ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00588_今後の人生どうしよう

結構軽々しく「今後の人生どうしよう」みたいなことを考えるのが日常です。

「今日の夕飯どうしよう」「週末何しようかな」「今後の人生どうしよう」

くらいの軽さです。フラフラと好きなようにやらせてもらっていることがバレてしまう。


とはいえ、「どうしよう」の枠が狭まって来ているのもこれまた事実でして。

いい歳してきたし、もう未経験職種への転職は難しいだろうな、とか。

今ある大切なものを犠牲にしてまでやりたいことってあんまりないな、とか。

好きなものでも頑張り抜くほどの情熱とか体力とかが足りないな、とか。


30年以上生きていると、そういうことにもなってきます。

自分の小ささが分かってくるという感じかな。これでもまだ自覚が足りない方だとは思うけれど。


環境だったりやることだったりを新しく変えるには大きなエネルギーが必要で、やらなければならないことも多くなります。

こういう時必要な労力を惜しんでしまうと、半端な現状維持だったり中途半端であやふやなことになったりしてしまいがちです。

計画的に物事に取り組めるようになりたい。難しいなぁ大変だなぁ。

それでもできるようにしていかんとな。自由な部分を残しつつの実践可能な計画を立てて実践して振り返りたい。壮大すぎる夢ではなくて、地に足のついた現実的な計画を立てていきたい。

00587_人が変わっていく姿

対人援助の仕事をしていると、相手の方が変わっていく場面を目にすることもあります。

良くも悪くも。ここでいう「良い」も「悪い」も「私から見て」という留保付きではあるんだけれど。


その度にいろいろなことを考えます。

良い変化であればもちろん嬉しく感じるし。何がよかったのか考えよう、となる。

「相手が見栄を張ろうとしてこちらに合わせている」なんて可能性もあるので何とも言えないこともあったりする。


望ましくない変化だとしても色々なことを考える。

自分の関わりで反省すべき点はなかったか、今後どうしていくか、悲観的になりすぎていないか、など。


考えて実践して振り返って、というのがこの仕事の基本的なループなのだと思う。

もう少しシステマチックにこの流れをやりたい。


思いつきで行動して、後から反省して、次以降にあまりつながらない。

そういうこともあるし。最初の頃に比べてだんだん改善はされてきていると思うけど。


今にして思えば、最初の頃は思った以上に手探りだったと思う。

いや今も手探りなんだけど、当時は「経験の無さゆえに分からないこと」ということに全然無自覚だったと思う。上司や先輩が「こういう風になっている」と説明してくれることを「それくらい知っているよ」「こういうことでしょう」と分かった気になっていた、そういうことが多いと思う。今の自分から当時にツッコミを入れるなら、「それがちゃんと分かっているなら、こうすべきだ。これもわかるはずだ」ということが多く出てくる。一つ一つが知識として入っていても、それが正しくつながっていなくて、結局実務に有効なものとして機能していなかった。そういう感じ。

まぁそれは仕方がない。初めのうちはそういうものだと思うし、今だって手探りで進んでいく場面も非常に多い。


ふと振り返ってみると、支援している相手だけではなく、自分も色々と変わってきたのではないかと思う。きっと、良くも悪くも。万物は流転するという感じだ。行く川の流れは絶えずして、的な。


仕事はやはりしんどい時もあるけれど、少し休むと「頑張るかぁ」という気持ちになれている。「できるだけ働き続けたい」という気持ちはある。かっこつけの部分もあるにはあるけど、本心としてももちろん、幾分かはある。

できれば健康をキープし続けて80過ぎるくらいまで働き続けたい。今関わっている領域の中で歳を取ってからでも続けられそうなものってどんなのがあるかな、と思案する。


以前同業の人との雑談で、もちろんグチなども多くあったんだけど、「福祉は給料は少ないけど、福祉がなくなることはない」っていう妙なポジティブさ(?)で合意したのが印象的だった。そうね、多分福祉は無くならんわ。でも給料は上げて欲しいな。処遇改善してくれ。


久しぶりに長く文章を書いたなぁ。

逃避したいことがあると、文章を書きたくなるのかもしれんな。

現実をやっていかねばだ。向き合っていかねばだ。

 

00586_理論と実践

これでも一応対人援助職なので、関わり方の本だったり生き方の本だったりを読むことは割とあります。

読んでいるときは楽しいんですよね。

「なるほど、そうすればいいのか」と。

悩んでいることに対して、答えが出たような感覚に陥る。

 

しかし、これを実践するという段になると、これがまた苦しい。

本当にこれでいいのか不安にもなる。

相手の抵抗を感じながら声を掛けていくことは辛い。

声を掛けても変わらない、ということが延々繰り返されて、

「自分のやり方が悪いせいだ」と、自分を責め始めてしまう。

様々な言い訳を付けて、実践せずに逃げてしまう。

逃げてしまってから「どうしてやらなかったのか」と自分を責めてしまう。

苦しいものです。

 

「どう生きたって人生は苦しい」みたいなことを思う。一切皆苦

だからと言って手放しにしてもいけない。まさにそういう所が苦しいな。

 

00585_わがまま

誰かといると独りになりたくなり、

独りでいると誰かといたくなる。

そんなことが多い。

ないものねだりなのか。

多動性とかそういうものなんだろうか。

 

何となく、「今に集中できてない」ということは思うんですよね。

今目の前で一緒にいる人と楽しんだりとかさ、

独りの時にはゆっくりするとかさ。

そういうことができていない気がする。

もっとこう、今すべきことをしっかりやれるようになりたいものだが。

 

そんなに満たされてないわけではないはずなのだが、

それでも生きづらく感じることは十分ある。

人から見ればそれほど問題ではないところを不安視しすぎてたりとかさ。

小さなリスクとか心配事をわざわざ見つけに行ってるような気がする。

 

もっと気持ちを楽に持ちたい。

心配しすぎないのもあるだろうし。

心配事をサッと解決できるようになりたい、でもあるだろう。

あせらずやろう。

00584_見えないところ

特定の誰かやどの件、と言うわけではないけれど。


もうだいぶ前からなんだけれども、ネット上の、もっと具体的に言えばTwitter上の論戦、みたいなものに疲れてしまった。

自分は特に誰かと言い争っているわけじゃないけれど、見ているだけでも消耗してしまう。

そういう思いの吐露ですら「対話することを拒むのか」と罵られそうに思える。


これでも昔はインターネットやそれを通じたコミュニケーショについて明るい未来を思い描いていたものだけれど、現状を見るとそれは結局夢物語だったと思わざるを得ない。仕方ない。


インターネットで可視化されない部分に、心落ち着けるところがあるんじゃないか。そんな気もしている。わからない。オフラインの現実の方がもっと残酷なのかもしれない。十分そう言う気もする。


夢を見過ぎる性格だ。もっと言えばそう言う病に冒されている。今もきっと。

失望は、現実理解の解像度が上がったのだとも言える。

非現実的な妄想で得ていた幸福感が減少することは、現実への適応度が上がったとも言える。

そうなのかな、そうなのかな。


とにかく今は。

目の前のコーヒーがおいしいとか。

そう言うことを大切にしていきたい。

00583_積み重ね

知識や経験をしっかり積み重ねたいという話。

繰り返して身に着けることもそう。

新しいことに触れて取り入れるのもそう。

自分の中でぐるぐると考えているだけでは発展しないから、

読んだり書いたり話したりして深めていきたい。

 

自分の良くない癖で、「今できること、持っているものなどを取るに足らないものと考えてしまいがち」と言うことがある。

同じように「他の人がやっていることや、目新しいものが面白そう・有益そうに思える」何ていうこともある。

ほどほどならいいだろうけど、羨みすぎるのも問題だ。

自分で生きていける人生のルートは一本だし、手に持てる荷物の量には限りがある。

可処分時間も限られている。

 

新しいことがしたければ今していることを辞めねばならないし、

新しいものが欲しければ今持っているものを手放さなければならない。

 

そういうことを繰り返して出来た自分の人生が、

他人と比べて劣るとか、そういうことは考えないようにしたい。

他人と比べて勝るとか、それも考えないようにしたい。

どれだけ自分の人生を積み上げていけるか。

高さじゃないかもしれない。広がりかもしれない。

不格好な形だとも思う。それでもまぁ、生きていかねばと思う。

 

抽象的なことばかり言っている。

曲がりなりにもオンラインなので、具体的な展望を書くのははばかられる。

取り敢えず、考えていることを文章化する練習として、またブログを書いている。

 

00582_ちょっと疲れた

ここのところ色々なことが続いて、少し疲れてしまった。

自分がとても無価値な存在に思えてしまう、というのかもしれない。

自分の中の複雑な感情をよくある表現に収めてしまうもどかしさがあるが、近似値でも言語化しないと何も伝わらないからなぁ。


またぼんやりとした言い方をしてしまう。

自分だったら、こんなぼんやりとした言い方をしている人を見ると「もしかして自分のことをいっているのかな?」と、不安になったりしそうである。

「あなたのことじゃないよ」と言って回りたくなるが、それも面倒くさくなって、結局ぼんやりとした言い方すらせず、口をつぐんでしまう。

そうやって何も話さないから、自分の中で溜め込んでしまうから、疲れてしまうんだ。そんな気もする。

「言えない何かがある」を言うだけで、周囲に気を遣わせてしまうようで申し訳ない。

そんなこんなで、誰にも言えないことが多すぎる。


まぁそれも自分だけじゃないよな、と思う。

誰にも言えないことの量は他人と比較することはできないし。

そうするべき類のものでもないだろうし。


幸か不幸か、一晩ぐっすり眠れば気持ちは収まる。

幸としては気持ちが落ち着くこと。

不幸としては、状況が変わらないこと。そのまま目を背けがちなこと。


信仰心不足を責められる敬虔な信者のように、自分も逆方向に走っているのかもしれない。そんな気もする。


大きめの疲れを感じると「それはあなたの生き方の疲れなのだ」と言われているような気がする。そうかもしれない。そこまで考えなくてもいいのかもしれない。


とりあえず、ゴールデンウイークはゆっくり休みたい。