00517_安定への挑戦
破綻した夢を見ていたと思う。今も見ているのかもしれない。
夢は叶わないから夢なのだ、とか。
夢は願うものじゃなく叶えるものなのだ、とか。
J-POP的に言えば色々な夢が語られていると思うけれど。
色んな「夢」の共通点にあることとして、
「今はまだ叶っていないもの」
という点が挙げられると思う。
こうなりたい、と思うということはまだそうなってはいない、ということ。
「現状で夢は叶っている。いつまでもこのままでいたい」
と言う思いもあるかもしれない。でもそれって夢って言えなくない?
破綻確実だしさ。状況は変わるし応じて考えも変わるし人はやがて死ぬ。
お金持ちになるとか偉大なクリエイターになるとか、ありきたりな大成功な夢をずっと妄想していて、今でもたまに浸る時があるんだけれど。
そんなに大きな成功、願っても実現できないし、もうちょっと身の丈に合った夢を見たいなと思う時間が増えている。まだまだ100%ではないし、誇大妄想は完全にはなくならないと思うんだけど。
自分の主観としては、バランスの取れた生き方を志向できているように思うし、それは社会的にも要請されている事だと思う。
まぁもっとアクティブになれ、という声もするとは思う。時間をかけてそうなっていきたい。
言いたいのは、突拍子もない妄想を確信してそこに飛び込んでいく生き方から少しずつ離れてきてるということだ。
思い描くことは、簡単で、楽しすぎる。
もしかしたら他人よりそれを楽しく感じやすいのかもしれない。
今得ている幸福よりさらに甘く刺激の強い味がする。
思えば不幸についても同じだ。
今直面している問題よりも、そこから広がる被害妄想の方が辛く鋭い。
そこまで恐れなくてもいいことを過剰に恐れていやしないかな。
甘すぎず辛すぎず。
結局志向していることは、本当に陳腐な言葉で。
安定
なのだなぁ。
安定志向、それ自体が破綻しているという声も十分説得力があるし、そうじゃ駄目だという声が大きく叫ばれていることも良く分かっているんだ。
安定、必ずしも楽を志向するだけじゃない。
安定への挑戦、結構あると思うしさ。
絵に描いた餅みたいな、上から降ってくるやたらきらびやかな妄想より、地に足の着いたつぎはぎの妄想を信じることにしたい。その程度の違いでしかない。
それは決して価値の劣るものではない。
今日も穏やかに生きようと思う。