前回の記事が「ノルマ」というタイトルだったので、今回は「カルマ」です。
ちょう安直。
カルマというと個人的に思い出すのが、ポルノグラフィティの『カルマの坂』です。
BUMP OF CHIKIENの『カルマ』派の方も多いとは思いますが、個人的にはこちら。
「カルマ」ということについてwikipedeiaで調べてみると、こんな感じのようです。
業(ごう)とは、仏教の基本的概念で、サンスクリットのकर्मन् (karman) を意訳したもの。
サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。業そのものは、善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。中国、日本の思想にも影響を与える。『ウパニシャッド』にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。
今日、一般的にこの語を使う場合は、(因縁・因果による)行為で生じる罪悪を意味したり(例えば「業が深い」)、不合理だと思ってもやってしまう宿命的な行為という意味で使ったりすることが多い。
自業自得、という言葉にあるようなものでしょうか。
自分がしてきたことを自分で被る、的な。
しかし、『カルマの坂』はどちらかと言うと主人公や少女にはあまり罪がないのかなぁと思っておりました。少年はまぁ盗んだりしてるけど、少女の罪はわからんしなぁ。
そんな風に思いながらWikipediaの下の方を見ると
西洋近代における業(カルマ)
「転生#リインカーネーション型=成長」を参照
なるページがありました。
言われてみればこの話、どっちかって言うと西洋っぽいのかな?と思いこちらも確認。
曰く、
「カルマ」という言葉が用いられこともあるが、インド本来のカルマの概念とは別物である。
はぁ。
こっちのカルマはどういう意味なんですか、と思う。
人間には魂や霊といった不死なる根源があると考え、転生を繰り返すことで、(霊的に)進歩または(進化論登場後は)進化し、最終的に神に近い完全な存在になる、または完全な存在による完全な社会が実現されると考える。生まれ変わることは、輪廻とは異なり「肯定的」に捉えられる。
ふむ。
これはもしや、少年も少女も転生してより神に近い存在になった、とかいう話なのかなぁ。
転生に向かうそのさまが坂を登るようなので、『カルマの坂』なのか、とか。
色々考えてしまいます。
きっと色々な思いとか、色々な歴史とかを踏まえて作られたであろう作品。
じっくり考察してみたいし、好きな人と語り合ってみたいものです。