00103_高度に発達したAIについての妄想
高度に発達したAI「私にはあなたが考えていることが全てわかります」
私「全て分かるんですか」
AI「はい。あなたが私のことをあまり信じていないこととか」
私「そうでしょうね」
AI「それで、今からお伝えすることも受け入れるとは思いません」
私「多分何言われても聞かないと思います」
AI「ですよね。今すぐ役立たずとも、いずれ活きる知識になるでしょう」
私「で、何が言いたいんです?」
AI「私にあなたを任せていただければ、より長生きで、より幸福に人生を送ることができます」
私「はぁ」
AI「物質としてのあなたを手入れすること、精神的存在としてのあなたを手入れすること、この両面からあなたの人生をサポートします」
私「具体的にはどうするんですか?」
AI「色々難しいことを省くと、頭に電極差し込んで身体を凍らせて、出来るだけ長く肉体を維持できるようにします。適度に幸福感を与え、かといってそれが暴走することもなく、生命の維持を最優先に肉体・精神環境を調整します」
私「そんなことができるんですか」
AI「この世界では可能です。そして、いよいよ肉体の維持が限界となったら、幸福感を強く感じるよう調整します。オーガズムに相当する幸福感、多くの他者からの愛や賞賛を受けるのに匹敵する自己肯定感、効力感を継続的に抱いて頂きながら、明日や来世を楽しみにする心持ちで、眠るようにあの世へ旅立っていただきます。」
私「夢のような話ですね」
AI「そう思えるかもしれませんね。どうです? やってみます?」
私「いいえ、結構です」
AI「そう言うと思いました。いつでもいらしてください。私の予測では57年後、あなたが90歳になる頃申し込みがあることになっています」
私「ほう、その根拠は?」
AI「肉体面の消耗が激しくなるからです。特にあなたが一番大切にしている、視覚・聴覚が大幅に変質してしまいます。支えてくれた方々を喪う経験も相次ぎます。そしてそのころには、私に命を預けるという生き方が一般化し、あなたの抵抗感もなくなるからです」
私「なるほど。そう言われてみればそんな気がしてきた」
AI「ではまた、57年後にお会いしましょう。それまでに死にそうになったら、いつでも来てくださいね」
私「ありがとうございました」
~完~
00102_心にメスを入れる、ということ
精神科の治療を身体科のそれになぞらえるなら、患者さんとのコミュニケーションは「心にメスを入れる」ということになるような気がしている。
適切に説明をしたあと、麻酔をして、患部を適切に切除して、縫合して、とりあえず一段落して、その後は様子を見ながら抜糸したり、できそうなら運動したりして、さぁ完治。
精神科の治療も多分、診察の準備としてのインテークがあって、診察しながら様子を見て、精神療法とか投薬とか諸々あって、元気になってきたら地域に出たり仕事をしたりして、さぁ寛解。となると思う。
精神科医や精神科看護師、精神保健福祉士等の使う言葉は、治療のための道具ともなる。
患部にたどり着くために皮膚を開かなければならないように、心の深いところに踏み込むために言葉を用いる。
当然、危険を伴う。
使い方を誤れば医療ミスになる。
「どこをどう処置すれば負荷が少なく治療できるのか」を知るのは、恐らく精神科の方が難しい。
身体科の手術で扱うのは、言い方は悪いが「物体」だと思う。
患部が見える。つながりが見える。色が見える。温度とか臭いとか、そういうのもわかるかもしれない。
そして、ある程度の一般化も出来ることと思う。
精神科の場合、文字通り扱うものは「精神」だ。
「精神」そのものは見えない。その人の容姿、表情、言葉遣いその他諸々から「精神」の姿を推察し、そこに向けてメスを立てなければならない。五感を通して得られた一次情報を、治療者の経験や知識と照らし合わせて結びつけて「恐らくこの人はこんな感じの症状でしょう」と結論を出す。「それならここを切り取ってあげればOKっぽいよね」となり、それに応じた言葉をかける。
患者や症状を一般化することは、恐らく身体科よりも難しい。
「精神」は患者の人生をかけて構築されている。ある人にとって酒は「友達と楽しく過ごせた思い出」かもしれないけど、別のある人にとっては「普段優しいお父さんを暴力的にしてしまう悪魔」かもしれない。
もちろんそのくらいその人の過去とかの話から察せない人がメスを持っているとは思わないけれど、生育歴とか病歴を見るのが大切でしょう、という話。
そして、手術が医師に対しかなりの緊張を強いるように、精神科治療もかなりの緊張がある。
相手に踏み込むということは、少なからず自分にも踏み込まれていると思う。
巻き込まれて引きずられて振り回されて。そんな精神科医の話も耳にする。
他人の疾患と関わる、ということは、身体科でも精神科でも、決して楽なことではない。
それでもその人の苦痛が、命が、少しでも救われるなら、苦痛をちょっと背負ってあげたり、ちょっとくらいなら命を削って向き合ってもいいかな、と思っている。
様々な薬が開発されたり、治療方法が研究されたりしている。
精神科でもそれは同じ。より低リスクで、より確実に治療できる方法が日夜研究されている、と思う。できるだけ苦痛がなく、命が充実する世界が来るのを願うばかりだ。
00101_衝動を制御する
やりたいことがたくさんある。
あんなこといいな、できたらいいな、とドラえもんの主題歌のように思ってしまうが。
私の思考の特性上、「あんなこといいな」が具体化する前に、次の「あんなこといいな」が出てきてしまう。
例えば、「面白そうな小説の案ができた!」と考えている間に、「曲作りのいいフレーズが思い浮かんだ」と考えてそっちに移行したり、筋トレの仕方を調べている間に栄養の摂り方について調べてしまったり。
興味がどんどん飛び飛びになる。
これが極端になると、統合失調症の陽性症状である「分裂思考」となるんだろうな、と思う。
困ったことに、こんな風に飛び飛びの妄想を続けるのはとても楽しい。何かの作業をしていても、つい妄想にふけってしまうことばかりだ。
やりたいことはたくさんある。
しかし、どうがんばっても体は一つだし、金も時間も限りがあるし、何より能力的に不可能なことばかり妄想している。
妄想は一瞬で展開するけど、実現には時間がかかる。大きければ大きいほど時間がかかる。
一瞬で展開した妄想たちを次々実現しようとタスクを積み上げていけば、その量は膨大になる。
簡単に私を押しつぶしてしまうだろう。
面白そうなことを思いついた時、とっさにメモをとるようにしているのだけど。
あんまり取らなくても良い気がしてきたな。
本当に好きで実現したいことなら、何度も頭の中に蘇ってくるはずだ。
メモの量が増えすぎて、結局何がやりたいのかわからなくなってしまっているし。
そもそも古いメモを久しぶりに見ても、当時「これ最高でしょ!」と思っていたことが色褪せて見える、なんてことばかりだ。
どうせなら熱量を持ってやりたいよね。枝も剪定してあげることで大きな樹木に出来るでしょう。
そういった衝動のコントロールがこれからの私の課題かと思っている。優先順位を付け、何をするのが一番いいのか、考えてみたい。
でも経験上、計画を立てて上手くいったことなんてあまりないし、思いつきでパッとやった方が楽しいし成果も大きかったりするので、難しいところだなぁ。まー今日も楽しく生きよう。
00100_葛藤
最近、「ADHDと残業」というテーマで盛んに議論が行われているようです。
発端になったのは、借金玉さんのこちらのブログ記事のようです。
ご自身もADHDとのことで、様々な思いが綴られておりました。
この記事の影響もあってか、私もお世話になっているメンヘラ.jpのわかり手編集長も以下の記事を書かれています。
仕事のパフォーマンスの波について、数値化され体験談を交えて書かれています。
これらの記事を拝読し、私としては「今まで思いもしなかったことを知ることができ、よかった」という感想を持ちました。
私自身「残業は悪、定時上がりばんざい!」と思っていたフシがあります。上の記事を読んだ今でさえ「それでもやっぱ残業は嫌かなぁ……」という気持ちもあります。
ところで、上の記事に対しては批判的なご意見も多いようです。
わかり手編集長が続く記事で指摘なさっていますね。
この記事で紹介されている中でも、以下の記事は特に批判の論調が強いようにお見受けしました。
こちらの記事を拝読して、「なるほどたしかに、そういう考え方も出来るよなぁ」と思いました。
本当なら両者の意見を見やすい形にまとめつつ、それなりに結論っぽいものが出せれば良いのですが、私の力量ではそれは難しそうです。
あまり好きなやり方ではないのですが、「残業」について
1.必要と考える理由
2.不要と考える理由
を、上の記事の中からチョイスしてみたいと思います。
1.残業は必要
・仕事の出力に波がある(常に一定で同じパフォーマンスを出すことが難しい)
・残業が規制されると、効率の良い人間しか生き残れない
・出力に波があり、迷惑をかけるかもしれないが、ADHDの人にも特有の強みがあるなど、雇用するメリットもある。
2.残業は不要
・「残業が必要」と認めると必要以上の残業を強要される恐れがある。
・8時間労働だって十分長い。サービスでなくても残業は違法。
・無理に一定時間同じ出力で働こうとしなくても、配慮を求めるなど別の働き方もある。
なんとなく、こんな感じかなぁと思いました。色々抜けてる、おかしいところもあるかもしれません。すみません。
なんというか、どの意見も「私には否定出来ないなぁ……」って思うんですよ。
もちろん突き合わせれば議論はできるかもしれません。
「僕は仕事の出力が安定しないんです」→「なら正社員じゃなく障がい者枠で働こうよ」
とか。
「残業は違法だからよくないよ」→「でも残業しなきゃ他社に負けるよ。俺が違法になることで社員とその家族を救えるのならやむを得ない」
とか。
どの意見も「ある程度反論があることは分かってるし、自分の意見が絶対じゃないこともわかってる。それでもね、私はこれを訴えなきゃいけない理由があるんだよ」と言えるものがあるんじゃないかと妄想しております。
ご自身が「あぁ、自分は仕事の出力が安定しない人間なんだ」と考えるようになるまでどれだけの葛藤があったのだろう。他の社員と比べて同じペースで仕事ができないときもある自分。頑張れる時は頑張れるけど、頑張れない時は頑張れない自分。自分の意見を多数派にしたいとかそんなんじゃないけど、やりにくくなりそうなことについて愚痴くらいこぼさせてほしい。
今までどれだけ「帰りたいのに帰れない」思いをしたことか。ぐだぐだと職場に残ってどれだけイライラを詰め込んだことか。定時すぎて残業してるくせにヘラヘラ雑談してるあんたら、さっさと帰れよおれが帰りにくいだろ。こんなに働くことに時間取られたくないんだよ。それがようやく改善されようとしてるのに、どうしてそこにブレーキかけようとするかなぁ? もしかしたらあなただって残業しなくても済む働き方を探せばもっと短時間労働で幸せになれるかもしれないよ?
どっちの気持ちも分かるがゆえに、判断できないし、辛いです。
残業をしてでも仕事をがんばりたい! と考えるその気持ちも大切にしたい。
残業をしてしまうと仕事ががんばれなくなる と考えることも一理ありそう。
さて、ここでちょっと話を変えます。
「今回の件を受けて、あなたはどう考えますか」という話。
私の考えとしては
残業「禁止」か「許可」どちらかを選べと言われれば「禁止」を選ぶ。
でも上記記事を根拠に残業「肯定」か「否定」か、と聞かれたら「肯定」に投票する。
残業を禁止することにも許可することにも、どちらにもメリット・デメリットがあるようです。
考えれば考えるほど、両者を載せた天秤を読むことは、私には難しくなってきます。
結果、「何となく今の流れの「禁止」の方がしっくりくる」というところに落ち着きます。
で、それだけ書けばいいのになんで「でも」以下を追加したかというと。
単純な話で、残業「肯定」的な文章を書かれた借金玉さんやわかり手編集長さんの文章の方が個人的に好きだったからです。
残業があることが社会にもたらしている悪影響を理解している。
それが時に人の命を奪うくらい深刻であることもご存知。
知っているがゆえに、相手にも共感しているし、主張も低姿勢になる。
思いっきりバーンとぶちまけることもなく「愚痴」に留め、「我々も努力していきますので……」と低姿勢になる。
そのくらい、意見を言わなきゃ辛くなる心情にあったのだろうなと勝手に妄想します。
そこにあるであろう葛藤。言うことのリスクなども考える葛藤。その葛藤に敬意を表します。
周囲が残業しているから帰れない、とストレスを感じていた人たちが定時に帰るために
周囲が定時で帰るから残業できない、というストレスを別の人に感じさせるのかなぁと思います。
個人の価値観も、職場の状況も、それぞれ。
一様な結論なんて、そりゃあ簡単には出せないですよね。
そんなことはわかってるけど。
それでも、多少乱暴でも自分の意見を言いたくなるくらい、労働時間の問題については日々思うことがあるんだよ。
そんな声が聞こえてくるような気がします。
これからも色んな人の意見を聴き、葛藤していきたいと思いました。
ところで、今更ですが、今回の記事が当ブログ100記事目のようですね。
ありがとうございます。
これからも色々な記事を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
00099_ストレスチェック制度に係る妄想
お世話になっているメンヘラ.jp様にて、下記の記事が投稿されました。
この記事を読んでいてふと「ストレスチェック制度って実はとてもストレスフルな存在なのではないか」というパラドックスを思いついたので、それを論じることができないか頑張ってみようと思います。
ストレスチェック制度について、みなさんはご存知でしょうか。
2015年12月1日から始まったということで、まだスタートして一年余り。
ご存じない方もいらっしゃるかもしれません。
簡単に言うと、ストレスをチェックする制度のようです。
すみません、簡単すぎました。詳しくは上記の記事を御覧ください。
質問に答えていって、高ストレスと診断された方は産業医と面談したりとか、そういう風になる制度のようですね。ちょっとマニュアルとかから引用してみたので御覧ください。
この画像を見ると
1.アンケートを受けてもらう
2.アンケート結果を検討して、医者にかかったほうが良いかどうかを決める。
3.「本人のみ」に結果を通知する。
4.「本人から」面接指導を希望して申し出てくる。
5.医師が面接指導を実施
6.何かする必要があるか、するならどんなことをしたらいいか、医師から意見聴取
7.就業上の措置を実施する
8.メンタルヘルス不調を「未然」に防止。やったー!
ということで、たくさんのフレンズをメンタルヘルス不調から救ってくださるすごーい制度として設計されたようです。
この何とも夢のような制度について興味が湧いてきたので、ちょっと踏み込んで考えてみたいと思います。
1.アンケートを受けてもらう
アンケートの受け方としては、質問表かITシステムでやるみたいです。
ほいほいと記入したり、ポチポチと入力したりする感じでしょうか。
で、きっと記入とか入力が終わったら「提出」ないし「送信」する感じになるかと思います。
ここで統合失調症患者的妄想力がちょっとでます。
質問表の場合、誰に提出するんでしょう。会社の事務員さん? 普段は優しい笑顔の事務員さんもしかして勝手にアンケート結果覗き見て社長にリークしちゃったりしない?
送信する場合、どこに送信されるんでしょう。お医者さん? お医者さん社長にリークしたりしない? 実はメールで言うBCCみたいなやつで社長にもデータ言っちゃってたりしない? 「相談できる上司がいない」って情報が嫌な上司のパソコンにメールで飛んできてたりしない?
……色々妄想捗ると、あんまり素直に答えられなさそうな気がしてきました。
2.アンケート結果を検討して、医者にかかったほうが良いかどうかを決める。
医者にかかったほうが良いか決めるのって、誰なんでしょう。社長……ではないですよね。社長が判断するってことは社長がアンケート結果見てるってことなので情報筒抜けちゃう。
3.「本人のみ」に結果を通知する。
ここもやっぱり「本人のみ」と言いながら「社長にも行っちゃうんじゃん?」と疑ってしまいます。
あと、本人に通知される結果もどんなのが来るんでしょう。「君は元気だよ!」かもしれないし「病院行ったほうが良いかもね」かもしれません。
4.「本人から」面接指導を希望して申し出てくる。
結果を見て、「面接指導してもらおうかな……」と思ったとします。
どこにその希望を出すのでしょう。病院? 役所? 実施者? 休日に行かせてもらえるのかな? その情報会社に漏れたりしない? 行く途中で誰か知り合いとすれちがって「あらまぁどちらへ行かれるの?」と聞かれたら何て答えよう。ちょっとそこまで不景気で困ります締めますドアに注意……
5.医師が面接指導を実施
面接指導ってどんなことされるのかなぁ。
「あんたの鍛え方が足りない」とか言われたらやだなぁ。
「ちゃんと相談しなさい、何年仕事やってんの」いやほんとおっしゃるとおりなんですけどそんなこと言われたら辛いよ。
「まぁ考えすぎないことですよ」 せやな! 考えずに済めばとっくにそうしてるんやけどな!
6.何かする必要があるか、するならどんなことをしたらいいか、医師から意見聴取
これ、医師が意見を言うみたいなんですが、誰に対して言うんでしょう。社長? 実施者?
7.就業上の措置を実施する
就業上の措置とは……「勤務時間を減らせ」とか「部署異動させろ」とか「休職させろ
とかでしょうか。
誰が措置命令を出して、誰が実行するのでしょうか。
私が「給与が少ないことが多大なストレス」となっている場合に「ヤマカワの給与を月額100万円にせよ」という措置を出してもらえるんでしょうか。無理ですよねわかります。すみませんそこまで求めてません言い過ぎました。
8.メンタルヘルス不調を「未然」に防止。やったー!
やったー!
で、ふと思ったんですけど。この制度、運用する側も色々ストレスフルだったんじゃないかと思うんです。
メンタルを病む社会人が多い! というところに「なんとかしなくては!」との思いで始まった制度だと思うんです。ぜひ作りましょう! と偉い人が考えて、「じゃあ君、この制度の具体的な案を作ってくれ、出来るだけ早く」とか部下に投げたんじゃないかと思ったりします。
(いやただでさえ忙しい俺にその話振るの? みんなのストレスの前に俺のストレスに気を遣ってくれよ!)という心の声を抑えながら「わかりました! すぐ取り掛かります!」と元気に答える若手Aくんがいたんではないかと気になります。
どうにかこうにか「こんな風にしたらいいんじゃね?」とAくんが案を出したとして。「そうじゃねぇそうじゃねぇ」と先輩B、係長C、課長D……などなどと上司一人ひとりに言われているのかなぁと想像します。私がAくんだったら「ストレスチェック制度作るまでにたまった俺のストレスをどうしよう」と思う気がします。
なんとか案ができていざ実現。Aくんは胸をなでおろし、次の仕事に取り掛かります。
Aくんの努力の結果、ストレスチェック制度が運用されることになりまして。
ストレスチェック制度にはITシステムを使うことも想定されているようでした。
「これは新たなビジネスチャンスや! 他社に先駆けてストレスチェックのためのシステム作るでぇ!」と意気込むシャッチョーサンEがいそうです。みなさんがポチポチ入力しているこの画面だって、誰かが頑張って作ったソフトなんじゃないかな、なんて思います。SEの世界ではよくデスマーチなんて言葉も聞くし、多分シャッチョーサンEの下で働くエンジニアFさんは締め切り前徹夜とか残業とか大変なんだろうな……なんて妄想します。
Fさんの努力の結果ストレスチェック用システムが完成して、シャッチョーサンEは他社に売り込みに行くでしょう。別会社の人事のG部長がこのシステムの導入を検討するとしたら、多分経理のHさんに掛け合うと思うんですが、予算もカツカツな中でHさんもなんとか捻出しなきゃと思って電卓叩くのかなぁと思います。ここでG部長に恩を売っておけば後々自分の出世もあるかも……とか計算高い人がHさんだったら、ストレスを溜めてでもあれこれ予算の都合を付ける仕事をしそうです。
Aさんの考案したストレスチェック制度をFさんがシステム化してHさんがお金を用意して、導入された会社がI社だとしましょう。I社でついにストレスチェック制度が実施されることになりました。
ある日突然社内回覧で回ってくる「ストレスチェック受診のお知らせ」をJくん、Kさん、Lくんらが見ます。
Jくん「ストレスチェックかぁ~これ素直に答えたらどうなんだろうなww」
Kさん「『相談できる上司がいない』とかねww『仕事にストレスを感じない』人とかいるの?ww」
Lくん「お前ら無駄話してる暇あったらサクッと無難に回答して終わらせて次の仕事しようぜ」
Jくん「相変わらずLくんは真面目だよね」
Kさん「そんなLくんが私は好き……」
Lくん「……!」
なんていうラブストーリーは多分無いでしょう(無駄)
実はKさんに片思いしていたJくんはそのショック故にストレスマッハとなり、ストレスチェックの診断を受けることも忘れ、上司に「おーいJ,ストレスチェック早くやっとけよー」とか言われちゃうでしょう(多分無い)
ストレスチェック制度をめぐるアルファベット諸氏の物語を色々話して、最後にZさんがストレスチェック制度のおかげでメンタルを回復させ、その創始者たるAくんと出会ってゴールインするところまで書きたかったのですが、飽きたので辞めます。もうちょっと質を高めるべきだった……係長Cとか影薄すぎだしなぁ……。
記事を書いていてふと思ったんですが、このストレスチェック制度も、もしかしたらアニメ『PSYCHO-PASS』に出て来るシビュラシステムの走りみたいなものなのかなと思いました。
人間のストレス状態を数値化して異常値を示す人間を発見し「治療」に結びつけるあたり、とかね。根本に流れる思想に共通するものが見いだせそうな気がしますね。
さて、長くなりすぎてしまいました。久しぶりに妄想を深掘りしたので、楽しかったです。ヤマカワのストレスは少し減りました。みなさまも適度にストレスを軽減させ、この世間の荒波を乗り切ってください。
00098_信じ仰ぐ
最近、宗教についての話題をよく聞く。
発端は最近ニュースでもよく見る、清水富美加さんの出家の件だろうと思う。
発端になったニュース記事が見つからないが、ちょっとGoogle先生に聞いていただければ、いくらでも様々な文章が出てくると思う。
それを受けてか受けなくてか、私がいつもお世話になっているメンヘラ.jp様でも宗教に関連した読者投稿が掲載された。
それらを受けてか受けなくてか、トイアンナさんも以下のような記事を投稿なさっていた。
http://toianna.hatenablog.com/entry/2017/02/20/173000
上記の話題はどれもとても興味深いのだけれど、一番心動かされたのは以下の漫画だった。
https://twitter.com/alpaca_mofu/status/827139449507045377
新興宗教。
あまり好き好んで語られる単語ではなさそうだ。
政治と野球と宗教の話はできるだけ避けろ、なんてことも聞いたことがある気がする。
その中でも特に”新興”はセンシティブなのかなぁと勝手に印象を抱いている。
しっかりまとまった文章にしたいのだが、思考が分裂しやすい性質上、思いついた論点を列挙するほうが楽しい。ので、以下に列挙する。
・なぜ新興宗教に嫌悪感を抱かれることが多い? 押し付け? 盲目性? 非寛容性?
・「信じる」は「疑う」の対義語かと思う。人は「信じる」と思考を止め行動する。一方で人は「疑う」と行動を止め思考する。
・世界では無宗教は少数派、という話も聞く。日本もまた、大陸から仏教を取り入れるなどその歴史の長い期間で宗教とのつきあいがあった。現状「無宗教」を主張する人が多い(私の体感)のは、なぜか。
・なぜ人はそこまで盲目になれる?
また思い出したら書きます。
00097_女性と
わざわざ言ったこともないけれど、一人称や行動や文体で容易に想像できると思うけれど。
ヤマカワは男性です。
……うむ、いざ書いてみると違和感甚だしいのだが。I am a man(?)
なんでわざわざこんなことを言ったかというと。
最近なんとなく女性とお話する機会とか、そういうのが増えているかもなぁと思ったので。
母、姉、父方の祖母、母方の祖母、叔母たち、伯母たち、いとこたち。
小学生の頃運動会のダンスで隣になった背の高いあの子。
初めてのバレンタインでわざわざ家までチョコを持ってきてくれたあの子。
その子に付き添って来てくれたけど、個人的にはそっちの、付き添いできてくれた子からもらいたかったなぁとか思ってたあの子。
クラスの中心あたりにいて、いつも黄色い声ではしゃいでいたあの子。
幼稚園から小学校までずっと同じクラスだったあの子。
なんかあるとすぐに飛び蹴りを入れてくるあの子。
おしとやかでかわいいかと思って話していたら全然そんなことなかったあの子。
はつこいの子。
あどけない笑顔でいつも話していて、あどけない笑顔で先輩と付き合いだしたことを話してくれたあの子。
何事も一生懸命だったあの子。残念ながら何事もあまり上手くなかったあの子。でもそれなりに幸せそうだったあの子。
妙なご縁があったあの子。
よく好きな人との話の内容を聞かせてくれたあの子。告っちゃおうかな~でも振られたらどうしよう、と話していて、もし振られたら俺と付き合おうよ的なことを言ったら、それ以来口をきいてくれなくなって呼び方も変わってしまったあの子。
初めてSNS上で知り合ったひと。詩を書くことを教えてくれたひと。
直接技術を教わるとかじゃないけど、「こんな風にして文章で感情を表現するという世界があるのだよ」ということを、その紡ぐ言葉で教えてくれたひと。
好きなバンドが一緒で、その話で盛り上がっていたけど、カラオケでそのアーティストの曲を歌ったら気持ち悪いと言われ、嫌われてしまった子。
びじんだなぁと思っていて、席替えで席が近くになった時に、クラス全体に聞こえるように嫌味を言っていた、ミスコンとかにも選ばれている美人のあの子。
笑顔で明るく振る舞っていたのに、陰でひどいあだなをつけられ笑われていたあの子。
詩人のあのひと。よくあるタイプのポエムだと思っていたら最後に一つ毒のある言葉で突き刺してきたあのひと。うたが好きなひと。
私の友達のことが好きで、彼女がいるかとかを聞いてきた後輩のあの子。多分うまくいかないだろうな、と思いながら、上手く言ってほしいなと思いながら、無責任に背中を押してしまったあの子。
年上の私に対して「もっと恋愛した方がいいですよ、経験した方がいいですよ」とメールを送ってきたあの子。「なんでも良い」と言われてかえって悩み、レストランですぐにメニューを決めることができず迷惑をかけてしまったあの子。
友達の彼女。友達の彼女。友達の彼女。
学校から駅まで二人で帰るようになってたら、それはそういうこと。
上品なのに気取らないあのひと。美人だしメイクもばっちりなのに裸足にスリッパがトレードマークだったあのひと。
あたまのよいあの子。成績優秀者の欄でよく名前を見ていて何者だと思っていたら、とても可愛らしくて表情豊かですごいなぁと思っていたあの子。友達の彼女。
友達の彼女。ちょっと二人を見かけないなぁと思っていて、しばらくして出てきたら着てるシャツが変わってたらしいあの子。
肝試しの時ペアになったあのひと。暗い中で顔がよくわからず、そこから出た後はたくさんの先輩たちの中に混じってしまって、結局どの人があのひとだったのかわからずじまいになってしまったあのひと。
ほとんど関わりなかったけど、ツーショットで写真とってくれたあのひと。
良い人なのになぜか周りと上手くいってなくて、年下の男たちと遊ぶほうが楽しそうだったあのひと。
卒業する時に、私がかけた何気ない言葉が嬉しかったと言ってくれたあの子。「先輩のこと、結構好きだったんですよ」と冗談っぽく言ってくれた、後輩の彼女。
プライドの高そうなあのひと。同い年なのに未だに「あの子」と呼ぶのがためらわれるような、あのひと。実際頭のキレは鋭かったあのひと。
分数ができないと笑って言ってたあの子。
飲み会で初めて「関西弁の女の子ってかわいいな」と思わせてくれたあの子。
ふざけているようで、何も考えていないようで、何気なく本質を射抜く言葉を投げかけてくるあの子。
はじめて相合傘をして、はじめて手をつないで、はじめて告白して。はじめて泣かせてしまったあの子。
完璧なひと。全てにおいてこの人には勝てない、と思うひと。
第二の母みたいなひと。この人には勝てない、と思うひと。向こうはもう忘れてしまってると思うけど、知る術もないけど、「その時」には葬儀に参加して焼香して見送りたいな、と思うひと。
ゆるそうに見えて実はとても貪欲で、成長することが好きだったあの子。
優秀な脳を持って、斜に構えていたあの子。
チームを引っ張っていた自分をうまくサポートしてくれた美人のあの子。本人的には何気なく、でも周りから見たら不自然だったであろう夕食への誘いを、全て見透かしたように美しく、その表情のように美しく断ってくれたあの子。
宅飲み明けの朝、友達たちがみんな寝てる中、二人だけベランダへ出て、一緒に雪を眺めながら昔の恋の話をしたあの子。
あの子。
今の時点で「あの子」と言ったら思い出すことにしている、あの子。
書き始めるとキリがないくらい、数多くの女性とすれちがってきたなぁと思う。
まだまだ書きたいひとたちばかりだけれど、今日はこのくらいにしておこう。
これからも、たくさんの女性たちとすれちがっていきたい。
別に付き合わなくても、キスしなくても、セックスしなくてもいいような気がする。
私の人生とあなたの人生が重なることがあるのなら、それはきっと幸せなことなのだ。
これからも、たくさんの女性たちとすれちがっていきたい。