00333_牙向くなかまたち
朝、ぐるぐると考え事をしている中で受信したキーワードが「牙向くなかまたち」でございました。
語呂重視。あと、何となく矛盾したものくっつけると興味をそそるのではないかという考え。
どんなことを思っているかと申しますとですね、世の中は「敵」「味方」では分けられないのではないかということでございます。
この人は「敵」だと思う。嫌いだ。
でも、その人が時に正しいことを言うこともある。
その人を否定したい。
でも、正しいことなので否定できない。
とか。
この人は「味方」だと思う。思いたい。
でも、その人のせいで損することもある。
間違ったことを言うこともある。
それを否定できない。
でも、同意することもできない。
とか。
そんなことを考えていて、白黒つけられる敵味方って、なかなかないなって思ったのです。
戦争とかでもしていれば話は別かもしれませんが。
人間関係が戦争的という人もいらっしゃる中で、こんなことを言えるのはある意味自分が戦争的人間関係に巻き込まれていないからかもしれませんが。
どうしても、白黒つけたい性格のようで、人間関係のスペクトラム、グラデーションを理解するのが苦手です。
こいつ嫌な奴だけどこういう時便利だから頼ろう、とかがすげぇ苦手なわけ。
もっとするすると人とつながれる人間になりたい。
どうもきっと、自分は「味方」とかいうものに過大に期待している節があるなと思った。
味方だから何してもいい、と思っている節がある。
味方だからこそ、間違ってるときは正してくれるし、気さくにものが言い合えるというのもあると思う。
そういう意味では、本当の味方って私には少ないのではないかと思ってしまう。
さて、そろそろ「なかまたち」に着地しなきゃ。
世の中には「敵」も「味方」もいなくて、みんな「なかま」という結論。
おめでたいねぇ。なんとも私らしい。
と、皮肉って考えてしまいがちなのだが。
ほら、アドラー先生も「人々はわたしの仲間であるという意識」が必要って言ってたじゃない。
自分自身がまだ、感覚的に受け容れられていないけれど、人々は仲間だし、仲間だけれどもケンカすることもある、うまくいかない相手でも仲間だ、ということは覚えておきたい。