

まず前提として、言われた側は「死にたい」と思ったり言ったりしているはずなんですよね。

で、言われた側は「死ぬことが否定された」ではなくて、「自分が否定された」と思ってしまうんじゃないかと。

だから余計に辛くなってしまうんじゃないかと。

否定されてばかりの世の中で、苦しみぬいた末の結論ですら否定されるなんて、やっぱり死ぬしかなくない? なんて、思ってしまうんじゃないかと。

 

だからといって「死んでもいいよ」と言われたいかというと。

それは、「言われた側の肯定」になるかもしれないけど、同時に「死の肯定」にもなってしまう。

言う側は、それはしたくないわけで。

 

矛盾の解決として思い浮かんだのは

 

A「死にたい」

B「どうして死にたいの?」

A「怒られたくない、未来が暗い……etc」

B「なるほどね」

A「だから、死にたいの」

B「怒られなくなれば、死ななくても大丈夫じゃない?」

 

みたいに話をそらしていくこと。

 

死でなければ解決できない問題って、「生きることが辛いから」くらいのものでない限り、他の方法で解決できるんじゃないかな、って思います。

 

大きな欠点が2つあって「現実的に取れる解決策は限られる」「生きることはほぼ確実に辛い」なんですが、とりあえずおいておきましょう。

 

死にたい人を否定せずに、彼ら彼女らが生きることのできる方法を見つけたいです。

そうすることができれば、自分が「ふつう」になれる気がします。

贖罪にも、きっとなります。

00177_辛くても

最近辛いことが多いです。

主に仕事。

たまにプライベート。

 

どちらも「長すぎる視野」で考えて不安になる気がします。

 

また失敗してしまった。本当に自分はこの仕事をしていて良いんだろうか。

 

毎日ぐだぐだと過ごしていて、このままじゃダメな人間になっちゃう。

 

などというような。

 

その度に「やりたくて始めたことだしがんばろう」「向いてなくても努力すればやり方覚えられるよ」と自分に言い聞かせるのですが、それでも不安は取り除けない。

 

それでも、辛くても、やっていかなきゃなぁ。

遠い未来のことでなく、目先のやるべきことをやろう。

00176_ねがぃてぶ

ネガティブと打とうとして、ねがぃてぶと打ってしまいました。

ミスタイプをそのままタイトルとして採用していくスタイル。

また、「打とうとして」と打とうとしたときに「ウトウトして」と出たこともネタにします。

上の「打とうとしたときに」も同様。

 

最初から全く関係のない話ばかりしてしまいましたが。

今少しネガティブになってしまっています。

 

失敗してばかりだ。やっぱり自分は人と違うのだ。

いずれ仕事を失って、どこにも雇ってもらえなくなって、また発狂したり餓死したりしてしまうのではないか。

そんな考え方が頭を巡ります。

 

できなかったことより、出来たこと。

遠い未来のことより、今目の前のこと。

 

そういうことが、頭では分かっているつもりなのです。

それでも、考え方は変わらない。

 

もう少し正確に言うと、「そうだよね! まずは目の前のことだよね!」と考えられる精神状態のときもあれば、

「いや、そんな気分にはなれないんですよ……何も出来ない……」

になってしまうときもあって。難しいのです。その辺が。

 

やり過ごすしかないです。また次ぽじぃてぶになれるときを静かに待ちます。

00175_わりふり

ごぶさたしてます。なんとかやっています。
最近ツイッターの方もネガティブなことばかり増えてるような気がします。

なにかを頑張るということは、ほかの何かを頑張らないということのように思います。
自分にできることも、できる時間もかぎられているなかで、
全部をやろうとすれば、なかなか全てはできないものです。

二兎追うものは一兎も得ず、と昔の人は言っていて、
それでも自分は「二兎追うものだけが二兎を得る」という言い方の方が好きでした。

そういう風に、うまい言い回しにふりまわされるから、大切なことを見逃してしまうのかなぁ、なんて思います。

やりたいことのわりふりをしようと思います。

これはがんばろう、これはちょっとあきらめよう、これは今はしないけどあっちが片付いたらやろう。

みたいな。
大丈夫、明日以降もがんばれるから、長い目で見て考えられるんだよ。
大丈夫だ。

00174_大丈夫

統合失調症になって、意外と「大丈夫」だと思いました。

 

もともと予備知識もあまりなく発症したので、無駄な偏見が無かったのも良かったかもしれません。

 

当時はひどかったけど、数週間で一旦正気を取り戻せたし。

 

何だかんだで元気を取り戻せたし。

 

失ったものが大きい代わりに、得たものも大きくありました。

そこで得たものがなければ、今の私はいないと思います。

 

きっとこれからも大丈夫なのだと思いたいのです。

さすがにこれ以上キツイことはないだろう、と。

実際は多分出てくるんですが。

 

今まで守ろうとしていたたくさんのものを失っても、案外「大丈夫」なんです。

 

健康を失っても、案外大丈夫。

仕事を失っても、案外大丈夫。

好きな人に嫌われても、案外大丈夫。

親族が自殺しても、哀しいくらい案外大丈夫。

 

きっとこれから正気を失っても、案外大丈夫なんでしょう。

もちろん理性を保つ努力はしていくのですが。

 

自傷他害の疑いがあれば、きっと誰かが「疑い」の段階で医療保護入院につなげてくれるはず。

大きな事件を起こす前に、措置入院にしてくれるはず。

入院して保護室に入っても、悪いようにはならないはず。

どこかで力尽きても、悪い最期じゃないはず。

 

だから、大丈夫なんだ。

失ったら耐えられないものなんて、きっとそうそうないのです。

 

死んじゃダメだけど、生きなきゃいけないってわけじゃない。

ぽよんぽよんと、あいまいなところを浮かんでいるのでも、きっと大丈夫なのだ。

00173_変わらないもの

変わらないものを見ると安心しますね。

 

変わらないものを見ると、自分のものの見方が変わっていることを感じます。

 

同じ音楽を聴いても、その時によって感じることが変わります。

 

ある時はゆっくりに感じたり。

 

ある時は遅く感じたり。

 

ある時はドラマティックに感じたり。

 

ある時はそっけなく感じたり。

 

感覚が変わるのは、音楽が変わったからではなく、自分の聞き方が変わったのだと考えます。

 

歳を取って聴力が落ちてるのかも、

 

歳を取って音楽の意味を考えるようになったのかも、

 

色々経験を積むことで音色の違いが分かるようになってきたのかも。

 

今日は興奮してるから音楽が遅く感じるのかも。

 

などなど。

 

ずっと聞き続けている音楽は、そういう意味でとても良い鏡です。

 

変わらずに自分を映し出して、見られるようにしてくれることが、とても素晴らしい。