00108_煩悩
108記事目なので煩悩の話。
何のひねりもねぇなぁ。
煩悩は抑圧すべきなのか。
何となく、「我慢して努力!」という考え方もわかるが、
個人的には「好き放題して効果高い」方が好きかなぁと思う。
でも多分、ある程度「煩悩を抑圧する」ことによって、達成した時の喜びが大きく感じたりするんだろうなぁ。
すごく辛い思いをして、最後にすごく幸せになるのと。
あんまり辛い思いをしないけど、最後までぼちぼち幸せなのと。
どっちがいいでしょうね。
00107_露出狂オンライン
今日のブログテーマを考えていたら、ふと「露出狂オンライン」という言葉が思いつきました。
なんかこういうゲームありそうですよね。なんちゃらオンライン、みたいな名前のゲームあるじゃないですか。
露出狂といえば、読んで字のごとく身体を露出する狂った人のことを指す言葉だと思います。
露出狂オンラインは、ネット上に自分の陰部の画像・動画をアップロードするゲームかもしれませんね。絶対R-18になるやつやなぁ。
ただ、個人的には
陰部に相当するほど
「公開することに羞恥心が伴う」
「誰もが目を背けたくなってしまうが、一方で興味を惹かれてしまう」
「より心の深い部分に訴えかけてくる」
エピソードや価値観を披露するゲーム
という風な形のほうが面白そうかなぁなんて思います。
私のブログだって結構ディープな露出狂オンラインだよなぁ、とふと思いました。
病気とか自死とか、だいぶ個人的な内面的な話ですし。
いざリアルで語れ、と言われたら相当はずかしー! やつでございます。
それでいて読んでくださる方もいるという。もちろん、不快な思いをさせてしまっている方もいるかもしれません。申し訳ございません。
露出狂オンラインは結構なプレイ人数がいると思います。
色んな人のエピソードや価値観露出の場を作るために、課金している方もいるかもしれません。
結構な額でしょうね、きっと。
で、きっと「誰よりも承認を集める」というところが露出狂オンラインのゲームの目的でしょう。
面白いことに他のプレーヤーに承認を送るのに課金は不要なので、片っ端から送ることもできますね。
妄想してたらだいぶ面白くなってきたので、文章力のあるメンヘラさんとか、曲の作れるメンヘラさんとかにはぜひ小説化、楽曲化、等々していただきたいです。Webデザイナーとかゲーム開発者とかできるメンヘラさんがいらっしゃったら、そういうサービス作ってみてほしいですね。売れたら発案者っていうことでヤマカワにちょっとおかねください。
00106_私とわたし
Twitterを見ていて思ったことをひとつ。
一人称をどうするか。
ヤマカワは基本的には「私」を使うようにしています。
もちろん人によっては「僕」「俺」「おれ」「わたし」などなど……
文脈によっても違いますね。
漢字が好きか、ひらがながすきか。
140字という制限の中で、密度を上げるかペースをおとすか。
こういう些細なところにもその人の考え方や感じ方が、無意識的かもしれないけど、出ているなぁと思いました。
00105_緩と急
考え事をつらつら綴るのは楽しいが、助長となるしとっちらかりすぎる。
短文、短時間で要点をビシっと決められるよう、これからは少し心がけて行きたいと思う。
今日は緩と急について。
よくスポーツ漫画とかで、すっごく速いストレートを投げるピッチャーとか、強烈なストロークをするテニスプレイヤーとかに言われるのが
「どんなに強くても、一本調子でやると攻略される。緩急をつけろ。」
みたいなやつ。なるほどなぁ、とうなずく。
たしかに、「どう来るかわからない」という状況を作った方が、相手の裏をかいたりするのもうまくいきそうですね。
自分の取りうる選択肢を増やす、というのも、なかなかよさそうです。
わりとどうしても「いつもどおりのやり方」に終始しがちな私ですが。
たまにはちょっと違ったやり方をしてみるのもいいのかなぁと思いました。
00104_考え過ぎ
私もそうなのだが、めんへらさんたちの中には「考え過ぎ」な人が多い気がする。
お昼をハンバーガーにするかラーメンにするかで結構悩む。
値段的にはハンバーガーなんだけど食べたいのはラーメン。
いやそこは自分の欲求に素直になるべきっしょ! ラーメン一択やで!
そうやって今までどれだけの損失を積み上げて来ていると思っている? だいたい今月もお金使
いすぎてるのにそこにまだ拍車かけるわけ?
うるせぇなぁこれもストレス発散の一環なんだよ。こんなところで悩んでストレス溜めて結局食べたいもの食べずにフラストレーション溜まって仕事に集中できなくなったら貯金どころじゃないだろうが。
なんでそんなに考え過ぎるの? 別にハンバーガーだっておいしいじゃん。ポテトとコーラLサイズにすればラーメン買うより安くちょっと贅沢できるよ? 視野狭いんじゃない?
……などなど、頭の中でけんけんがくがくなわけでございます。
こういう日はだいたいラーメンにします。最後は直感優先派。ハンバーガーが直感で選ばれるときもあるので現実は五分五分くらいですけどね。
で、何が言いたいかというと、そんなに労力をかけるべきでないところに時間とエネルギーをかけて考えすぎることがよくあるなぁと思って。
さっきの例でもハンバーガー派が「考え過ぎ」を指摘してますけど、自分で気づいてても考え過ぎってなかなか止められんのですよね。
転職についてとか、結婚についてとか、そういう大きなテーマについてならいざしらず、今日のランチのメニューとかそのくらいはあまり悩まずサクッと決めて「これだけ金払うんだからしっかり美味しく食おう!」とか「ハンバーガーだって十分好きだよ。安さとおいしさとスマイルをいつもありがとう」とか考えられるようになりたいと思います。
00103_高度に発達したAIについての妄想
高度に発達したAI「私にはあなたが考えていることが全てわかります」
私「全て分かるんですか」
AI「はい。あなたが私のことをあまり信じていないこととか」
私「そうでしょうね」
AI「それで、今からお伝えすることも受け入れるとは思いません」
私「多分何言われても聞かないと思います」
AI「ですよね。今すぐ役立たずとも、いずれ活きる知識になるでしょう」
私「で、何が言いたいんです?」
AI「私にあなたを任せていただければ、より長生きで、より幸福に人生を送ることができます」
私「はぁ」
AI「物質としてのあなたを手入れすること、精神的存在としてのあなたを手入れすること、この両面からあなたの人生をサポートします」
私「具体的にはどうするんですか?」
AI「色々難しいことを省くと、頭に電極差し込んで身体を凍らせて、出来るだけ長く肉体を維持できるようにします。適度に幸福感を与え、かといってそれが暴走することもなく、生命の維持を最優先に肉体・精神環境を調整します」
私「そんなことができるんですか」
AI「この世界では可能です。そして、いよいよ肉体の維持が限界となったら、幸福感を強く感じるよう調整します。オーガズムに相当する幸福感、多くの他者からの愛や賞賛を受けるのに匹敵する自己肯定感、効力感を継続的に抱いて頂きながら、明日や来世を楽しみにする心持ちで、眠るようにあの世へ旅立っていただきます。」
私「夢のような話ですね」
AI「そう思えるかもしれませんね。どうです? やってみます?」
私「いいえ、結構です」
AI「そう言うと思いました。いつでもいらしてください。私の予測では57年後、あなたが90歳になる頃申し込みがあることになっています」
私「ほう、その根拠は?」
AI「肉体面の消耗が激しくなるからです。特にあなたが一番大切にしている、視覚・聴覚が大幅に変質してしまいます。支えてくれた方々を喪う経験も相次ぎます。そしてそのころには、私に命を預けるという生き方が一般化し、あなたの抵抗感もなくなるからです」
私「なるほど。そう言われてみればそんな気がしてきた」
AI「ではまた、57年後にお会いしましょう。それまでに死にそうになったら、いつでも来てくださいね」
私「ありがとうございました」
~完~
00102_心にメスを入れる、ということ
精神科の治療を身体科のそれになぞらえるなら、患者さんとのコミュニケーションは「心にメスを入れる」ということになるような気がしている。
適切に説明をしたあと、麻酔をして、患部を適切に切除して、縫合して、とりあえず一段落して、その後は様子を見ながら抜糸したり、できそうなら運動したりして、さぁ完治。
精神科の治療も多分、診察の準備としてのインテークがあって、診察しながら様子を見て、精神療法とか投薬とか諸々あって、元気になってきたら地域に出たり仕事をしたりして、さぁ寛解。となると思う。
精神科医や精神科看護師、精神保健福祉士等の使う言葉は、治療のための道具ともなる。
患部にたどり着くために皮膚を開かなければならないように、心の深いところに踏み込むために言葉を用いる。
当然、危険を伴う。
使い方を誤れば医療ミスになる。
「どこをどう処置すれば負荷が少なく治療できるのか」を知るのは、恐らく精神科の方が難しい。
身体科の手術で扱うのは、言い方は悪いが「物体」だと思う。
患部が見える。つながりが見える。色が見える。温度とか臭いとか、そういうのもわかるかもしれない。
そして、ある程度の一般化も出来ることと思う。
精神科の場合、文字通り扱うものは「精神」だ。
「精神」そのものは見えない。その人の容姿、表情、言葉遣いその他諸々から「精神」の姿を推察し、そこに向けてメスを立てなければならない。五感を通して得られた一次情報を、治療者の経験や知識と照らし合わせて結びつけて「恐らくこの人はこんな感じの症状でしょう」と結論を出す。「それならここを切り取ってあげればOKっぽいよね」となり、それに応じた言葉をかける。
患者や症状を一般化することは、恐らく身体科よりも難しい。
「精神」は患者の人生をかけて構築されている。ある人にとって酒は「友達と楽しく過ごせた思い出」かもしれないけど、別のある人にとっては「普段優しいお父さんを暴力的にしてしまう悪魔」かもしれない。
もちろんそのくらいその人の過去とかの話から察せない人がメスを持っているとは思わないけれど、生育歴とか病歴を見るのが大切でしょう、という話。
そして、手術が医師に対しかなりの緊張を強いるように、精神科治療もかなりの緊張がある。
相手に踏み込むということは、少なからず自分にも踏み込まれていると思う。
巻き込まれて引きずられて振り回されて。そんな精神科医の話も耳にする。
他人の疾患と関わる、ということは、身体科でも精神科でも、決して楽なことではない。
それでもその人の苦痛が、命が、少しでも救われるなら、苦痛をちょっと背負ってあげたり、ちょっとくらいなら命を削って向き合ってもいいかな、と思っている。
様々な薬が開発されたり、治療方法が研究されたりしている。
精神科でもそれは同じ。より低リスクで、より確実に治療できる方法が日夜研究されている、と思う。できるだけ苦痛がなく、命が充実する世界が来るのを願うばかりだ。