ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00325_解像度を上げていく

 ベストセラーのビジネス書『嫌われる勇気』では、「世界はシンプルなのに、思考が世界を複雑にしている」という旨の文章がありました。

 今回の記事ではその逆、つまり「現実は複雑なのに、思考で世界を単純化していないか」ということを考えていきたいと思っております。

 

 ある人のことが好きだ、と思っているとします。

 話が面白いし、文章はうまいし、カリスマ性があったり、それでいてどこかお茶目な点があったり……などなど。自分としてはその人のことを「好きだ」と思いたい。

 でも。いい人なんだけど、凄い人なんだけど……と、口を噤みたくなる部分も、ないわけではないのです。自分より劣る相手を見下したり、特定の話題になるとやたらと攻撃的になってしまったり……もっと単純に「声がイヤ」「見た目が嫌い」なんていうこともあるかもしれません。

 

 そんなとき、「ちょっと嫌なところもあるけれど、この人のことは「好き」でいなきゃいけないから、目をつぶろう」とか、そんなこと考えませんか?

 私なんかは、ともすると

 

「この人は人と衝突しやすいところが好きじゃないんだけれど、それはきっと私が争いを避けすぎる傾向があるせいでそう感じるので、相手の方が普通なんだ」

 

 という風に考えてしまいがちです。

 この考え方の良くないところは、「つまり自分が普通ではない、劣っている」という考えにつながりやすいところです。「相手はすごい人、すごい人を認められないということは自分が駄目」という安直な考え方で自己否定を深めてしまいがちなところです。冒頭で申し上げた「思考で世界を単純化している」というところとつながってきます。「相手はすごい」という一点だけを頼りにして、その他の諸々を切り捨てたり、覆い隠したりしてしまう。それはなんというか、あまり適切な理解の仕方ではないように思います。

 

 「この人はこういうところはいいけれど、こういうところはだめ」という風に、自分が感じたことをそのまま自分の中で整理していくことが大事なんじゃないかな、と思うのです。そんなことを、人間を理解するための「解像度」を上げていく、という風に呼ぶのがいいかななんて思いました。白と黒だけじゃない。好きと嫌いだけじゃない。グレーだってあるし、グレーの中の濃淡をきっちり見分けていくことができる。そういう能力が必要なんじゃないかと思うのです。複雑な実態を、そのまま受け入れることができることが大事なのでは、と。

 そうすることができたら、他の人の悪いところが目についたりする時でも、自分の考えを抑圧したりしなくて済むのでは、なんて思います。相手に対して反論を思うこともできるかもしれません。

 自分の気持ちに素直になる、という意味では、世界をシンプルにするという『嫌われる勇気』の文脈とも近いものがあるかもしれませんね。世界をシンプルに見るために、世界の複雑性をそのまま受け入れる、そのために世界を見る「解像度」を上げていく。好き嫌いだけじゃない、複雑な世界と感情を整理していけたらいいのかなぁと思いました。