00593_何もない普通の日
何もない時、というのは、調子のいい時、という意味なのかもしれないと思う。
面白くもなかったけど、言うほど辛くもなかった。
そういう日は、自分の主観的な感覚より、良い成果を残した日なのではないかと思う。
「今日は調子がいいぞ! がんばるぞ!」と言うときって、意外と急かされがちだったりするし、
もちろん「今日はもうだめだ……」という日はしんどさが大きい。
来週にはもう思い出せないような、何もない普通の日、っていうのが一番良いのかなと思う。
「何もない普通の日」を「良い」と思えるようになるのは結構大変だと思う。
環境に恵まれて、
体調に恵まれて、
初めて良い「普通」が生まれ得るのだと思う。
ずっと普通でいたいなぁと思うけれど、なかなかそうも行かないと思う。
良いことも悪いことも、自分でコントロール出来る範囲にはなかなかない。
いい流れの時はちょっと無茶しても調子いいし、
どうあがいても何も変われない局面の時もある。
変えられるものは限られている。我々はあまりに無力……
そういえば小学生の頃日記を書いていて、よく
「書くことがないのでこれで終わり」
としていたように思う。
そういう日が、実は結構幸せなんじゃないかと思う。
幸せが空気のように満たされているとき、
やはり空気のように見えないものになってしまって、
水の中とか煙の中に入って初めて
空気のありがたさを知る。
そんなこともあるような気がする。