ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00553_相談と解決

相談は誰にどのようにすべきか。

色んな悩みを抱える人がいて、解決したい気持ちは切実だと思う。


「夜眠れない」は、精神科医でいいと思う。

眠剤の処方とかで解決もできると思う。


「辛いので話を聞いて欲しい」

これは「どんな話か」によって相談先を選ぶよね。

自分は何に悩んでいるのか、それは明確にした方が相談される方も話しやすいと思う。


色々な悩みを思い浮かべてみて、公的なサービスで悩み相談、と言うよりは、身近な友人とか家族とかに相談した方がいいのでは、と言う気持ちになってきた。


「友達とうまくやれない」とか

「恋人ができない」とか

「給料が少なくて生活が苦しい」とか


パッと思いつく相談したいことって、身近で解決した方が良さそうなことが多い。


しかし、人に相談するのって、私にとってはとてもハードルが高い。

「あいつ、こんなことで悩んでるのか」って見下されるような気がして恥ずかしい。

「あの人、こんなことで悩んでるんだって」って噂されそうな気がして恥ずかしい。

相談には何かと「恥ずかしい」と言う感情がついて回るように思う。

本当は悩みを抱え続けて、ずっと苦しんでいる方が恥ずかしい状況なのに。

どうして言えないんだろう。言って解決できないのが辛いのか。

00552_怒りについて

今日もTwitterでは怒りが溢れている。

新型コロナウイルス感染症に関連した怒りはもうずっと前から続いている。

最近では、ミュージシャンの優生思想を窺わせるツイートに多くの怒りが書き込まれた。


なるほど、確かにおかしいな、と思うこともあれば。

別にそこまで怒らなくても、と思うこともある。


ちょっと怒る方を宥めるようなことを思うと、

「怒るべきことにちゃんと声をあげないのはおかしい」

「問題を真剣に考えていない」

と言う声が聞こえてきそうだ。


「この問題、発言するほどしっかり調べたり考えたりできていない。なので発言を控える」と言う選択肢を、いろんな問題で取ってきている。


別にそんなに深刻に考えなくてもいいのかもしれない。

発言しないことで、かえって対話のスキルが培われていない気もする。


Twitterでのやりとり、あんまり建設的にできるものだとは思っていなかったんだけど、相手とコミュニケーションの仕方によってはある程度成り立ちうるものなのかもしれないな。


最初から対話を諦めてしまうのはもったいない気もする。

しかし、対話をするのであれば、それ相応の情報収集とか、論の構築とかをしないといかんよね。

意見を持つには、それ相応の情報量を持っていないといかん。それは間違いじゃない。


結局、今まで何事にも無関心だったんだろうなと思う。

発言するに値するだけの関心、持ってなかったもんな。

今でも「そんなに怒らんでも」と言う気持ちは結構つよい。


「怒ること」について、自分が過剰に考えすぎている、と言うのはあると思う。

自分の考えだと、声を荒げるほど怒る時って、対象を壊したりとか殴りかかったりとか、そう言うのも厭わないレベルでの感情の発露だと思っていたんだけど、そうでもないのかもしれない。

相手が正しくて自分が間違っていると思ったら謝るとか、そのくらいのレベルでも怒ってもいいのかもしれない。

 

「怒ること」って具体的にどう言うことかと言うと、多分言葉・表現が強いことが大きいと思う。

「そんなこと言うんじゃねぇよバカ」よりは「そこまで言わなくてもいいんじゃないかと私は思います」の方が怒り感は低いし「もう少しマイルドな言い方でもいいかもしれませんね」とかなら怒り感は低くなる。


結局、感情のぶつかり合いが苦手なんだなと思う。

自分自身抱えている感情は大きい方だと思う。感情的になると見失うこと、結構多い。だから普段から感情的になりすぎないよう気を付けている。

でも、そこまで気を付けなくてもいいのかもしれない。

いきなり120%開放じゃなくて、60%くらいずつオープンにしていくことを身に付けないといけないなと思う。オープン、クローズの二択しかなくて、結局クローズしっぱなして息苦しい、そんな現状にあるからだ。


自分は他人の感情を、実際以上に大きく見積もってしまう傾向にあると思う。

相手、別に言うほど怒っているわけじゃないかもしれない。

怒っているからと言って、完全に感情を閉じたり対話の余地がなかったりするわけじゃないかもしれない。

別に怒っていても、そんなに騒ぐほどのことじゃないのかもしれない。

怒っていることを気にしすぎる。これは自分の悪い癖だと思う。

直したい。


自分自身も、怒っている時の振る舞いをもう少し見直したいな。

結構完全に閉ざしてしまいがちだから。

怒鳴らないようにと思うとあんまり冷静に考えられなくなるから。


対話には出来る限り誠実でありたいよ。

00551_ポケモンとTwitterをやめたい

最近、ポケモンばっかりやってる。ランクバトルやるけど全然勝てず負けてばかりでかえってストレスがたまってしまう。

Twitterも最近ちょっと雰囲気がとげとげしくなっていて見ていて疲れることも増えてきた。

 

やめたいなぁ。

なのにどうしてやめられないんだろうなぁ。

 

立派な依存なんだと思う。

 

しかし、「もっと建設的なことに時間を使え。運動とか勉強とか創作とか」みたいな観念が強すぎるんじゃないか、とも思う。

 

健康に長生きしたいんだろ、金を稼ぎたいんだろ、良い作品作りたいんだろ。

そうならそれ相応の努力をしろよ。

 

そんな思いだ。バランスの問題はあるにせよ、間違ってはいない。

強すぎるなら弱めた方がいいと思うけどね。

 

喚いても自分は結局自分なので、できることからやるしかないが。

 

適度に間隔を開ける、できる時はできるけど。

依存っぽくなると、かえって止めるのが難しい。

一度やめちゃえばしばらく辞められるんだけどな。

 

「ちょっとくらいやってもいいじゃないか」

と思ったが

「そういう所からまた依存が始まる」

とか思い

「そんな風に過度に目くじら立てることの方が問題」

とか思い、今日も脳内は忙しい。

 

「脳内がうるさいのは悪いことなのか?」

と、新しい問いが浮かんだ。

悪くないのかもしれない。これもまた生き方か。

んー、でも考えがブレがちなのは何とかしたいなぁ。

整理しよう。やるべきこととか。

 

ポケモンで対戦勝てるようになる、とかもまぁなりたい姿といえばそうかもしれないけどね。

「ゲームなんてくだらない」みたいな思いはやっぱりあるのかもしれない。

情報収集して、PDCA回して、スキルアップしていく。みたいな経験にするのであれば、全然役立つとも思うし、単純に楽しさで元気になれるみたいなのもあると思うし。

00550_どんなスキルでも磨いていけばそれなりに役に立つんだと思う

具体的なスキルではなくて、根本的な生き方とかの話になるのかもしれない。

何をやってもうまくいかないとか、だいたいなんでもうまくやれるとか、色んな人がいると思う。

自分はどうかと言うと「おおむね覚えるのは早いが、天井に当たってから壁を突き破るのがとても苦手」みたいな感じだと思っている。

細かく言えば最初から全然できなかったこともあるけどね。リフティングとか。

サッカー本当に苦手。大人になってやる機会なくて本当に良かった。

 

あと、長期間没頭するとかが苦手。

一日に長時間やるのも無理。飽きっぽい。どんなに好きなことでも一日中は無理。

 

そう考えると、ある程度やりたいことを並列で進める方が自分には合っているかもしれない。

まとまった時間を取らないと身につかないこともあるから難しいけどなぁ。

 

生活のルーチンの中に組み込めばできるようになることも多い。

継続は力なりだ。

00549_うまくいくのかよく分からないけどもうちょっとやってみようかと思うよ

上手くいかねぇなぁ、と思案していることが諸々あります。

いやぁまじでセンスがないぜ。こんなに上手くいかないことってある?

一応最善だと思われる判断を積み重ねてからのこの結果だ。


ちょっと虚しくなると「なんでこんなこと頑張ってるんだろう」と言う気持ちになることがあるのですが、逆に「これ頑張れないって言うことは他のどんなことも頑張れないんだろうな」と言う変な義務感になっていることもあります。


あまり大きく考えすぎず、楽しくやれたらいいのかなぁと思う。

とりあえずもうちょっとやってみようかと思うよ。

00548_金くらいしか欲しいものがない人間にとって、金の価値は低くなり、結果金はたまらない

お金欲しい、なんて最近思うことが多くなりました。口にすることも増えた気がする。まぁはしたない。

いや別にお金欲しいのは悪いことやないやろ、はしたないとか思う方が現実を見られていないんや、そうだそうだ!

今日も脳内はうるさいですねぇ。


お金手に入っても特に何かしたいわけでもないんだろうと思う。

強いて言えば、「大金が入っている通帳の残高を見たい」くらいの欲求はあるけれど、その他の用途があまり思い浮かばない。思いつくものは、頑張れば今の貯金でも買えるものばかりである。


お金って何かと交換して初めて価値を発揮するものだと思うけれど、特に何かと交換したい気持ちはあまりない。

そのくせ、お金を使うことに関しては結構な罪悪感、疲労感が伴う。

本当つらい。ずっと欲しかったものを買う時、いつか絶対買おうと思っていたものがついに手に入るその瞬間、嬉しさよりは心労の方が大きい。「またお金を使ってしまった」みたいな気持ちがつらい。


何かをしたいからお金が欲しい、と言う人よりも、私みたいな「特に使う予定はないけどなんとなく金が欲しい」と言う人は、相対的に金の必要性が低いんだと思う。


あぁ、結局あれだ、意志の弱さが問題なのだ。結局は。悔しいなぁ。結局持ち得た心以上の生き方などできんのだ。まぁそりゃそうだよな。


そんなに悲観するほど現状が悪いわけじゃなくない? 努力の結果手に入れた幸せな状況じゃない? そうなんだよ。世間はこんな状況だけど、自分自身に限って言えばそれほど悪いわけじゃない。夢を見すぎて目の前の幸せを享受できない、そう言う話もよく聞くことだ。まずは現実から、目の前から。

00547_滑稽に見える所作も本人は明確な理由に基づいて取っていることが多い

悩みに悩んだ末に取った行動が、周囲から見てとても滑稽に見える、なんていうことは良くある話。

思いつめると正常な判断ができなくなる、というのは自分もそうだった。

 

こういうとき、「周囲からは滑稽に見えるからやらない方がいい」なのか、「自分が明確な理由を持っているんだから自分がしたいことをした方がいい」なのか、ちょっと分からない。

自分は割と周囲の目を気にしがちな人間だと思う。

そういう人間こそ、本当に切羽詰まった時にとる行動は破天荒だったりしてしまう。

そんな風になる前に人に相談すればよかったのに。

 

他人が「こうしたらよかったのに」と言うようなことって、だいたい本人も自覚している。それでもその選択肢が取れないのには理由があるんだ。きっと本人にしか分からない奴で。

 

そもそも正常ってなんだろう。正常な判断しかしない人間は果たして正常なのか。

正常な判断をしなければいけない理由はあるのか。

 

結局言葉でうまく切り取れる事というのは少ない。

どんなに丁寧に切り取ろうとしても、漏れや反証が出てくるし、正しいことを言おうとしたら「生き物は必ず死ぬ」くらいの抽象度合いでしか語れなくなってしまう。

もっと具体的なところの、生々しいことを語っていきたいものだが。

 

こんな風に正常だとか異常だとか、そんなことにこだわるのも随分滑稽に思えるな。

なんでか分からないけど、こういうことを考えてしまうんだよな。