00405_たたかいのレトリック
ケンカとか、争いごとが苦手です。
それだけならまぁ良くある話なんですが、こじらせて「勝ち」「負け」とか出来ちゃうのもなんだかなぁ、と思う部分が少しでてきました。
たいていのことだったら「まぁいいじゃん、仲良くしようよ」で片づけたいという思いがあります。
でもそれも、現実を見ていないというか、浮世離れした話だとも思うのです。
数の大きい小さいは非常に明確だし、強い弱いも結構分かりやすいし。
強い方が生きやすいし、弱いと生きづらい。
そんな言うまでもない当たり前から目を背けて、かえって生きづらくしている、そんな気がする。
もっとうまく戦えるようになりたいと思う。
戦いもまたコミュニケーションの一種だと考えれば、もっとうまくコミュニケーションがしたい、そんな風にも表現できるかもしれない。
ケンカはよくない、そんなことを教えられて、あるいは自分でも言って。
結局、「ケンカは悪くない(良い)」という世界観になると、ケンカが苦手な自分は損をする。やっぱり「ケンカはよくない」方がいい。その方が自分が生きやすい社会だと思う。
もっと腕っぷしが強かったり、饒舌に主張できたりする人間だったら「ケンカ、そこまで悪いものじゃない」という価値観になっていたかもしれない。その方が生きやすかったのかもしれない。
だってたたかいは色んな所に転がっている。
お金を稼ぐために動くのだってたたかいだし、人から好意を得るためにすることだってたたかいだし。こうなると、他者を押しのけてする自分の意志の実現はすべて「戦い」になるような気がしてくる。
できる限り戦わずに生きていきたい。でもそれは現実的ではない。
現実を強く生きていくために、「たたかい」をうまくやっていけるようになりたい。
言いたいことをちゃんと言ったりとかさ。欲しいものをちゃんと手に入れたりとかさ。
00404_Not Found
404って言ったらこれですよね。Not Found。ページが見つかりません。
何度アクセスしなおしてもダメでした。懐かしいなぁ。最近あまり見ないな。
もうインターネットに触れて15年以上になるわけですが。
あんまりうまく使いこなせているかと言うとそうでもない気がします。
SNSを悪い意味で使いすぎてしまったり、極端な情報に振り回されたり。
こんなに振り回されなければもっと他のことができただろうに、と思うことも多々あります。
インターネットを控えたい、という思いもちょっとあります。
特にTwitter。時間を取られてしまう。
読んでいて疲れることもとても多い。
筋トレのためにジムに通い始めて良かったことは、インターネットに時間を取られることが少なくなったことも一つあります。
インターネット、そんなに大きく期待するほどのものじゃないなというのが、15年やってみての実感です。
良く知らない人ほどインターネットに過大な期待を持つ。
でもきっと、それはインターネットに限らず、人は良く知らないものに過大な期待だったりとか、過剰な恐怖だったりを感じやすいのではないかと思う。
ちょっとずつ触れて現実を知っていくのが必要だと思いました。
どうしても頭の中は良い方にも悪い方にも加速しがちなんだ。
もっと色んな事に直接触れてみなければなぁー。
00403_人間関係の練習
何をするにも人間関係ができないと伸びていかないなと思う今日この頃です。
一人でできることには限界があるし、自分一人ではできないことをしようと思ったら周りの人に助けてもらわなければいけないわけで。
しかし、人間関係の築き方って本当に千差万別だと思うんですよ。
同じセリフだって状況が違えば全然響かないし、相手が違えば全く効果も違うし、言う人が違えば解釈だって大きく変わってきます。
だから、人間関係についての一般論を学ぼうとしても、見えやすい、言語化しやすい部分のみへの言及にとどまっているな、と思います。
身だしなみを整える(清潔感を持つ)、まめに連絡を取る、聞き役に回る、などなど。
人間関係をうまくキープするのが苦手な人には、難しい課題が多いと思います。
誰も教えてくれないし、誰も指摘してくれないし。
周りの人はみんな気づいているのに、「しゃべりすぎる癖」を指摘してくれる人は誰もいなくて、本人はそれに気づけない。
「自分喋りすぎかも」と気づいたとしても、それをどう治したらよいのかわからない。
「そんな聞き方する?」「この場でその話題はなくない?」「変な言葉使うよなこの人」などと思われていたとしても、それが伝えられることはなかなかない。
もちろん人間関係も万能ではないし。「良い人間関係」に過度な期待をしてしまうのも良くないと思う。人間関係って基本的にしんどいものだと思うし、良い関係を多くの人と結ぶって、なかなかできないことだと思うし、人間関係を重視するあまり言いたいことが言えなくなってしまったりとか、そういう弊害もありそうだし。
00402_損得
気分が憂鬱になるときは、だいたい将来のこと、人間関係のこと、お金のことを考えている時です。
「これについて考えると気分が悪くなる」と分かって来たので、あまり考えないようにしてるんですが、それも問題から目をそらしているようで嫌だなぁ。
お金のことについて。
「自分にはお金を稼ぐ力がないのではないか。あったとしても、他人と比較して弱いのではないか」という思いがあります。
思いだけじゃなくて、ある程度事実だと思うんですよ。インターネットで見る平均年収とか中央値とかと比べても劣るしな。それはそうなんだ。
かと言って、今から稼げる仕事に転職したりとかっていうのも、なかなかしんどそうだ。
独立開業で今以上に稼ぐというのも相当にしんどく、空虚な妄想になってしまう。
今稼げる手持ちのお金をうまくやりくりして生きていくしかないのだ。
ちょっとずつ生活スキルとか、仕事のスキルを上げていくのだ。
それがきっと生きる力になってくるはずなんだ。
憂鬱になると「何のために生きているんだろう」みたいな、どうしようもない問いにぶつかることがよくあります。
しんどいね。この答えって絶対見つからない奴じゃん。
「これが答えです」って示されても納得いくかどうかビミョーなものである。
00401_噛み合う
やりたいこととできることが噛み合うと動けるなと思いました。
唐突に何を、という感じですね。いつも唐突でごめんなさい。
仕事、だいたい心理的には60%くらいの状態でいつも取り組んでるんですけど、「これはできそう」かつ「これは役に立ちそう」というのが綺麗に重なると、良く分からないウオォーという力が発揮できます。
昨日ちょっとそれに近い状態になりました。久しぶりにちょっと時間を忘れた。楽しかった。
そうなんです、良い状態になると仕事って楽しいんですよ。
無限に苦痛な時期もあるけど、ハマった時は楽しいもんなんだ。金ももらえるしな。
いつでも噛み合った仕事ができればそれは結構幸せなことだと思います。
なかなかそうも行かないと思うけどね。そうもいかないからうまくいくと幸せなんだ、とも言える。
前の仕事ではなかなか噛み合わずに苦しい思いをしたなぁと振り返ります。
給料だとか、休日だとか、そういうところが恵まれていても、目の前の仕事が苦手、となるとなかなかしんどい。「適当にやる」ができなかったし、一生懸命学ぶこともできなかった。
意欲、本当に水物だと思います。意欲がわいてくるの、とっても大事。
やらなきゃならないことの前に立つと途端に心が死ぬこと、あるじゃないですか。
だいたいそういう時って、取り組んでもあんまり良い結果にならないんですよね。
気持ちが盛り上がってるときにやれば仕事も早くて学べることも多くて、いい結果になる。
と、少なくとも主観的には感じるわけです。実態はあんまり変わらんかも知れんけど。
めずらしく噛み合った昨日の出来事から、色々学んでいかねばなと思うのです。
学んだことを忘れないようにするの大事で、私は右から左に抜けがちなのです。
日記とかに書いて読み返すようにしたらいいのかな。
学びを蓄積する手法を確立したい。
00400_400
400記事目です。すごくね? 頑張ってるねおれ。
頑張った先に何があるのか全く持って不明だけど、とりあえず頑張ってるねおれ。
よく思い描く妄想の一つに「文章を書いてお金を稼ぎたい」というのがありまして、ブログを細々と続けているのも「文章の練習」「書くことの習慣づけ」という思いがありました。
でも最近ちょっと違うなと考えております。
いや、思うけど今のまま文章書いてても1円にもならないなと。身もふたもない。
でも、稼げないから文章を書くのをやめるか? と聞かれると、ちょっとそうとも言い難い。
文章を書くことで「あぁ、すっきりした」的な感覚があることに最近気づいたんです。
人に話すことが苦手な自分でも感情をアウトプットする場になっているというか。
疑似的なコミュニケーションなのかもしれない。相手がだれかは分からんけど。
3年とか掛かっているわけですが、塵も積もれば山となる、だなぁと。
塵も積もれば400記事にもなるんだなぁと。
365*3=1095なので、だいたい1100日で400記事書いたということになる。
3日に一度以上のペースでは書いているということになるな。すごいな。
途中月一とかに減ってしまったときもあったけれど、ほぼ毎日更新で頑張った時もあるし。最近もまた更新頻度上げてるし。
ちょっと見返したら、ほんと3行しか書いてないみたいな記事もあったな。ウケるな。
辞めないことの大切さ、という学びがあり。
同じことを繰り返しても変わらない、という学びもある。
塵を積もらせて、3年間で400記事を書いたのは一つの成果だと思う。
一方で、それを通じて文章技術が向上したりとか、お金が稼げていない、というのも一つの結果。
自分の良くないところとして結構根深いのが、「壁に当たった時」にそれを乗り越えることが苦手ということです。
「これができるようになったらつぎはこれ!」みたいな形で前進していかない。今できることで満足してしまう。なかなか上達しない。新しい別のものに向かうことはまだできる方なんだけど、今できることをさらに深める、っていうのはとても苦手なんだよな。音楽でも文章でもそう。追究するのが苦手なんだな。ある程度まで伸びるのは早い自信があるけど。器用貧乏的な感じになってしまう。
日々勉強していかなければ。日々勉強していかなければ。
00399_怒りと笑い
怒られること、笑われること。ぱっと思いついた「人からされて嫌なこと」の二つです。
自分でウケ狙いで言ったネタが笑いを取れた、とかは別の話ですが。
怒られたくないし、笑われたくない。
多かれ少なかれそんな感情はあるのかなと思います。
いや、それでもこのレベルで偏屈なのはおまえくらいだよ、とか言われるとぐうの音も出ねぇな。
しかし、一方で「怒られてでも芯を曲げない、やり通す」「笑われても気にせず自分の道を貫く」というようなことにも憧れがあるわけです。
かっけぇじゃん。我が道を行く人。何かを極めてる人、とも言えるかもしれない。
やるべきことを決めて、それを深めていっている人はかっこいいと思う。
ところが自分自身はなかなかそうも行かなくて。
あれもこれもやろうとして、あれもこれもできず、失敗に終わり、余計に怒られ笑われという感じになっている。
誰でもない、自分自身が一番自分に怒って、自分を笑っている。
相反するあれこれをまるごと求めてしまっているのがよくないのかも知れない。
一つのことを極めたい、と思ったその口で、
いやでもいろんなことに挑戦し続けたい、とものたまう。
目指す地点がブレブレなんだ。もうずっとそうだ。
夢見がちで、面倒くさがり。
ずっとひとつの目標を信じて、努力を惜しまなければ得られたであろうことを、
移り気なせいで何一つ達成できない。
二兎追うものは一途も得ず、まさにその通り。
うーん、なんとなくネガティブになってきてしまった。
いや、自分への批判は忘れてはいけないと思うんだけど、やりすぎも良くないよね。
できることはやっぱり増やしていきたいんだ。
広く、深く、できるだけ大きくしていく。
日々成長だねぇ。