ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00468_書きたいことは書きたいうちに

書きたいことは書きたいうちに書かないと書けないという話。

さっきなんか書きたいネタ思いついたんだけど忘れちゃったんです。しょーもな。

いやでも、だからこそ、やっぱり忘れないうちに書いておくことが大事だと思うんだよ。

書きたいアイデアも気持ちの大きさも、結局刹那的なものなんだよな。

いつまでも保ち続けられるものはそれほど多くない。

保ち続けられるものはそれだけ重要だとも言えるかもしれないけど。

 

数年前書きたかった統合失調症体験談も、年単位で書いていてまだ途中だけど、書くエネルギーを失ってしまった感がある。

「本当は書きたいんだけどね」という思いもあれど、優先順位は決して高いとは言えず、その他諸々の優先順位の方が高かったりするものだ。

 

当時にもっとエネルギーを注ぎ込んでおいて、完成まで持ち込んでいたら違ったかもしれないな、とは思う。

もうずっと前からだけど「やりたい」と思うことに対して飛び込み切れない、やりきれない自分がどうしてもいる。ブレーキをかけてしまう。

踏み込みすぎる事への恐怖とか自衛であることは分かる。それでも、もっと踏み込んでいきたいな。少々のダメージをものともしないくらいのエネルギーが欲しいものだ。

 

書きたいことが変わることは避けられない。

書きたいことが変わっても、それは悪いことじゃない。

むしろ自然。万物は流転するのですよね。

変わらないことに固執してるのかもしれない。

変わらないことで信頼を得られるとも思っている節がある。

 

何を残したいのか。

何を変えたいのか。

この辺は自分で向き合って決めていくしかないよね。

00467_服が欲しい

寒く、乾燥してきましたね。冬辛いな。もう冬かな。

秋服買いたいと思っていながら冬になってしまった。

冬服も足りないから買おう……春服も足りないから買おう……夏服も……秋服も……

 

服、欲しいんですよ。

おっさんもオシャレをしたいんだ。

良い感じのジャケットとか着てお出かけしたいんだよ。

 

なのにねぇ、気が付くと他のことにお金を使ってしまっているんだ。

優先順位低いんだろな。自覚ないうちに。

 

あと「もうちょっと痩せたらジャストフィットの服買いたい。痩せてカッコよくなった自分!」みたいなことを考え、ダイエットが成功せず、結局服を買わない、みたいなところもある。

 

高いお金を使う、ということへの抵抗感も結構大きいですね。

安い服でいいじゃん、みたいなことも考える。

お金使うのもったいないよ、と思ってしまう。

 

ちゃんと良い服を買いたい。

00466_痛み

痛い思いをしたくない。

痛みに慣れることができない。

その瞬間はそれほど痛くなくても、思い出して未来にわたって無限に痛みが続く。

 

そんな時は「ああもう」「死ねよ」「クソが」みたいなどうしようもない独り言が出る。

 

痛い思いから逃げている自分を責める自分も声がでかい。

いつまでも甘えているなと、甘えてきた自分の自業自得を今受けているんだと、

うるせぇな、やめろよ。やめてくれよ。

分かっているから静かにしてくれないか。

分かってるくせに何も変わらないじゃないか、それは分かっていないってことだよ。

 

頭の中ではほとんど常に対話が行われている。

ある考えには反対意見が自生する。自制心を取っ払ってしまいたくなるけれど、それがなかなかできない。すべきでないのかもしれない。無根拠に現状を肯定する声も大きい。

 

どっちも自分なのに、どっちも自分でないような。

自分と自分が言い合っている間に自分がいて耳をふさいでいる。

自分しかいないな、自意識過剰だとまた声がする。

 

少し静かにしてくれないかな。

 

00465_よろこぶ

465番目の記事かぁ、と思ってちょっと思い出した話があり、書いてみようと思います。

もう15年近くさかのぼらなきゃいけないんだけど。

 

おっさんの私にも高校生だった頃がありまして、多くの生徒さんたちがそうであるように受験勉強にいそしんでおりました。

元々そんなに「どこの大学に行きたい!」とかはなかったんですけど、二年生の時にオープンスクール的なもので見学に行きまして、ものすごく心惹かれた大学がありました。

文句なしの難関大学だったんですが、こと勉強面については自信過剰だったこともありその大学を目指すことにしたのです。

 

高校では「一日15時間は勉強しなさい。そうやって先生は大学に入った」と繰り返されました。一応進学校だったので、周りの生徒たちも比較的高い目標を持っていたように思います。

親にお願いして、塾にも通わせてもらいました。

英語と世界史、ときどき数学。10年以上経ってほとんど抜け落ちてしまったけれど。

教師には15時間と言われたけれど、私には一日12時間が限界でした。一日だけ15時間やることができたこともあったけど、相当にしんどかった。今思えば休日にはほぼ安定して12時間勉強してたのも凄いと思うし、狂気だと思う。

 

高校時代は「早く大学に行きたい、できるだけ良いところに行きたい」という思いはありました。高校は楽しい思い出もたくさんあれば、辛い思い出も数えきれないほどある場所でした。逃げたい気持ちが強かったのは覚えている。勉強を頑張って良い大学に行けば幸せになれる、そんな古風な幻想を抱いていた。今ならそう振り返ることができます。

 

あと、東京に行きたかった。というか、大学生になったら東京で一人暮らしをするものだとばっかり思っていた。小学校から中学校に上がるのと同じくらいの自然さで、高校を出たら東京で大学生をやるつもりでいました。

 

それで、もりもり頑張った勉強の結果。1月のセンター試験を受けて。

目標の点数には届かなかったわけですね。数学が壊滅的でした。90点代を平均してマークで来ていたⅠAが60点。ⅡBも同じくらいで、得意科目に本番で裏切られて手痛かったのをよく覚えています。

それでも第一志望がC判定。先生の「このくらいの判定でみんな合格していくんです。大丈夫だよ」という言葉に励まされ、第一志望校に応募しました。

 

その後、いわゆるすべり止めになる私立を二校受験。

どちらも東京の大学でした。第一志望のことしか考えてなかったので、過去問もほぼ手つかずで乗り込みましたね。受かるとかいうよりは「試験の雰囲気に慣れる」事の方が目的として大きかった。

 

二次試験対策で論述を練習し、先生に持っていくこともしておりました。

結構基礎的な知識が抜けてしまっていて「大丈夫?」と聞かれたりしたけれど、試験前日には「しっかりできているよ」と励ましてくれた優しい先生方のことをよく覚えています。「本当は受かりそうに思えないんだけど、励まして置かなきゃいけないんだろうな」という感覚が、とても印象的だったんです。自分のことなのにどうしてあんなに冷めてたんだろうな。だって、自分が教師でも最終日には「おまえは大丈夫だ、がんばれ」って言うと思うもん。

 

そんな色んなもやもやを抱えながら入試本番を迎えます。

前日には「試験に勝つ、ってことでカツを食べよう」と、なかなか食べないカツが食卓に並びました。母さんありがとう。

 

上京して、試験を受けて、一泊して、二日目の試験も受けて。

力は出し切ったけれど、合格する自信はほとんどなかった。

駅のコインロッカーに荷物忘れたまま途中まで帰ってしまい、一時間くらい戻るなんてこともありました。あの時は一緒に受験した友人が助けてくれたっけな。ありがとう。

 

諸々の失意の中で地元まで帰ります。

母親が駅まで車で迎えに来てくれました。内心不安でいっぱいだったんだけれども、温かくねぎらってもらったような気がします。

 

「そういえば、私立の方の結果ってどうだった?」

私の方から母に聞きました。ちょうど第一志望の受験中に、私立の方の受験結果が発表されていたので。

母は嬉しそうに笑みをたたえながら

「合格だったよ」

と言いました。

「あなたの受験番号、465でしょ。よろこぶってなってるじゃない」

とも付け加えて。

 

あぁ、そうか。

聞いた時に思わず泣いてしまいました。

第一志望ではなかったけれど、頑張りが報われたというか、不安が和らいだというか、そういう嬉しさがありました。これで、少なくとも大学生にはなれる、みたいな。

 

結局第一志望の受験は不合格に終わり、私は465番で受験した私立大学に入学することになりました。

大学に入ってからも悲喜交々は無限にあったのですが、それはまた別の話。



大学受験、結果的に失敗に終わったんだけれども、その要因として思うところ。

まず、がむしゃらすぎました。まだ18歳の子供に言うのも酷かもしれないが、計画性なく「とにかく長時間勉強すればいい」というやり方だった気がする。闇雲だったと思う。この辺、今でもあまり改善されていないので、もっと計画的になっていきたいところです。

併せて「自己流」でやりすぎていたところ。これも、今も改善されないところなんですが。

あんまり人に相談しなかった。体系的に理解するというよりは、一問一答をリズミカルに答えるような覚え方をしていた。私立みたいな一問一答には強かったけれど、国立みたいな論述形式では太刀打ちできなかった。その原因の一つは自分の取り組み方にあったかもしれない。

 

でもまぁ、結果として入った大学はとても素敵なところだったので、後悔はないです。友人にも先生にも本当に恵まれた。人生で一番良かった時期、と思っていたこともあります。

 

でも最近、「今が一番人生でいい時期」と思い始めています。

当時は親に金出してもらって得た立場だったけど、今は自分で生活しているし。

なんだかんだで、自分は発達していて、今が一番いいんじゃないか。そんな風に思います。

これからも良くなっていきたい。よろこんでいきたい。

00464_普通をやるのも楽じゃない

普通をやるのも楽じゃないよねぇ。

日々環境は変わるし、自分の調子も変わるし。

ちょっと良くしようと思うと結構負荷がかかるし。

こんなにしんどいならちょっと考え直すわ……みたいになることもあるよね。

 

よくするには時間と労力とお金がかかるもの。

焦らないこと。焦ってまた疲れてしまうとかえって進みが遅くなる。

頑張ってることは認めていかないとな。

00463_統合していくこと

結構前から、今までバラバラになってたものを統合していくことが必要なんじゃないかな、と思っている。

 

仕事があって、プライベートがあって、プライベートの中でもAがあってBがあって、みたいに色々意図的に分けていて、それ自体は決して悪いことではない、普通のことだと思うけれど。

 

今まで色々好きなものに断片的に触れてきた。

文章を書くのも、メンタルヘルスも、音楽も、読書も、他の遊びも。

なんかうまいことつなぎ合わせたら、もっと面白く、もっと深くできないかなと思っている。

 

文章書いたり音楽作ったりして精神安定させる、みたいなことできないかな、って考えたり。

メンタルヘルスを題材にした文章や音楽を書いていけないかな、って考えたり。

なかなか具体的に進めるっていう感じにはならないんだけど。

 

ぼやっとしたイメージだけでも、文章化したら違うかもしれない。

頭の中で思い描くだけよりは、一歩現実に近づく気もする。

 

00462_浮き沈み

浮き沈みがあることは大前提なので、多少沈んでも気にしないことが大事だという話。

色んな人に言い聞かせてることでもあるので、自分が実践できねばと思う。

 

へこんでいるときの対処ね。長めに眠る。インターネットを控える。風呂に入る。栄養あるものを食べる。など。

 

全体としては良くなってきていると思うので、あまり悲観しないこと。

「社会適応していきたい」という気持ちは忘れていないし、これからも忘れずにいたいと思う。

今すぐに望むほどの適応ができなくても、焦らずにやっていく。

 

繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせていく。