ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00601_汎用スキル

何をやるにも必要なこと、というのがあると思う。

日本で生きるなら日本語ができることがかなり必要とされる、みたいな。

そういう感じの。

汎用スキルを磨けば、なんでもやりたいことができるかなと思って。

まぁ、汎用であるとはいえ万能ではないので、

他のスキルと組み合わせなきゃ活かされない、とは思うけれど。


パソコンができると、曲が作れて、家計簿の計算ができて、人とコミュニケーションが取れる、みたいな。


とはいえ「汎用スキルを身につけよう」と思って身につける、というよりは、別のことをやっているうちに前提となる汎用スキルが身についた、みたいな感じだと思う。


小説を書こうと思って毎日PCで多量の文章を打っているうちにタイピングが上手くなったり、エラー対応ができるようになったり、調べ物やまとめが上手くなったり、そういうのが仕事に生かされたり、みたいな。


やってみたいことがあったらどんどんやってみるといいんだよな。

そこから身につく汎用スキルがあるんだろうと思う。


スキルとは言ったものの、ずっと忘れずに使えるかというとそうでもなくて、結構環境に依っているものもあると思うんだよな。

人を頼る、みたいなスキルが自分には足りないなといつも思っているんだけど、

今生きている環境は大変ありがたいことに相談しやすい空間にある。コミュニケーション量が多いし、話を聞いてくれるし、みたいな。


環境を自分で作るということも大切なんだ、とどこかで聞いた。

そうだと思う。

自分でやりたいことをやり続けられる環境を作る。

自分が心地よくいられる環境を作る。

持続可能な環境を作る。

やろうとしていることは地球と同じか。

00600_意志の決め方

600記事、キリの良い数字となりました。

たくさん書いてきたなぁ。

なんかこう、やっぱりインターネットポエムにすぎないものが多いのだが。

まぁそれもいい、そういう人生だ。

支離滅裂であっても、文章を紡ぐ力があると言うのは幸せなことだから、引き続き細く長く続けていきたいものです。


今日は意志の決め方、ということについて考えたい。

「自分がどうしたい」のかを考えるのはなかなか難しい。

極論を言えば、

「働かずに大金が欲しいです!それが私の意志!」

みたいになっちゃうと言うかね。

いや、そんなんできるわけないやん、ってところに自分の意志があるような気がしてしまう。

統合失調症は現実検討が苦手、と言うことも言われる。

あるあるだな〜と感じながら解説ページを見ていた。

非現実的なうぬぼれ、全て他人任せ。

どっちにも心当たりがあるものだ。


現実的に意思決定したいな。

常に「その考えは現実的か?」と問いを入れる。

いやでも、調子に乗ってる時には現実的に思えてしまうし、あと自問することすら忘れてしまうからな。


紙に書いて日々確認する。

いいやり方だとわかっているけど、結局これまでも挫折してきたなぁ。

もう少しやりやすいやり方にできないものか。

スマホのメモ確認、とかにしても無理だったからな。


ツールとか手法の問題というより、

考えが自由じゃなくなる感じが好きじゃないんだろうな。

妄想が自由、というのは、現実的なことがしにくくなる、というのと繋がっている。

難しいなぁ。


甘い考えを捨てて覚悟を決める。

どうしたらそういう意志が持てるか、結局のところ模索中だなと思った。

00599_必然

色々な必然を思う。

偶然のようにも思えるけれど、今ここにいることも必然なのだなと。

「自分を変えたい」と言うのはあるけれどそろそろある程度の諦めも必要で、

「そろそろ諦めよう」って何年も言っていて往生際が悪い。

つまりその、中途半端を今後も続けてしまう人生になる可能性が高い。

色々理由をつけてバランスを取ろうとしてしまう自分の性質の帰結として必然。


そんな感じの必然。


まぁそれも悪くないんじゃないの? と言う考え方ももちろんあるし。

それもそうだと思うよ。


自分の主観ではバランス取ろうとしてるつもりで、

客観的に見れば全然アンバランスだよ、

と言うツッコミを想定すればぐうの音も出ないね。

だいぶ偏ってるよな。うん、そんな気がする。


そしたらさ、自分で納得できるくらい突き抜けるしかないんじゃないかなと思う。

案外もっと気楽でもいいかもしれないよ。

 

00598_負荷

キャパシティオーバーの負荷を負えば潰れる。

キャパシティオーバーだと思ったら逃げることが大切。


もうちょっと頑張れば突き抜けられるんじゃないか、と言う思い。

がんばらせる誘惑。


HPの残量もストレスの攻撃値も可視化されない。


人によって負荷へのキャパシティが違うんだなと思い知らされる。

その人にとっては負荷ではない、と言うこともあるんだろう。

自分が当たり前にしていることが、実は多くの他人にとって非常にストレスフル、なんてことはありそうにも思える。


結局、自分が負える種類と量のストレスを負って、今の生活のバランスを保っているんだと思う。

みんなそんな感じだと思う。

短期的に誤魔化せていても、長期的にはじわじわ失われているものもあるんだと思う。

そうでなくても寿命は失うしな。


何かの比喩で人生を考えるのではなく、

今までの人生をもとに今後の人生を考える。

人生は船旅だと例えたくなるけれど、やっぱり人生は人生なんですよ。

人生が船旅っぽいんじゃなくて、船旅が人生っぽいんですよ。

そう言う順序。

00597_1月が苦手

毎年、1月が苦手です。

過去に色々なことがあったのが、思い返すと1月だったなぁという理由で。

インフルエンザもらったりとか昨年のコロナの禍中で発熱したりとか(陰性だったんですけどね)、そう言うものもあれば。

自分自身の統合失調症発症や、弟の自死も1月でした。


最近、久しぶりに弟の出てくる夢を見たんですよ。

実家の布団でゴロゴロしてスマホでも見てるような、リラックスした姿で。

夢の中なので違和感も抱かずに「あぁ寝てるな」って思ったくらいだったんですけど。

それを尻目に祖母が「わしはもう死ぬんだ」なんて言ってベランダへ向かおうとしていて。

ばあちゃんそれはあかんよ、と抱え上げるなどしました。

悪いことをしようとする甥っ子を抱え上げるときの感覚と少し似ていたように思います。

祖母自身も実はもう亡くなっているんですけどね、夢の中だとそういうのに違和感がないわけで。

それでも宥めるように「生きていかんといけないからねぇ」なんて話をしました。

抱え上げたりするまでは穏やかに声をかけれたんですけど、「生きないといけない」と言う話をするときは泣いてしまっていました。


泣いてしまって目が覚めて、夢はそこで終わりです。

せっかく弟出てきたんだから、彼とももっと喋りたかったな。


こんな夢を見るのも、やはり命日近くだからでしょうかね。


自分が「生きなければ」と言うことを考えるようになったきっかけは、

弟が自死したことです。

自分自身も精神を患い、生きることに希望が見出せなくなっていた時期もありました。

思えば精神を患う前から随分厭世的でした。今も十分に克服されたとは言い難い。

最近は体調面も安定してきたとはいえ、自分のルーツになっているのは自身の不調と弟との離別という「当事者体験」なのだ、と再認識しました。

一応精神保健福祉士の資格を取得し、対人援助職としてそれなりの年数を過ごしてくる中で、自身の当事者性についての考えが弱まっていた気がします。

体調も安定してきてるし、という理由で。

私情を仕事に持ち込むべきでない、と言う理由で。

当事者と専門職は違う人間だからこそ支援が成り立つ、と言うことを考えて。


しかし、そうしたところを振り返るきっかけとなったように思います。

当事者も専門職も一人の人間、それぞれの環境と歴史があり、今がある。

そんなこともよく思います。

この考えは自分の基礎だと思うので、深めていきたいと思っているところです。

日々の振る舞いの糧になるかもしれない。

 

そんなことを考えている日の夕方、公認心理師の登録証が届きました。

これで晴れて公認心理師を名乗れます。


名乗れると言うことは、それ相応の働きを期待されると言うこと。

今まで以上にスキルを磨いていかなければならないと言うこと。

心理師としても十分に、信用を得て対価を頂くに値する仕事ができるようになりたい。

具体的にどういうことか。

日々安定して働けること。

関わり方を根拠をつけて説明できること。

クライエントのため、を中心として動けること。

などなど、できるようにしたいことはたくさんある。

まだまだやりたいことはたくさんだ。頑張っていこう。

 

最後に、本記事のタイトル「1月が苦手」と言うことですが、

今年の1月はそれほど大きな波乱もなく過ごせています。

支えていただいている皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。

00596_駄々こねこね

一年も半月くらい過ごすとこなれてくる感じありませんか。

今年の目標! とかって意気揚々と掲げたことがしんどくなってきませんか。

分かって下さる体で話を進めます。

なぜなら私が今その状況だからです。

2022年って響きになれるより先に心身が日常になりました。

意気揚々とがんばれないねぇ。自分を責めがちだ。

それでも毎週末トータル一時間くらいはギター弾いてる気がします。

えらすぎる。えらすぎることにしておこう。おれはえらい。

当初の予定ではなぜうまくいかないのか検証し改善するステップに進むはずだったのだが、まずはとりあえず出来た自分を認めることも大事だろう。

厳しいばかりだと続かないからな。

 

いやぁーめんどくせぇ、めんどくせぇよぉ。

めんどくささの一番いい解決法って「とにかくやれ」なわけですけれど。

「嫌だ!」という自分の中の子供の心が出てきますね。

 

何か報酬を設定したらいいのかな。

そういえば目標設定して、それを達成した時にもらえる嬉しいもの、みたいなのないもんな。

やり終わったらおやつを食べていい、とかそういうやつやりたい。

しかし、ありがたいことに日々おおむね自由に生活している手前、そういうのを設定しづらい。何の努力も代償もなくやりたいことしちゃうから、現在からみれば不当に奪われ努力を強いられている感覚になりそう。

 

あれもしたいこれもしたい、って頭の中でイメージするばかりで、

結局ほとんど行動に移さないのどうにかしたいですね。

中途半端に言葉にしてしまって他の人に伝えてしまうなどして、

未来の自分が過去の発言に拘束される感じがしてしんどいこともあります。

いやでも、やるといったことはやろうよ。信頼ってやつだよそれは。

 

目標通りに行かないのはやりたいことが移り変わっちゃうから、というのもありますね。

熱しやすく冷めやすい。興味が移り変わっちゃう。

だから冷める前に完結するくらいの目標建てをするとよいのかもしれない。

一息でしっかりやれること、をまず考える。

とりあえず今日もギターは弾きます。一分間カッティングをやろう。BPM120でいつものコード進行をやろう。うだうだ言ってるうちにちょっとモチベーション出てきたな。

 

「言いたいだけだから」「言って満足した」という事をちょくちょく耳にするのですが、

そういう気持ちも少しわかるような気がしました。

「やりたくねえー!!!」って駄々をこねてしばらくすると気持ちがスンっとして最初の一歩くらい取り掛かれることもあるかもしれません。試してみよう。

00595_2022年

明けましておめでとうございます。

本年も何卒宜しくお願い致します。

 

年頭恒例、今年の抱負を考えていきたいと思います。

このブログも長くなったもので、2017年から毎年新年の記事を書いてます。

すげぇなぁ。塵も積もれば山となる。

5年分見直してみましたが、第一印象が

 

「自分、変わってないな」

 

ということでした。

当たり前と言えば当たり前なんですけど。

まず、「毎年決意を新たにして抱負を書こう」ということを続けるあたりが変わらない。

心機一転、というのが好きなんだなと思う。

未来への可能性とか希望とかで突き動かされやすい部分が自分にはあると思っている。新年にはそういう希望とか可能性とかが無条件で支給されるように思える。なのでお正月はだいたい好きです。それを取り巻く色々が大変、ということはあるかもしれないけれど。

 

「もうこれ、自分ほとんど変わらんな」という思い自体、気づいてからもう10年くらい経ってしまうような気がします。やべぇな。

「なので、今できることを加速させていく、積み上げていくを目標にしたい」ということも、もう何年も言っているような気がします。

何年も言わなければならないのは何年も成し遂げられないでいるからです。

すぐに「新しいことをやってみたい!」という思いに駆られて、全然突拍子もない方向へ妄想が進んでしまうんだよな。もう少し収斂していこうよ、といつも思う。

 

目標は実現可能で、具体的なものにすること。

そのために何をするかも具体的にすること。

ちゃんと振り返ること。

PDCAをちゃんと回せるようになりたい。去年も書いてたなこれ。

 

なぜPDCAが回せていないかを掘り下げてみよう。

 

・書くだけ書いて忘れる。

・具体化して直面するのが怖い。

・面倒くさい。

・目標が高すぎる。実現不能なもの。

 

そうよ、そんな感じ。

実現可能な計画を立てる、って結構難しいよなぁ。

相談支援専門員が実務経験を必要とする資格なのにも大きく首肯してしまう。

まじで誰か僕にも人生の個別支援計画を作ってくれんかな。

 

そういえば学生だった頃、姉が言っていたけれど。

「勉強の計画を立てるのは楽しいけれど、いざ実行するのはしんどい」

今思い出してもそうだなぉと思う。そしてさすが姉弟、よく似ている。

 

実行ができないのであれば、

 

・実行の面倒くささを下げる(実行しやすくする)

 

ということが必要だと思う。

そのためにはどうする?

 

・他人に声掛けしてもらう。

・そもそもの目標を少し下げる。

・壁に書いて貼る。いつでも思い出せるようにする。

・アラームをかけてできるようにする。

・できるようになるメリットを思い浮かべる。

 

色々な手法が考えられると思う。

今なぜこれらが取れていないか、を考えるのも得るものがありそうだ。

 

さて、せっかくなので、「PDCAを回せる」ということがどういう意味なのかを自分の中で少し掘り下げてみるか。

 

・計画的に積み上げていける。

・成果につながっている。成長している。

・定期的に振り返れている。 等

 

相変わらず抽象的なものばかりだと思う。

もう少し具体的にしてみたい。

「ギターがうまくなりたい、そのためにPDCAを回す」

にしてみるとどうだろう。

 

・カッティングがうまく弾けるようになりたい。

・レコーディングに時間がかからないようにしたい。

・自作曲の中で生音を使いたい。

・既存曲を学んで色んなフレーズを取り入れたい。

 

だいぶ具体的になった気がする。

もう少し具体的に、明確にしよう。

 

・カッティングは、右手ではピックの持ち方やストロークの不安定さを改善したい。安定して弾き続けられるようにしたい。左手ではナインスを抑えるのをそもそも安定させないといけないと思う。できればスライドさせたり細かいフレーズを入れたりできるようになりたい。

 

などなど。

これは結構具体的になってきたな。

どこまで言ったら「ストロークの不安定さが改善された」と判断するか、を決めんといかんな。ゴールが決まらないと評価ができないから。

1分間ミスなくカッティングを続けることができる、とかにしてみようか。

そのためにどういうスケジュールで何をするか。

出来れば毎日練習をしたいところだがなかなかそこまでも出来ないだろうし。

毎週末に1時間ギターを弾く時間をつくる、とかにしてみようか。

あとはこれを実践して振り返りをしていく、ということだな。

計画を立てるのは楽しかった。さて実践してみて、うまくいかないことはきっと出てくるから、それをどう組み込んでいくかだな。

 

2022年も頑張っていこう。