ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00293_ふわふわ

ふわふわとした生き方を良しとして生きてきたように思います。

人に合わせて考えを変えたり、過剰に適応しようとしたり。

そんな生き方に限界がきている気がします。

自分がよくわからないし、迷ってばかりだし。

いつまでそんなこと悩んでんのって本当に言われる。

 

何一つ覚悟も決められず、自分の命を十分に使いきれていないもどかしさがある。

「もっとちゃんと生きていきたい」という宣言はいつもむなしい。

 

あきらめるしかないか。

「こんな生き方」しかできないんだ。

でも、逆に考えれば

「こんな風になら生きていける」

とも言える。

 

「何はともあれ生きていく」が目的なら、

方法を云々するより、今できている生き方を認めるのもいいんじゃないかと思う。

 

大きなこともすごいこともしなくていい。

情けない自分のままで生きていく。

00292_無駄

さて、前の記事で「無駄のない文章を書きたい」ということを言っていて難ですが、

 

「無駄に見えても大切なものもあるよね」

 

という話をしたく、筆を執ります。いや、キーボードをたたくといった方が正しいか。

 

無駄のない、整理された文章を書こうと思うとやっぱり少し気を遣うんですよね。

そしたら土日特にやることがなくても更新しようという気持ちが削がれてしまって。

それもなんか違うかなと思い始めた次第です。

 

思い浮かんだことを徒然につづるのがこのブログじゃなかったっけ、とか考えだしてね。

考えすぎて結局あまり考えないのと同じ結論が出るみたいな。下手の考え休むに似たり。いや休めてない分休むよりたちが悪い。

 

一見無駄に見える、支離滅裂な文章を書くという作業も、自分の中では何かの意味があってやっているのかなとも思いました。文章を読んだり書いたりするのはやっぱり好きで、そういう時間があるから仕事をしたりとか家事をしたりとかそういうこともできるのかなと思ったりもします。

 

無駄に見えることも、きっとバランスを取る上で必要だからあるんでしょう。

生活、そんなに簡単に変えられるものじゃない。

無駄に見えるものにも意味がある。どんな意味があるのか、考えてみるのもいいかもしれませんね。

 

00291_無駄のない文章

無駄のない文章とは、言いたいことがはっきり伝わる文章だと思います。

はっきりと、かつ過不足なく。

 

最近、自分の文章は無駄が多いと感じるようになりました。

その理由は主に「脱線」してしまうこと。

 

主張としては

「Aだと思う→Bという考え方もあるかもしれない→しかしBにはこんな問題がある→ゆえにやっぱりA」

という形式に当てはめればサクッとわかりやすい文章になります。

 

でもこれが

「Aだと思う→いや、でもBという考え方もあるよね→Bのほうがいい気がしてきたぞ→まぁどっちもどっちだよね」

みたいに、考えてることが文章を書いている最中に変わってきてしまう。そんなことがあります。

 

考えてることが変われば、文章の内容だって変わります。

でも、せめて文章を書いている間くらいは考えが一貫してないと「結局あなたは何が言いたいの?」ってことになってしまいます。

 

自分なりにこの要因を考えてみると、どうも「言いたいことがなく、ただ『書かなければならない』という意識から文章を書いているから、考えがぶれるのだ」ということに落ち着きました。

 

そうなんです。「できるだけブログの更新頻度を上げよう」と考えているから、「とりあえず何か書かなきゃ」的な発想になり、意味の見えにくい文章をだらだら書いてしまう。そんな気がしました。「ある内容を伝える」ことよりも「まず書く」ということが目的になっているからそうなるのかな、と。

 

ごく短文ではあるにせよ、定期的に文章を書く習慣は身についてきました。

今度はその文章の質を上げていきたいと思うのです。

そのためには、無駄のない文章を書いていく訓練をしなければな、と思うのでありました。

00290_2019年

新年明けましておめでとうございます。

本年も何卒宜しくお願い致します。

 

早いもので、このブログを開設してから2年と3カ月が経過しました。

日にちに直すと822日と言ったところでしょうか。そのうち290記事を書いているから、だいたい3日に1記事くらいのペースで記事を書いていることになります。

あんまり中身のある文章ではないんですが。今年はもう少し記事の質を上げていきたい所存。

 

さて、今年も例年通り、近所の神社でおみくじを引いてきました。

去年は「小吉」でした。来年こそ大吉を……! と思って一年を過ごしていたのですが、

今年の結果は

 

「末吉」

 

でした。

まじかよーさらに悪くなってるじゃん。

 

曰く、

 

「欲張って失敗しやすい時」

「行動を起こす前には大きく三回深呼吸」

「大事な事柄は信頼できる人に相談して知恵を借りる」

「判断に迷うときは次の機会まで待つこと」

「欲望に負けてはいけない」

 

……お、おう。結構な言われようですな。

 

うん、しかしですね。去年もそうだったんですが、どうしても最近色々なことに焦りが強く出ています。

あれもしたい、これもしたい、ああしなきゃ、こうしなきゃ……などなど。

そういう自分に対しての戒めだと考えるべきなのでしょう。

 

大きなことを成すためには、小さなこと、日々の努力から続けていかないといけない。

そんなことを考えさせられました。

今年は派手なことをせずに、地道に小さいことを続けていこうと思います。

00289_2018年が終わる

2018年も大晦日になりました。今年が終わります。


今年はしんどい一年でした。ブログで書けない類のことが大変だったのですが。

どちらかと言うとネガティブな記憶が強い一年でした。


何というか「やるべきことをやらなかった」という自業自得のために辛い思いをしていたように思います。もっと自分の思った通りに生きて行かなきゃ、と思う。

もっと人に対して誠実になりたかったし、もっと自分のやりたいことをやるべきだったし、もっと色んなことをめんどくさがらずにやっていくべきだったと思うのです。


このまま、後悔ばかりの自分を生きていていいのか。

もっと大きなはずの自分を探していくんじゃなかったのか。


自分を奮い立たせなきゃと思う。

正しいと思うことを全力でしっかりやるのみです。


もう後悔したくない。

もう嫌なことはしたくない。

2019年こそ、がんばります。

今度こそがんばる。

00288_欠点

欠点とはどう向き合うべきか。

 

人間、欠点を持たない人はいないと言われる。

欠点も含めての「自分」という人間、ということをわきまえなければいけない。

 

欠点から逃げてもいけない。

欠点に向き合って、悲観的になってもいけない。

 

補える欠点なら、自力で補えばいい。

補えない欠点なら、他人に助けてもらえばいい。

どうしようもなければ、あきらめるしかない。

 

突き詰めて考えだすと、自分に欠けてないところなどないなと思わされる。

何をしても上回る人はいるし。何をしても自信が持てないし。

別に一番でなくてもいいのに、能力がないことを過度に怖がってしまう。

 

あれこれ小さなことを悩まずに、自分のできることをしていくべきなんだよな。

00287_早く起きる

久しぶりにまた早起きができました。えらいね。

やるべきことをある程度片づけて、ちょっと余裕のある時間ができます。

 

この時間に、しっかり有益なことができるか。

それは回復のための休息でもいいんだけど。

本読んだりとか、文章書いたりとか、勉強するとか。

 

せっかく余裕のある時間ができても、すぐにそれに取り掛からないと時間を無駄にしてしまいます。グダグダしていると、すぐスマホとか見たくなってしまう。

 

何のための早起きなのか。そこを考えないとね。