00597_1月が苦手
毎年、1月が苦手です。
過去に色々なことがあったのが、思い返すと1月だったなぁという理由で。
インフルエンザもらったりとか昨年のコロナの禍中で発熱したりとか(陰性だったんですけどね)、そう言うものもあれば。
最近、久しぶりに弟の出てくる夢を見たんですよ。
実家の布団でゴロゴロしてスマホでも見てるような、リラックスした姿で。
夢の中なので違和感も抱かずに「あぁ寝てるな」って思ったくらいだったんですけど。
それを尻目に祖母が「わしはもう死ぬんだ」なんて言ってベランダへ向かおうとしていて。
ばあちゃんそれはあかんよ、と抱え上げるなどしました。
悪いことをしようとする甥っ子を抱え上げるときの感覚と少し似ていたように思います。
祖母自身も実はもう亡くなっているんですけどね、夢の中だとそういうのに違和感がないわけで。
それでも宥めるように「生きていかんといけないからねぇ」なんて話をしました。
抱え上げたりするまでは穏やかに声をかけれたんですけど、「生きないといけない」と言う話をするときは泣いてしまっていました。
泣いてしまって目が覚めて、夢はそこで終わりです。
せっかく弟出てきたんだから、彼とももっと喋りたかったな。
こんな夢を見るのも、やはり命日近くだからでしょうかね。
自分が「生きなければ」と言うことを考えるようになったきっかけは、
弟が自死したことです。
自分自身も精神を患い、生きることに希望が見出せなくなっていた時期もありました。
思えば精神を患う前から随分厭世的でした。今も十分に克服されたとは言い難い。
最近は体調面も安定してきたとはいえ、自分のルーツになっているのは自身の不調と弟との離別という「当事者体験」なのだ、と再認識しました。
一応精神保健福祉士の資格を取得し、対人援助職としてそれなりの年数を過ごしてくる中で、自身の当事者性についての考えが弱まっていた気がします。
体調も安定してきてるし、という理由で。
私情を仕事に持ち込むべきでない、と言う理由で。
当事者と専門職は違う人間だからこそ支援が成り立つ、と言うことを考えて。
しかし、そうしたところを振り返るきっかけとなったように思います。
当事者も専門職も一人の人間、それぞれの環境と歴史があり、今がある。
そんなこともよく思います。
この考えは自分の基礎だと思うので、深めていきたいと思っているところです。
日々の振る舞いの糧になるかもしれない。
そんなことを考えている日の夕方、公認心理師の登録証が届きました。
これで晴れて公認心理師を名乗れます。
名乗れると言うことは、それ相応の働きを期待されると言うこと。
今まで以上にスキルを磨いていかなければならないと言うこと。
心理師としても十分に、信用を得て対価を頂くに値する仕事ができるようになりたい。
具体的にどういうことか。
日々安定して働けること。
関わり方を根拠をつけて説明できること。
クライエントのため、を中心として動けること。
などなど、できるようにしたいことはたくさんある。
まだまだやりたいことはたくさんだ。頑張っていこう。
最後に、本記事のタイトル「1月が苦手」と言うことですが、
今年の1月はそれほど大きな波乱もなく過ごせています。
支えていただいている皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。