ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00427_しゃべる、きく

タイトルを「しゃべる、きく」にしようか「きく、しゃべる」にしようか思案。

喋る菊と聴くシャベル、どちらの方が面白いかなとか考えてました。意味不明な妄想ですね。

 

またコミュニケーションの話を。

コミュニケーション、どうですか。得意ですか。すごいですね。苦手ですか。そうですよね。私的な感想を述べると、「自分にとって一番楽しいものはうまくいっているコミュニケーションで、自分にとって一番つらいものはうまくいかないコミュニケーションだ」ということを思います。

 

楽しいコミュニケーションは無限にやっていたいくらい楽しいですが、苦手なコミュニケーションは一刻も早くその場を立ち去りたい、その場にとどまるだけでもかなりの消耗を強いられる苦行となります。

 

しかも、往々にして自分が楽しいと感じているコミュニケーションというのは、相手にとって楽しくない、負担である、自分にとってほど楽しくないものであります。

コミュニケーションが苦手だと、相対的に楽しいコミュニケーションの量が減ってしまい、たまたま楽しいコミュニケーションに巡り会えた時に楽しみたい気持ちが暴発してしまいしゃべりすぎる、的な現象が発生しているんでしょうか。

 

やっぱりですね、せっかくなら自分が楽しいだけじゃなくて相手も楽しんでくれるコミュニケーションがしたいわけですよ。わかる。頭ではわかってる。

でも、じゃあ、どうすればいい。

しゃべりすぎず相手にもしゃべってもらう。そうだね。

相手と自分の共通点について話をする。そうだろう。

完璧なコミュニケーションなんてないんだからそこまで期待しすぎるな。なるほどそうかもしれん。

 

冒頭の話に戻ると、コミュニケーション得意とか苦手とかの話ですが、「特定の話題に関しては相手を思いやったりバランスの良い会話のキャッチボールができるけど、そうでない話題では難しい」みたいなこともあったり、「特定の相手とは話せる」「特定の環境でなら話せる」みたいなのもあるのかもしれないな。

 

これは以前にも人からご指摘いただいたことがあるんだけど、私にできるコミュニケーションって、とても表面的なものでしかないという自覚があります。

相手に失礼のないように、年齢を聞くのはやめよう、職業とかも難しいかな、結婚してるのかとか聞けないよな、家族構成とかどこに地雷あるか分からんしな……などなどが重なり、挙げられる話題が「今日はいい天気ですね」くらいにとどまってしまう、みたいな。

相手が「答えたくないかもしれない」みたいなことを思うと凍り付いてしまう。頭が真っ白になるね。思い出すだけでちょっといやな気分になるわ。

 

もっと深いコミュニケーションとか、何でも話せるみたいな相手とか、そういうのがしたい。どうしてこんなに堅苦しいコミュニケーションしかできないのだろう、と苦しくなる。もっと気を遣わずに生きていきたい。気楽そうに見えていても、実はけっこうしんどいんですよ、これで。

でも、だから怠けていいというわけではなくて、もっとエネルギー配分を正しくしたいわけなんだよな。同じエネルギーを使うことなら、無意味に自分を束縛するのでなく、人と関わるうえで有益なほうにエネルギーを使いたい。うーん、うまく言葉にできないけど、そういう感じ。

 

みんなコミュニケーション結構楽しそうにやってる風に見えるし、いろんな人たちと深い関係、広い関係を持っていたりするように見える。だから、そういうコミュニケーションがきっと存在して、自分もそうできるようになりたいと思ってしまう。

 

でもな。もしかしたらこれも「思い込み」なのかもしれない。楽しそうに見えるコミュニケーションの裏には自分が費やしている何倍ものエネルギーが投下されて、その燃焼の共同作業であるからあんなに輝かしく見えるのかもしれない。ゆえにコミュニケーションの当事者はそれほど楽しい思いをしてない、とか。楽しくないかどうかは別として、労力はかけてるだろうなと思う。きっと今までいろんなコミュニケーションをして経験を積んできたんだろう。身なりを整えたり、ふるまいに気を付けたり、そういう部分だって自然とこなれてできるほど注意しエネルギーを費やしてきたはずなんだ。だからやっぱり労力はかかるわけだよ。

「深い関係」に見えるものも、実は私の思うほど強固じゃなくて、実はお互い緊張感があったり、そこまできれいごとばかりではないのかもしれない。うらやましそうに見えるのは、「隣の芝生は青く見える」のことわざ通りなのかもしれない。確かに隣の芝を青く見る癖、自分には結構ある。

 

そうなんですよ。これだけ色々書いてきたけど、自分にもたくさんコミュニケーションをしてくれる友人たちがいて、バーに来てくれたり、一緒に遊んでくれたり、悩み相談に乗ってくれたりする人たちがいるんだ。その人たちを差し置いて、自分はコミュニケーションが苦手でもっと友だちがほしい、的なことを言うのは違うんじゃないのか。

 

色々考えを通して、何度も通った結論だけど、やっぱり今関わってくれている人たちを大切にしたい。30年も人間をやっているのにいまだに未成熟なことこの上ないのだけど、今後も良くしていただけると幸いです。