ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00532_交易地としての自分

相反する考え、矛盾する感情、散り散りの世界観。

そういったものの集合体としての自分。

 

色んな人や作品や考え方に触れて、つぎはぎで組み上げた自分こそオリジナルなのだなと感じます。

抽象的な話でしかないけれど。具体にはなかなか落とし込めていないけれど。

 

友人の言葉を借りれば「キメラレゴ」。

無差別にかきあつめたパーツを無作為に組み合わせた、良く分からない何か。

そんな感じかもしれない。自分、そんな感じかもしれない。

 

昔、「オリジナルとは何か」みたいなことについて考えていた時が合って、その時にでた一つの答がありました。

 

完全なオリジナルは存在しない。

だいたい、先にある何かを学んで人格も作品も構築されるし、過去のものと意図せずに重なることもありうる。

しかし、人格も作品も有機的なもので、色々な要素を組み合わせた存在である。

そして各々の要素のバランスという視点まで持てば、完全に一致するものはなかなかない。

配合のバランスと言うのが、その人やその作品のオリジナリティなのではないか。

 

みたいな考え。

今読んでいる本になぞらえれば、色んな人が集まる交易地、色んな人が集まって物品を交換している交易地。自分と言う場はそういうイメージなのではないかと思う。

その本によれば、交易がさかんになるほど都市・人類は「繁栄」するという。

 

自分ももっと多様なものを追い掛けて、多様な人に触れていって、自分と言う交易地を豊かにして行きたいと思うのでした。今更。

 

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