ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00527_積み上げるなんてできるのか

「積み上げる」と言うことに過剰に期待していたのではないか、と振り返っている。

 

経験を積み上げる

知識を積み上げる

貯金を積み上げる

技術を積み上げる

 

などなど。

これを積み上げればいいことがある、新しい世界が見られる、生活が変わる、的な。

 

思えば、随分と短絡的な、楽観的な想定だったと思う。

経験したことも忘れてしまうし、積んだ知識も覚えてないし。

貯金もなかなかたまらんな。技術は明確化してないのでそもそも積みあがっているのかどうか分からない。

 

「とりあえずやる」と言うのは何とかできるかもしれないけど、そこから学べるものってなかなか定着しない。体系化したり自分の中で位置づけたりする時間をかけることが必要な気がしている。ただ経験するだけじゃなくて、振り返って言語化したり体系化することでようやく積みあがるものなんだろう。

 

ずいぶん手間と時間がかかり、その割に得られるものの少ない世界だなと感じる。

バイトしてた頃に誰かが言っていた「責任者になっても時給なんてほとんど増えないし、責任ばかり増える」という言葉を思い出す。

 

これはきっと、色んな所で言えることなんだと思う。

主観的には、投じる労力の割に得られる見返りというのはとても少なく感じるものなんだと思う。大変なんだよ、成果の見えにくいことを長期間続けていくのってさ。

 

もちろん、だからこそしっかり積み上げた人の知識や経験や技術は価値のあるものだと思う。

他の人にはできないことができる、というのはまさにそういう積み重ねの上に成り立つんだろう。プロフェッショナルの仕事を、甘く考えてはいけないと思う。

 

「もしかしたらこんなこともできるんじゃない?」と軽率に考えてしまう自分の軽さが、そのまま仕事を始め人生の諸々についての考え方・向き合い方の甘さを示しているように思える。プロフェッショナルが当たり前のようにやっていることは、意志と時間と労力を懸けた上に成り立っているものなのだ。甘く考えてはいかん。

 

では、自分は何を積むんだろう。

自分にとって分かること、人に伝えられること、できれば汎用性のあること、やり続けていて苦でないこと、そんなことで何かあればいいなと思う。

 

そういえば、最近昔書いた文章が出てきて、だいぶ恥ずかしい気持ちになったんだけど。

こうした昔書いた文章も、もしかしたら「積み重ね」なのかもしれない。

書いて書いて、いずれ振り返ることのできるものを積み重ねていく、っていうことならできるのかもしれない。

恥ずかしいけど、削除せずに取っておこうと思う。いずれ財産になるかもしれん。