00149_先生と助手
先生「この研究を完成させてよいか、迷っているんだよ」
助手「どうなさったんですか? 今の研究は先生の人生の集大成じゃないですか」
先生「この研究が完成するということは、人の心が解析されて、可視化できることになる、ということだ」
助手「そうですね」
先生「私の心も解析される。君の心も解析される」
助手「そうなりますね」
先生「良い歳したジジイがうら若き助手の女性をいやらしい目で見ていたことなども白日にさらされるわけだ」
助手「尊敬すべき先生の性的な視線を笑顔で流しつつ嫌悪していたことも露見しますね」
先生「そのとおりだ。そしてそれは私の研究の成果を使わずとも露見していたことだ」
助手「そうでしょうね。だいぶ控えめに表現していただいていますね。ありがとうございます。」
先生「そうだ。これがオブラートに包まず、ありのままが晒されたらどうなるか。我々のような間柄でさえ、心が解析されると破綻する可能性が高いのだ」
助手「他者との関係が壊れるのを恐れるあまり、自分の人生の集大成を打ち捨てる、のですか?」
先生「人の心が解析されたら。私はその技術を適切に扱える自信がないのだよ。」
助手「もうほぼ大部分人の心なんてわかってるでしょう?」
先生「体系化して他者でも扱えるようになることには恐怖もあるのだよ。私はきっと、過去に私に大きく影響を与えてきた人々を解析しつくしてしまうだろう。それらを操作して、自分に都合が良い用に相手の感情を弄ぶことすらしてしまうかもしれない」
助手「この研究程度でそこまで出来るとは思いませんけどね」
先生「そうだと良いのだけどね」
助手「持病の誇大妄想が悪化してるんじゃないですか? お薬飲まないと」
先生「君がそういうのならそうだろう。その薬を飲むと、私は普通になれる。薬を飲まないと、神にでもなったような心持ちになってしまう。音楽が美しく、光が眩しく、とても幸せなのだよ」
助手「もう何度も聞きました、それ」
先生「薬を飲むと音も光も意味を失ってしまうんだよ。感情も死んでしまう。かえって虚無感が高まるのだよ」
助手「それが普通なんですよ。先生は普通の人より感性が豊かで、音も光も敏感に受け止めて。そこに意味を見出してしまうのですよ。普通に、なりたかったのでしょう?」
先生「普通にな。なりたかった。普通に感じ、普通に考え、普通に人と交わり、普通に死にたかった」
助手「薬を飲むと、その夢が叶うのですよ。神になる妄想からも逃げられますしね」
先生「感性を殺して普通になるか、常軌を棄てて情報の海に溺れるか」
助手「扇情的な二者択一を口走るのは先生の良くない思考傾向です。落ち着けばもっと多様な選択肢を検討できるのに。やっぱり今は服用すべきと判断します」
先生「……ありがとう。君がいるから生きていられるよ。幸せになってくれよ」
助手「先生、別に死ぬわけじゃないんだからそんな言い方しないでくださいよ」
先生「私にとってはね、この薬を飲むということは、自分を殺すことと同義なのだよ。この価値観、この感性、この身体を失うことを意味するのだよ。だから、最期に君に感謝の言葉を伝えたかったのだよ」
助手「ありがとうございます。大げさにしすぎるあたり、様態が悪化してますね。薬を飲んでおやすみなさい」
先生「ありがとう。おやすみなさい」
~完~