00415_美しさを信じられず
美しさを信じられないという話。
何かを信じるということは、別の何かを信じないということでもあると思う。
正しいこと、美しいことを信じたいと思う一方で、間違っていること、醜いことに心を引かれることもある。
完璧に信じ切ることなど不可能だ、というような論旨から正しくないことに考えが流されていく。どういうわけか行動に移せず間違ってばかりしまう自分でいる。
ある美しく正しい物言いを前にして、それを信じたい気持ちよりシニカルな気持ちが前に出る。そんな自分に気づいてさらに嫌気が刺す。
美しくなくていい、正しくなくていい。
そうかもしれないけど、それは「醜く間違ってもよい」とは必ずしも一致しない。
正しさを信じる気力・体力に恵まれているときは前向きでいられるけど、そうでなくなったら途端に自分を責めるんだ。
躁鬱する自分に疲れる。心穏やかにありたいと思う。
関係ないけれど、「誰かに頼らなければ生きていけない」という状況になることに恐怖を感じる。
「一人で生きていけるようになりたい」という気持ち。
「誰かに迷惑を掛けられたくない」という気持ちでもある。
寄りかかる恐さ、身体を預ける怖さがあるんだ。
だってそれ、簡単に失われるかもしれないものだ。
そんな脆いものに自分を預けるとか、恐くてできない。
そんな気持ち。
そんなこと言ってるから孤独になる。
誰にも自分を預けられないのに、深く分かり合える誰かが欲しいと思っている。
与えずして受け取りたい。そんなに都合よく世の中はできていない。
そこまで考えてからの逆説。
孤独、そんなに苦しいものではない。
絆もきっと、そんなに良いものではない。
孤独も絆も関係なく、楽しもうと思えば人生楽しめるし、苦しみ始めればどのみち人生は苦しいもの。
孤独とか絆とか、人間関係の問題を過大視しすぎているんじゃないかな。
常に心穏やかにありたい。