00100_葛藤
最近、「ADHDと残業」というテーマで盛んに議論が行われているようです。
発端になったのは、借金玉さんのこちらのブログ記事のようです。
ご自身もADHDとのことで、様々な思いが綴られておりました。
この記事の影響もあってか、私もお世話になっているメンヘラ.jpのわかり手編集長も以下の記事を書かれています。
仕事のパフォーマンスの波について、数値化され体験談を交えて書かれています。
これらの記事を拝読し、私としては「今まで思いもしなかったことを知ることができ、よかった」という感想を持ちました。
私自身「残業は悪、定時上がりばんざい!」と思っていたフシがあります。上の記事を読んだ今でさえ「それでもやっぱ残業は嫌かなぁ……」という気持ちもあります。
ところで、上の記事に対しては批判的なご意見も多いようです。
わかり手編集長が続く記事で指摘なさっていますね。
この記事で紹介されている中でも、以下の記事は特に批判の論調が強いようにお見受けしました。
こちらの記事を拝読して、「なるほどたしかに、そういう考え方も出来るよなぁ」と思いました。
本当なら両者の意見を見やすい形にまとめつつ、それなりに結論っぽいものが出せれば良いのですが、私の力量ではそれは難しそうです。
あまり好きなやり方ではないのですが、「残業」について
1.必要と考える理由
2.不要と考える理由
を、上の記事の中からチョイスしてみたいと思います。
1.残業は必要
・仕事の出力に波がある(常に一定で同じパフォーマンスを出すことが難しい)
・残業が規制されると、効率の良い人間しか生き残れない
・出力に波があり、迷惑をかけるかもしれないが、ADHDの人にも特有の強みがあるなど、雇用するメリットもある。
2.残業は不要
・「残業が必要」と認めると必要以上の残業を強要される恐れがある。
・8時間労働だって十分長い。サービスでなくても残業は違法。
・無理に一定時間同じ出力で働こうとしなくても、配慮を求めるなど別の働き方もある。
なんとなく、こんな感じかなぁと思いました。色々抜けてる、おかしいところもあるかもしれません。すみません。
なんというか、どの意見も「私には否定出来ないなぁ……」って思うんですよ。
もちろん突き合わせれば議論はできるかもしれません。
「僕は仕事の出力が安定しないんです」→「なら正社員じゃなく障がい者枠で働こうよ」
とか。
「残業は違法だからよくないよ」→「でも残業しなきゃ他社に負けるよ。俺が違法になることで社員とその家族を救えるのならやむを得ない」
とか。
どの意見も「ある程度反論があることは分かってるし、自分の意見が絶対じゃないこともわかってる。それでもね、私はこれを訴えなきゃいけない理由があるんだよ」と言えるものがあるんじゃないかと妄想しております。
ご自身が「あぁ、自分は仕事の出力が安定しない人間なんだ」と考えるようになるまでどれだけの葛藤があったのだろう。他の社員と比べて同じペースで仕事ができないときもある自分。頑張れる時は頑張れるけど、頑張れない時は頑張れない自分。自分の意見を多数派にしたいとかそんなんじゃないけど、やりにくくなりそうなことについて愚痴くらいこぼさせてほしい。
今までどれだけ「帰りたいのに帰れない」思いをしたことか。ぐだぐだと職場に残ってどれだけイライラを詰め込んだことか。定時すぎて残業してるくせにヘラヘラ雑談してるあんたら、さっさと帰れよおれが帰りにくいだろ。こんなに働くことに時間取られたくないんだよ。それがようやく改善されようとしてるのに、どうしてそこにブレーキかけようとするかなぁ? もしかしたらあなただって残業しなくても済む働き方を探せばもっと短時間労働で幸せになれるかもしれないよ?
どっちの気持ちも分かるがゆえに、判断できないし、辛いです。
残業をしてでも仕事をがんばりたい! と考えるその気持ちも大切にしたい。
残業をしてしまうと仕事ががんばれなくなる と考えることも一理ありそう。
さて、ここでちょっと話を変えます。
「今回の件を受けて、あなたはどう考えますか」という話。
私の考えとしては
残業「禁止」か「許可」どちらかを選べと言われれば「禁止」を選ぶ。
でも上記記事を根拠に残業「肯定」か「否定」か、と聞かれたら「肯定」に投票する。
残業を禁止することにも許可することにも、どちらにもメリット・デメリットがあるようです。
考えれば考えるほど、両者を載せた天秤を読むことは、私には難しくなってきます。
結果、「何となく今の流れの「禁止」の方がしっくりくる」というところに落ち着きます。
で、それだけ書けばいいのになんで「でも」以下を追加したかというと。
単純な話で、残業「肯定」的な文章を書かれた借金玉さんやわかり手編集長さんの文章の方が個人的に好きだったからです。
残業があることが社会にもたらしている悪影響を理解している。
それが時に人の命を奪うくらい深刻であることもご存知。
知っているがゆえに、相手にも共感しているし、主張も低姿勢になる。
思いっきりバーンとぶちまけることもなく「愚痴」に留め、「我々も努力していきますので……」と低姿勢になる。
そのくらい、意見を言わなきゃ辛くなる心情にあったのだろうなと勝手に妄想します。
そこにあるであろう葛藤。言うことのリスクなども考える葛藤。その葛藤に敬意を表します。
周囲が残業しているから帰れない、とストレスを感じていた人たちが定時に帰るために
周囲が定時で帰るから残業できない、というストレスを別の人に感じさせるのかなぁと思います。
個人の価値観も、職場の状況も、それぞれ。
一様な結論なんて、そりゃあ簡単には出せないですよね。
そんなことはわかってるけど。
それでも、多少乱暴でも自分の意見を言いたくなるくらい、労働時間の問題については日々思うことがあるんだよ。
そんな声が聞こえてくるような気がします。
これからも色んな人の意見を聴き、葛藤していきたいと思いました。
ところで、今更ですが、今回の記事が当ブログ100記事目のようですね。
ありがとうございます。
これからも色々な記事を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。