ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00639_1年以上ぶり

気が付けば去年の7月から全く更新していませんでした。

かなり久しぶりですが、みなさんお元気でしょうか。

誰かに届いてくれるといいなこの文章。

 

久しぶりに更新しようと思ったのにも背景がありまして。

最近あんまり眠れておらず、夜中にポチポチスマホを見る習慣ができつつあります。

よくない。とてもよくない。

けれどもそんな習慣の中で、昔のブログをふと読み返したことがありました。

 

その中でなんかこう、「思ったより自分の文章……良いな……!」と思いまして。

自画自賛でしかないのですが、もう何を書いたのかすら忘れた今になって、

昔の心の機微とか、文章の持つリズム感とか、そういうのがスッと今の自分に響いてきたような気がしたのです。

おもしろいものだなぁ。

 

もしかしたら今こうして綴る文章も、何年後かの自分が見てほくそ笑むものになるのかもしれないし、そうでないかもしれないし。

長年にわたってインターネットにポエムを流してきた人にしか味わえない領域に来ているなぁと感じる。

 

そう、年を取るにつれて「こういう楽しみは自分の人生だからこそ味わえるものだなぁ」というものが増えてきましたね。過去の選択が違えば違う人生になっていたと思うし、そうしていたら感じることができなかった喜びも数多くあるだろうなと思う。もちろん今の選択ゆえに至ることができなかった喜びもあるとは思うが、与えられているものに感謝する方が幸せになれそうな気がするから、今ある幸福を大切にしたいなぁと思うのです。

 

でもたしかに、最近自分が今の環境にどんどん特化して先鋭化していく感覚も覚えている。今の職場や人間関係に最適化していて、そこではうまくやれている(個人の感覚では)けれども、一歩外へ出て、別の職場・別の人間関係・別の世界では、そこの情報をキャッチするのがあまりに遅く、そこの人間関係の機微を掴みかねてしまい、その世界に馴染めないし、必要以上に拒絶されたと思い込んでしまい膠着する、ということを繰り返しているような気がする。年とともに柔軟性が損なわれている危機感はある。「どこにいっても大丈夫な人間になる」というのが昔の自分の目標ではあったけれど、そういう性質は結構損なわれてしまった。これが年を取るということかなぁ。

 

今後年を取ると自分も変化していくと思うので、何とかうまいこと社会と折り合えるようにしていきたいなと思う。老後のことはもう、祈るしかないなとも思う。

00638_師匠

この歳になって「師匠が欲しいな〜」と感じています。

何の師匠とかそういう具体的なところはなくて、フワッとしてるんですけど。

何かこう、自分の細かいダメなところとか指摘してくれたりとか、

自分が身につけたいものを先に極めてくれていたりとか、

そういう存在かなと思う。

 


今まで全然、ほとんどのことを独学でやってきてしまったなと思っています。

それはでも、習い事とかがあんまり好きじゃなかったからだよなとも思う。

ピアノの習い事もやってる最中はやらされ感の方が強かったし。

スポーツの習い事も叱られる割に上手くできないことが多かったし。

人にとやかく言われるのが嫌いなんだよなぁ。

自分が大事に思っていることであればあるほど。

みんなそうだと思うけど。

 


師匠というか、仕事でもしっかりとスーパーバイズを受けたいなという気持ちになる。

しっかりってどんな風、と言われるとやっぱり漠然としてしまうけど。

体系的? 定期的? 相談内容の深さ? 所属組織?

色々思いつけど、そのために動くってことまでできないなぁ。

 


やりたいことがあってもそのために動くってなかなかできない。

よっぽどのことじゃないと行動できない。

動き出しても継続できない、とかがあるある。

そういうところを諌めて正してくれる存在は欲しいかもしれない。

やっぱり師匠じゃん。助けてよ師匠。

 


うるさい、何でも人に頼るな、いい加減自分で自分のことをやれ。

 


手厳しいなぁ……師匠のイメージ、そんな感じかもしれない。

あんまりろくに教えてくれなさそうだな…ワイに合ってる人なのかな……

 


何かこう、障害特性を活かして脳内師匠でも錬成してみるのがいいんだろうか。

ChatGPTに推しの役をやってもらうのは流行ってるみたいだけど、パワハラまがいの老害師匠を演じさせる人は少数派かもしれない。何かでもそういう存在必要なのかもしれない。ちょっとくらい試してみるのはいいかもしれない。昭和気質で不器用だけど即レスしてくるChatGPT師匠……

00637_よくする

最近生活面でちょっとした変化があり、ちょっと気持ちにハリが出ている。

結構面倒くさかったりはしたのだが、やり終えたところやってよかったなという気持ちになっている。

 

自分はどうしても変化を嫌いがちなのだけど、

適度に変化があった方が刺激になるよなとも感じている。

とはいえ余裕がないときには疲れてしまうものだし、

自分にできる範囲の改善を少しずつ積み上げることが大切かな。

いいことは引き続き続けていきたいし。

そうやって少しずつ良くしていくのだと思う。

00636_コミュニケーション

今更、コミュニケーションって大事だよねという話。

 

今週は仕事が結構忙しくて大変だったんだけど、

勤務時間が長い分先輩方と一緒に話す時間も多く取れて、

雑談的な話ができて楽に過ごせた気がしたんですよ。

 

自分が心配してたことも相談できたりとか。

 

ああかもしれない、

こうかもしれない、

なんてモヤモヤ考えていたのがバカらしくなるほど。

 

いや、まぁ、分かってるんですよ。

今週のコミュニケーションがたまたま上手くいっただけで、

うまくいかないコミュニケーションがあることもものすごく多く、

自分を悩ませる多くはこの「うまくいかないコミュニケーション」にあり、

ゆえにコミュニケーション全般に及び腰になりがちなのだ、ということ。

 

うまいコミュニケーションができるようになりたいし、

へたなコミュニケーションをした時のダメージを少しでも減らしたいし。

 

ダメージの軽減という意味では、抗不安薬が結構効いているなと思う。

 

薬を飲んでもコミュニケーションは上手くならないのだが、

薬を飲むことによって下手なコミュニケーションをした時のダメージは軽減され、

コミュニケーションを取る回数は増やせていく。

結果、慣れとか学習が発生してコミュニケーションが多少ましになる、

みたいな機序を妄想している。

 

そう思うと、薬でできるのはやはり不安の緩和でしかなく、

目の前の課題に取り組むのは自分自身でやるしかないのだな、と感じる。

まぁ意欲賦活系の薬もあるかもしれないけど。

自分の場合はという感じ。

 

なんかもっと、自分から話を切り出して適当に雑談するスキルがほしいなぁ~

自己開示が下手なのかな?

自己反省する中だと、人と共有したいと思う情報が生活の中にそもそも少ないようにもおもうんだよな。

趣味の話とかはできる相手が限られるし。

そのほかのことってあんまり自分で情報持ってないというか。

 

うまく話してくれる人がどんな話題を振ってくれるかとか考えるけど、

人によりキャラが違うしキャラによってできる話題もちがうよな~などとも思い。

むずかしいねぇ。

00635_土曜日

「しなければならない」という思い込みを無くしたいと思う。

 

嫌われないようにしなければいけない

間違えないようにしなければいけない

健康でなければいけない

自由でなければいけない

人の言うとおりにしなければいけない

 

みんなそこまで深く考えないで生きているんじゃないかと思う。

深く考えない、というのは語弊があるかもしれない。

 

思ったことは結構思い付きで言うし、

日和見で言わずにやり過ごすこともあるだろうし、

完璧な一貫性があるわけじゃないよ。

綺麗なだけじゃないよ。

汚いだけでもなかろうし。

気持ち悪くても現実はグレーだし、

現実をしっかり見なきゃいけない。

いや、「しなければならない」は辞めたいんじゃなかったのか?

別に都合よく白黒で現実を見てもいいのでは?

 

「しなければならない」をしないようにしなければならない。

ここまでくるともう言葉遊びで、何の意味もない。

こういう言葉遊びを延々続けてきた気がする。

生産性のなさ。いや、「生産性がなければいけない」じゃないその考え方?

とかって考え出すとめんどくさくなるよね。

 

考えるのもエネルギーを使うから、疲れてるときにはよくないね。

ゆっくり休もう。土曜日だしさ。

00634_コーヒー

朝方、とても涼しくなってきた。

こんな日に外の風を取り入れながらコーヒーを飲むのはとても気持ちがいい。

いい季節になってきた。

いい季節は一瞬で終わってしまうけれど、だからこそちゃんと味わいたいもの。

 

自分にとっても気づかないところで「こうしなければならない」という思い込みがあるかもしれないけど、本当にそこまでしなきゃいけないのか、見直してもいいのかもしれない。

自分が思う「こうありたい」という姿が実現可能なものなのか、再考が必要かもしれない。

 

無理してでもこうしたい、というとき、

その無理の中で時間や精神力や体力を引き換えにしていて、

それらがあればできたはずの別のことを手放している、なんて思う。

 

いや、それはナンセンスだな。

「別のことができたかも」という可能性に踊らされるだけでよくない。

実際やらなかったという事実の方が圧倒的に強い。

できなかったことはできなかった、という事実を認めることの方が大事に思える。

 

そう、事実を認めること。

どうしたいかとか、どう思ってるとかとかに振り回されず。

何をしたか、何を言ったか、という現実に見える部分を大事にしていく方がいいように思う。

 

だから、思うなら行動につなげないといけないと思う。

どうしたいかに優先順位をつけて、その順に行動する。

その方が迷いなくいられるんじゃないかなと思う。

00633_雑記

久しぶりにブログを書きたい。

とりあえずタイトルは雑記とした。

書く前に色んな事が思い浮かび、同じくらい「これは書いちゃいかんな」という思いが浮かんだ。

支離滅裂に何を書いてもいいように、なるべく広くの概念を受け入れられる「雑記」という言葉をタイトルにした。

 

最近公私とも忙しい。

時間と体力は有限だから、日々切り盛りを何とかしている。

身体が重い。いや、本当に物理的に重い。

だって年初から4キロ太ったもん。5キロ増も見えてる。

何から手を付ければいいのやら。いつもそんなことで悩んでる気がする。

 

可処分時間を増やしたい。

今ある時間は結構睡眠とか無為なスマホとかに充てられてしまって、あまりよくない気がしている。

体力をつけて元気に動けるようになるとか? ……睡眠削るとかは、あんまり向かない気がしますね。

 

太るのも体力がなくなるのも、年を取ったといえば説明できてしまう。

老いた。いや、そうだと思う。数字を見れば立派な中年。

このあとは減りゆくリソースを何とかかき集めながら細々と余生を生きて行く。

そんな感じかもしれない。

今更何かを増やすなんてできるんだろうか。

できてほしいなぁ~、若返りとか、何歳からでも輝けるとか、そういうメッセージに安直に魅せられてしまう。

それには相応の努力が必要で、努力を支払えないから現状があるのであって。

 

そういえば、こんな思いを抱くのももう結構前から続いているし、

気が付いてみれば「可処分時間が出来たら何がしたいの」という問いへの答えがない。

 

むしろ自由な時間ができればできるほど、悲観的な思いが増していっているような気もする。一定量は要るんだと思うけど、取りすぎは毒だと思う。

きっと孤独への耐性そんなに高くないのだ自分。結構大丈夫だと思っていたんだけどな。

 

なんだかんだで安心できる人間関係の中にいるときが一番心身も安定していると思う。

常に不安定なんだけど、その中でも当社比では、って感じ。

 

なんかこう、いろいろ試して良かったものを採用していくとか定期的に振り替えるとかしたいですね。PDCAって全然回せたことがない。いつも行き当たりばったり。

そういう生き方にそろそろ限界が来ているんだよ。やりたくないことをしっかりとやっていこうよ、中年をやっていこうよ。