ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00608_読まれたい

このブログの意義について考えることが増えてきた。

最近は仕事とか別の趣味が忙しいこともあり、あまり更新できていない。

また、オープンなブログでは書ける内容がどうしても限られてしまう。

具体的な個人情報とか悩みとかは書けないじゃないですか。

これまで多く見てきた・投稿してきた某サイトもついにドメインが別人の手に渡ってしまった様子だし。

コロナ禍などもあり、社交場に顔を出すことも気が引けてきてしまっているし。


なのでまぁ、割と前から「そろそろ『ヤマカワ』としてのネット上の活動は終わってもいいんじゃないか」という気持ちもしている。

もちろんすごく貴重な時間を過ごしてきたと思うし、今後も繋がり続けたい人も多いのだけど。

やるべきことはやったかな、そろそろ身をひいてもいいのかな、と言う感じ。


それでもなぜアカウントを消せていないかというと、きっと文章を書いて「読まれたい」と言う気持ちが強いんだと思う。

書けることも多いわけじゃないけれど、読まれたい。

人と交流することが十分にできるわけじゃないけれど、読まれたい。


最近、本当に久しぶりに小説を読んでいる。

懐かしいと思う。いいなと思う。

やっぱり文章を読む楽しさってあると思う。

すぐ疲れちゃうけど。


Twitterのアカウント歴だけでみたら、もう7年もヤマカワをやっていることになる。

すごいな、結構長いなぁ。

そういえば、多分来年の1月で統合失調症になってから10年です。

昨日のように思い出せる、と言いたいところですが、鮮明な部分はどんどん消えていっていると思います。それが自然なことなんだろうな、とも思います。


当事者経験のある対人援助職員として、何か発信できないだろうかとも思う。

きっと、メンタルヘルスと向き合うと言うのは自分の人生をかけて取り組み続けるテーマだと思う。その上で、何かのタイミングで「ヤマカワ」としてやりたくなることも出てくるかもしれない。


アカウントも趣味もなんでも、しばらく「寝かせる」期間があってもいいものだと、最近思えるようになった。

30年以上生きていると、「もう会うこともないだろう」と言う相手と定期的に飲みに行くようになったり、それもまた終わったり、なんていう経験もする。しばらく放置気味だった趣味に改めて手をつけてそれが楽しくなっていったり、なんていう経験もする。

だから、焦らなくてもいいんだろう。

ここ数年、ヤマカワはすっかりあいさつとコーヒーについて呟くbotになってしまっていますが、また数年したら積極的に発信し始めるかもしれない。人生ってきっとそう言うものなのだ。

 

最後に付け足すと。

最近は結構幸せです。めっちゃきつくて折れそうになることも多いけれど、やっぱり今は幸せだと思うんです。

関わってくださっている皆さん、いつも本当に有り難うございます。

やっぱり色んな人に「読まれたい」と言う気持ちは強いので、ほぼ眠りながらでもこのアカウントやブログは続いていくと思います。

都合が合う時に読んでいただけると、本当に嬉しいです。

引き続き、何卒よろしくお願いいたします。

00607_新調

最近、iPadのキーボードを新調しました。

まだあまりこれで長文を打ったことがなく、今回のブログ記事が初めてのまとまった文章になりそうです。

タイトルを入力しようとするところでミスしました。

何なら書き始める前Twitterに「おはようございます」って打つ時にもミスした。

慣れるまでには時間がかかるものでしょう、それは何事も同じ。


以前使っていたキーボードも7年とか使っていたので、結構ボロボロに欠けてしまっていました。そりゃあそうだよなと思います。結構酷使したもんな。そしてまだ動ける8年目のiPad air2さんの素晴らしさです。まだ対応するキーボード売っててよかった。イヤホンジャックとかマイクとか不具合いは多くあるけど、使えるうちは働いてもらいたいと思うよ。


本当はiPad本体を新調してもいいかなとも思ったんですよね。前述の通り、もう7年以上使ってるし十分元は取っただろうし、Apple  pencilも試してみたいし……など。

多分画面サイズが合うモデルならこのキーボード使い続けられるんだよな。


子供の頃は割と「すぐものをダメにする、物の扱いが雑」と言われてきました。

傘とかすぐダメにしました。あさがおにしようとしてよく折った。

でも、最近は物持ちが悪くない気がするんですよね。傘も折らなくなった。

あさがおを作らなくなっただけかもしれないけど。


新しいものへ踏み出す怖さ、みたいなのは何をしていても出てきます。

よく知ったiPadであっても、新しいモデルを買うときに払うお金の重さ。

便利そうだけど慣れない冷凍食品を試してみるために手を伸ばす時の抵抗感。

新しいことにチャレンジしようと思うことを相談するLINEを送る前の戸惑い。

何にせよ、新しいことをするのは怖い。

とはいえ、そればかり言っているのも違う。

現状、割と落ち着いているとはいえしんどいことはしんどいし。

よく「現状維持のリスクを過小評価している」みたいなことで言われますよね。

なので、新しいことにどんどんチャレンジすべきだ、的な。

まぁ正しいと思います。挑戦できるかどうかはわからないけど。


やりたいことは相変わらず多いけれども

「やってもできないだろうなぁ」と諦めることも増えてきました。

中途半端に手を出して何もできずに時間を浪費することが減ったので、

悪いだけではないのだとも思います。

とはいえ、新しいことへの興味は失わずにいたいですね。

今から始めても、10年後には「経験10年のベテラン」になれるわけだしね。

頑張っていこう。頑張っていこう。

00606_うまくはいかない

今の仕事を始めたばかりの頃、先輩の職員に


「この仕事は基本的にはうまくいかないものだ」


という話を受けた。

本当にその通りだと思う。

今では自分が後輩たちに同じことを言う立場になった。


経験を積んではきているものの、結局今も手探りであることは変わらない。

逆に言うと「この仕事はどこまで行っても手探りだ」と言う、

逆説的な「道筋」は見えてきたかもしれない。


それならそれで、どの角度に手を伸ばすのが一番効果的か、みたいな、

そういう発想で知識を求めていくようになるんだろう。


あんまり話を広げすぎるのも違うかもしれないけど、

結局人生全般もそうなんだろうな、と言う気持ちになる。

 

人生、基本的にはうまくいかない。

できることを整える努力はするけれど、

それ以上のことはもう自分の力ではどうしようもない。

 

そんな諦め。

そう言う諦めからスタートすれば、今の暮らしも仕事も、

そんなに悪くないと思えてくる気がする。

思い通りにできている領域は、だいぶ増えていると思う。

 

でもまぁこのままじゃいけないと思うんだよな。

仕事もプライベートも、もっとよくしていけると思う。

ちゃんと向き合っていきたい。

00605_仕事と薬

久しぶりにブログを書く時間と余力がありそうなので書く。

 

仕事が忙しい。

単純にやることが多いのもあるけど、

一件一件の重みも増している。

勤務終了後や土日にも思い出してイライラしたり不安になったりすることが増えている。

 

抗不安薬の量が増えている。

当初は寝る前と不穏時のみで始めたが、

毎朝の服用も追加され、最近は昼に服用する機会も増えた。

 

抗不安薬は非常に効果があって、服用した日としない日では業務終了後の心身の余裕がだいぶ違う。

なるほど自分は「不安」でエネルギーを多く消耗していたんだな、と考えさせられる。

医師の処方範囲内でもあるので、現状で悪くないんだろうとも思いつつ、

薬を頼ることについては抵抗感もある。

もう、飲まないと十分働けないなと思うくらい頼ってしまっているけど。

認知行動療法的なワークで、不安減らしていけないかね。

目先はとりあえず薬で抑えるとしても、長期的には解消していきたさがある。

自分の治療方針を考える、難しいなぁ。

 

自分にとって難しいことを、周囲に多く要求してしまっているなと反省する。

とはいえそれをするのが仕事と言う部分もある。

こうした反省が強すぎて自分に負荷をかけてしまっているようにも感じる。

適度に諦めることが必要なんだろうな。前向きな諦めと言う矛盾。

生きていく、という感じだなぁ。

00604_できそうなことを考える

自分がこのヤマカワのアカウントでできそうなこと、やりたいことを考えてみたい。


・日々の雑感をブログに書く(もうやっている)

・対人援助職のメンタルヘルスについて考えて書く。できればnoteでやりたい。

・同じく、メンタルヘルスを患っている人が対人援助をやることについて。

統合失調症の体験談、人生遍歴的なもの


まぁ暫定。

やるかもしれないしやらないかもしれないし、他のことをやるかもしれないし。


やりたいことはやはり書くこと、語ることなんだけれども。

特に仕事と絡める場合、何は書いてよくて何は書いてはいけないのかの判断が難しい。迷うものは書かない、が鉄則なので、現状かなりそういった記述は控え、自分の内面の話にしたり、めちゃくちゃ抽象化して元の出来事と違う形にしたりしている。


なるほど。

まずは「何なら書いていいのか」をある程度調べるところから始めてもいいのかもしれないな。


「対人援助職がWeb上で書いていいこと、いけないこと」


を、論拠をつけてまとめる。

これは価値があるかもしれない。

自分にとってもそうだし、他の対人援助職員の皆様にとっても役立てられそうだと思う。


他の専門職の皆さんと繋がりたいし、当事者の皆さんとも繋がりたい。

そのためにWebでできることはもう少しあると思っている。

もちろんハードルも多くあるとは思うけど。

ルールが明確になっていた方が書きやすいと思う。

オンラインのつながりを頼りやすくなるといいなと思う。

00603_自分の人生における「よくある質問」

同じことばかりぐるぐると考えてしまいがちなので、一旦それぞれに関する結論のようなものを書いておきます。

あくまで私にとってのFAQですので、もちろん全ての人に当てはまるわけではありません。

ご参考まで。

2022年5月5日、ver1.0。



Q1.精神疾患のある人が対人援助職をやっていいんですか?

 

A1.やっても構いません。ただし自分の疾患のせいで業務に支障を来さないようにすることが大切です。



Q2.今の仕事は収入が少ないんですが、いいんですか? 続けるんですか?

 

A2.「収入が少ない」に関しては、「他人と比べて」ということだと思います。

日々の食事に困るほどではありません。あまりに他人と自分を比べすぎているのは精神状態が悪化しているサインだと思います。



Q3.他人の感情を理解するのが苦手な特性があるのですが、対人援助職をやっていていいんですか?

 

A3.やっても構いません。自分の特性を踏まえた上で、「だから無理なのだ」と投げてしまうのではなく「ではどういう関わり方ならできそうか」と考えて行くことが大切だと考えます。



Q4.他人が怖くて余裕がなくなることがありますが、対人援助職をやっていていいんでしょうか。

 

A4.A3に同じ。



Q5.仕事を続けられるか、健康でい続けられるか、周囲とうまく関わり続けていけるか不安です。どうしたらいいでしょうか。

 

A5.薬を飲んで寝ましょう。不安点を紙に書き出しましょう。将来のことは分かりません。目の前のやるべきことに注意を向けましょう。全部が全部うまくはいきませんので、適度にあきらめましょう。



Q6.クリエイティブなことがしたいのですが、いざ何かするとなると大変めんどくさいです。どうしたらできますか?

 

A6.とりあえず1分だけやるといいと思います。あとは、直接的な創作が無理でもツールの検索や他の作品のインプットならできることもあります。検討して見ましょう。それも無理なら大人しく休みましょう。



Q7.遊んでばかりでなくしっかり勉強し実践していかなければいけないと思うのですが。

 

A7.確かにそうですが、意識が高くなりすぎているのは精神の調子が乱れているときの一つのサインでもあります。あなたは休みなくアクティブに動き続けられるほど強い人ではありません。むしろ意識的に「何もしない」時間を作りましょう。



Q8.全然物事が思ったとおりにいかないのですが。

 

A8.人生は基本的に思い通りになりません。とはいえ全く丸投げというのも違う気がしますので、体力気力が届く範囲内で何ができるか、を考えてみましょう。他の場面では、他の相手ではどう対処したか、どう対処しそうか、なぜそれができないのか、などを考えてみるとよいでしょう。



Q9.「希望を抱いて前向きになりすぎる」ことが一つの精神的な不調(妄想)のサインだと考えていますが、とはいえそれも「生きる醍醐味」なのではないかとも思います。あまりに病気を気にしすぎるのも不健全ではありませんか?

 

A9.そうだと思います。希望の抱き方をメタ認知して、健全かどうかを都度判断していくことが必要だと考えます。先走りすぎていないか、可能性の低いことを確信しすぎていないか、他の人から見たら素っ頓狂なことになっていないか、などを気にかけてみましょう。一番早いのは他人に考えていることを相談することだと思います。



Q10.再発を恐れて臆病になりすぎていませんか?

 

A10.再発にはしっかり注意すべきと考えます。とはいえ日々、心身の調子に波があるのは避けられないことです。不調を小さなうちにケアするよう心掛けましょう。また、何かに挑戦する時にはその後のケアの時間も十分にとるようにしましょう。挑戦の経験を積んで「どのくらいの負荷をかけたらどのくらいケアすると良いか」を把握していけると良いでしょう。

00602_「話す」「黙る」のゼロ百思考

コミュニケーションには「話す」か「聞く」か、それしかないと思い込んでいたのではないか、という反省について。


「聞く」はつまり「話さない」ということで、「黙る」とも近いと思っていた。

(冷静に考えれば「聞く」「黙る」はそれぞれだいぶ違うものだけれど)


自分が話をする中で、聞く人の反応を気にして言えない、ということはよくある。

そういう時、本当の意見を抑えて「黙る」という姿勢をとりがちだ。

意見が食い違ったり、喧嘩になったりするのが嫌なんだと思う。

その感覚については、自分でも理解しているところだと思う。

理解していても対処するのが難しい、というのがタチの悪いところだ。


そういうスタンスでいると、不要な争いは避けられるかもしれないが、

建設的に意見を述べることも封じてしまうという欠点がある。

正しく物事を進められない、言えずにストレスを溜めてしまう、など、

いろいろな形で表面化してくる。


とはいえ「思っていること全てを言語化」なんてできない。

疲れるし、多分そんなに言語化する習慣ないし(割と感覚で生きている)。


しかし、全く何も言わないのも上述の問題点がある。

なので「表現を工夫しつつ話す」ということをできるようにしていきたい、ということだ。

タイトルの話はここに行き着く。

話すか黙るかの二択、というような認識を一旦保留し、


話すときにどういう表現で伝えるか

黙ることについてはどういう黙り方をするか


について、自分の中で引き出しを増やしていけるといいのかもしれない。


一旦相手の言ったことを受け入れてからであればこちらの思っていることも伝わり安くなるかもしれない。

過激な表現で頭に浮かんだとしてもその部分を抑えれば冷静な話し合いにできるかもしれない。

言語化しなくても間の取り方とか表情で伝えられるものもあるかもしれない。


個人的には、同意はタイムリーに早くできるけれど、

反論は時間がかかるイメージ。


あまり考え込んで時間を使ってしまうのも相手に対して「反論」感を強めてしまう気がするな。


「わかるんだけど、なんかちょっと引っかかるな」くらいを、

あまり深刻になりすぎずに伝える、とかね。

そういうので考える時間を稼いで、何が引っ掛かっているのかを明確化する。


こういうコミュニケーションの技法は多分もう体系立てられているんだと思うけど自分が言い慣れて、使い慣れていないと頼りにくいとも思う。

引き続き学びだなと思う。


「話す」「黙る」をゼロと百にしてしまうのはちょっと問題があるなと感じたので、自戒として。バランスの取れたコミュニケーションをしていきたい。