00096_いずれ来る哀しみのために
人生山あり谷あり。
サイン波っぽい流れで人生の上下があり、上が幸せで下が不幸であるなら。
自分の今いる位置は割と上の方。
ということはいずれ落ちるわけで。
その時のために何をしたら良いのだろう、と考える。
心配症と言えば心配性。貧乏性と言えば貧乏性。
・どうやったってダメな時はダメなんだから、良い時は好き放題やれよ
一理ある。
・楽しいときですら哀しくなったときの心配をするなんて、やっぱり器が小さいね、君は。
一理ある。
・そんな風に小さくまとまった生き方がしたいのかい? 波乱万丈な人生を生きて最後に笑うのが理想だったんじゃない? 世の中の全てを見てそれでもなお強く生きることが自分の目標だったんじゃないのかい? こんなところで小さく自分をしまっておくのではなくて、もっと華々しく生きたいんじゃないのかい?
本当にそのとおりだ。自分で書いてるんだからそりゃ自分で納得がいかなきゃおかしいな。
・一度辛かったことから立ち直れたように、次また辛くなっても立ち直れるよ。だから試してみたらいいんじゃない?
またそういう甘い言葉をかけてきやがって、このやろう。
いちいち否定しにくいこと言ってくるなぁ。
いやでもねあんた。
好き放題やった先で痛い思いをするのは嫌なんですよ。
命は一度切れたら終わりなんですよ。地道に地道に紡ぎ続けなきゃいけない糸なんですよ。
次の落ち込みで簡単にプッツリ逝ってしまう可能性がある。
どんなに対策したって死にたい時は死にたい。
そもそも、これまで何年も死にたかったのだ。今ポジティブな状態のほうがまったくもって稀有。
ネガティブな「いつものわたし」が手をこまねいてみている。
今まで、それなりにブレーキかけながら走ってきたけど、それでも事故ってきたし。
好き放題だってしてたけど、結局得られた果実は「その程度」のものだったし。
ネガティブに考えようと思えば、いくらでも考えられる。
ポジティブに自分を盛り上げてきたその思考回路が、勢いそのままガッツリ逆回転を始める。
もしかしたら、ある程度悲しい方が私は幸せなのかもしれない。
あれ? ということは「いずれ来る哀しみ」も私を幸せにする糧なのか?
巡り巡ってまたポジティブくんが顔を出す。
なんか綺麗な結論になりそうなので、今日も幸せな哀しみを追いかけていこう。
哀しい幸せを大切にしよう。ありがとう。