ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00630_大丈夫なうちに

 なかなかにしんどかったのだけれど、少し窮地を抜けた感じがして、朝のコーヒーをおいしく飲めています。とはいえまだまだどうなるか分かんないところもあるから、あんまり油断はできないんだけど。

 ここ数日、ちょっとずつ相談ができて楽になりました。

 やっぱり人と話すと楽になるんだよなぁ。気が休まるということが大事なんだ。

 気が休まれば自責が弱まったり、改善に向けてうごけたりしやすいかもしれんし。

 

 公私ともに予定を詰めすぎないようにしたいなぁ。

 余裕を作るとつい詰め込んじゃったりしがち。

 余裕がなくてもやりたい気持ちが強いと詰め込みがちだし。

 キャパを自覚して「今ちょっと無理」みたいな判断をするのが苦手だなぁと思う。

 今もまた「そういえばあれをやりたかった」みたいなことが頭を過りました。

 やりたいこともやらなければならないことも多いものだ……

 

 むりせずゆっくり。

 そういえば最近本を読めていないな。

 紙の本を読む時間を入れても良いのかもなぁ。

 

 あっという間にもう10月。2023年も残り2カ月半。

 まぁ色々やって来たんじゃないかと思う。

 来年の手帳、どうしようかな。そんなことを考えるのも楽しくなってくる時期かもしれない。

 楽しみなこと、楽しそうなことはまだまだこれからたくさんあるはずだ。

 できるだけ前向きに、機嫌よくいられるようにしたい。

00629_きついということ

キツイということは難しい。

 

自分は今きつい、ということを認めることがまず難しかったりする。

きついのって、一瞬で去ったりすることもあるし、人と話している刹那だけきつくない、ということもままある。

通院のときだけそんなにきつくないから「元気です(なので早く通院を終えたい)」みたいなリアクションをしたことがあるめんへらさんは結構多いんじゃないかと予想する。

 

そして、きついということを人に伝えるのはもっと大変だったりする。

人に伝えるのがきついからできるだけ認めたくない(本当は感じていても)みたいなこともあると思う。

 

心配されたときにアドバイスを聞かなきゃならないきつさ、

励まされたら元気を出したようにしなきゃならないきつさ、

要するに自分がきついにも関わらず、回りに合わせなきゃならなくなることがきついんだろう。

きついということがきつい理由がここにあるようにも思われるなぁ。

 

しかし、きついときこそしたくないこととか、正しいこととか、人に教えを乞うこととかが必要になるんだよな、ともよく思う。

調子よく自己流でやってて行き詰るからきつくなるわけで。

そしたらさ、自己流から変えていかんと状況変わらんよね? って思うわけです。

Twitterとかでは「アドバイスをするけれど全く聞かない他人」みたいなのがよく漫画にされているけど、自分もつまりそういう状況ってことよな。

三者から見たらおかしいのは明白なのに、自分事となるとまったくもって冷静になれないものだ。

 

自分の場合は、きつさの一覧と対応策の一覧みたいなのを用意していた。

WRAP(Wellness Recovery Action Plan:元気回復行動プラン)を真似した感じのやつ。

最近あんまりこれを実践できていないなと感じる。

 

そういえば、最近感じた「ちょっと黄信号かも」くらいのサインとして、「会話が噛み合わないことが増える」ということがある。

自分にせよ相手にせよ、そこまで気を遣わなくていいコミュニケーションの中で考える時間が長くなるとか、リアクションが想定外とか、みたいな。それが一人相手じゃなく、別の相手とも起きる時、多分これは自分の調子に原因があるんだと思う。

こういうことを自分のWRAPに組み込んでいかんとな。

あとはやり忘れとか抜け漏れとか見落としとか。こういうのが増えてることで自覚なくともきつさが表面化してくるんだと思う。タスクを整理しないとなぁと思うところ。

 

自分の過去の経験を振り返ると、人に話しかけるのをためらう時間というのはめちゃくちゃ疲れるものだと感じる。

怒られるかもしれないからと先伸ばしたり、ていねいに伝えたいからと先伸ばしたり。

本当は今言わなきゃいけないんだけど勇気が出なくて声をかけられなかったり。

逃げられるうちはまだ楽かもしれないけど、逃げられなくなったときが一番苦しい。消耗するし、なかなか嫌な気分が抜けなくなる。

 

一番最初の仕事をしていた時、この時間がとても長かった。とても苦痛だった。

なので、「あの時と似ている」と感じると、早めに手を打たねばという危機意識も割とはやく働く。うまくなくてもいいんだ。とにかく声をかけろ。話はそれからだ。

 

こういう泥臭い感じのコミュニケーションを取りたいとき、抗不安薬は結構役に立つ。

抗不安薬ですぐにコミュニケーションが上達するわけではないが、抗不安薬を飲むことによって話しかけることについての抵抗感が薄れ、コミュニケーションが曲がりなりにも取れていく、そこで得られた情報とか経験から、少しずつ意思疎通が楽になっていく。そんな感じ。

発達障害の人が「薬はあくまでサポートで、経験して学習していくことが大事」みたいなことを言っていたと思うけれど、それと近い感覚かもしれない。

 

は~もっと楽にならんかな。でも楽になるとまた自分で詰め込んじまうからな。

意図的にバッファを作る。意図的にバッファを作る。

それは怠惰ではなく戦略的休息だし、というか常に戦略的であることは非現実的なので、気楽にする時間を大切にした方がいい。

 

なので、ジャズを聴きながらコーヒーを飲み、こんな文章を打っています。心地よい時間です。来週もまた生きていこう。

00628_まとまった文章

まとまった文章を書きたい気持ち、まとまった文章を読みたい気持ちがあります。

書くとしたらやっぱりメンタルヘルスについてなんだけど。

なかなか情報を仕入れたり整理したり書いたりできないなとなってしまう。

他に優先することも多いしなぁ。

 

まとまって時間を取れたとしても、「こんなこと書いていいのだろうか」という思いが結構強くて自制してしまったりとか。あるあるですね。

仕事に関する具体的ことはもちろん守秘義務とかもあるし話せないんだけど、具体的に「どういう事なら話しても良いのか」は検証したいなと言う気持ちがあります。

 

「今日は仕事頑張ったわー」とかなら多分OKだと思うんですよ。

「今日は〇〇さんの会議があり、そこでこんな発言がありそれに対して支援者が……」みたいな具体的なことを書いてはいかんと思うのですよね。

「最近〇〇な人が多くて△△みたいに思う」とかだとどうなんだろう。

 

「福祉分野における個人情報保護に関するガイドライン」みたいなものもあるはありますが、これはまた別の話なのかな。

 

メンタルヘルス分野で働いている人が情報発信するとき、どんな内容に気を付けているのか知りたい気持ちがあります。

まずはそれをまとまった文章にすればいいのではないか、というきもち……

きもちだけ……。

 

00627_1on1

大きく言うと人間関係が上手になりたいという話なんですが、やや具体的にすると「1on1でのコミュニケーションを磨きたい」という話となります。対戦よろしくお願いします。

 

他者とのコミュニケーションの分類として、「1対1」と「1対2人以上」は、比較的漏れなくダブりなく分類できる区切りのように感じます。ミッシー。数は歯切れ良くて心地いい。

 

1対1ならまぁまぁ話すけど、1対2人以上になるとあんまり話さなくなるよな、と自己分析しております。1対1でも基本的には聞き役をやることが多いと考えている。

2人以上になると考える情報が多くなって話すのがしんどい、みたいな感覚もあります。2人で話してくれてた方が楽、という感覚はしんどさより強くあります。

 

1対多でも、コミュニケーションの向きが固まっていればできなくはないと思うんですよね。学校の授業みたいに自分がしゃべるだけであればまぁまぁ喋れる。双方向のコミュニケーションを大勢でやるのが苦手なのかもしれない。

 

苦手なことを出来るようにしていく方がバランスが取れていくのかもしれないけど、苦手なことってやっぱり苦手だからさ。得意と言うか、あまり無理せずできる方に注力したい気持ちですよね。

 

これから働くにしてもプライベートで楽しむにしても、やっぱり人間関係は欠かせないよなと思うんです。で、それに備えてなんかできることないかなぁと思う中で思いいたったことが「とりあえず1対1でしっかり人と話せるようになりたい」ということでした。何と言うか「これが全ての基本じゃろ」みたいな気持ちから、なんですけど。でも「集団の中にいるから言えること、できること」っていうのもすごく多いよな~とも思う。人は群れる生き物だから……いや、でもそれが苦手だから無理しないって話じゃなかったのか。

 

「こう話したらこう思われるかもしれない」というのが自動的に頭の中をめぐってしまい、それが会話に参加する全員に対して発動するから人数が増えると乗算的に負荷が増える。

相手の反応を過度に考えなくてもいいんだろうなと思うけど、気にしちゃうよね。

バランスのとり方が難しい。自己主張って大変だ。

なんか一対一のことより一対多のことの方がおおく話しているな。

00626_めんどくさいぞ

「今朝は何をブログに書こうかな」と、コーヒーを手に意気揚々とパソコンへ向かって、最初に思いついたのが「めんどくさいぞ」と言うことでした。最初の意欲はどうした。まだ冒頭だぞ。

 

 そういえばポケモンスリープがリリースされてそこはかとなく流行しているようですが、リリース初日に始められなかった自分は「すでに乗り遅れてしまって今更やるのも……」という気持ちになってしまったりしていました。変なこだわりかもしれませんね。

 

 色々やりたいことはありつつ、なかなか出来る時間と体力がないな~と思っています。

時間と体力のせいにしがちなのが、年をとったなという感じがします。実際そうだしな。

時間の経過がとても早いです最近。年を取ったからだ。きっとそうだ。

 

 休日、半日くらいは「何にもできない、ちくしょう……」みたいな鬱々とした気持ちでスマホ片手に寝転がってしまうんですけど、そういう時間って気づかないうちに自分のHPを回復させてたりするのかな。いや、よく言われるようにSNSに心身を削られているだけの時間と解釈する方が自然なのかしら……

 

 最近、スティックタイプのアイスコーヒーを頂きまして、今飲んでいますが良い感じです。水出しアイスコーヒーもおいしいんですけど、最近平日に家でコーヒーを飲まないので作る量が難しく手をつけずにいたところ、ちょうどよい解決策を提示頂いたような気持ちです。どんどん良い製品ができているのだなぁ。

 

 なんか一貫したことが書けずに散らかったテーマを書いてる感じになってますね。ツイートまとめてるみたい。今はTwitterじゃなくてXなんでしたっけ。SNSの移住もしたい気持ちもありつつ結局できてないですね。

 

 そろそろ書くことが無くなってきました。息切れが早い。疲れやすいけど疲れが抜けるのも早いタイプのようにも思います、わたし。

00625_計画性

計画性が欲しいなと思う。

個人的に、年頭の志を書くときにかなりの頻度で出てくる言葉になる。

つまりそれは全然達成できていないし身についていないことの裏付けでもあるのだけれど。

自分の抱えている問題が「計画性」なるもので解決するんじゃないか、あるいは「計画性」なるものをもってしか解決できないのではないか、という思いは年々強まっているようにも感じる。

なにせ、体力と衝動性が衰えていると感じる。

 

当たり前だ。30代も半ばになって、十分「中年」になった。

若い頃のやり方でうまくいかないというのはやむを得ないことだろう。

若い頃とやり方を変えてうまくいくようになったことだっていくらでもあるしね。

 

計画的に生きるなど無理な話だ、という論も前に耳にしたなと思う。

現実はどんどん想定外に変化していくから、一度立てた計画通りにやっていくことが最適にはなりえない、なんてね。まぁそうだと思う。

 

あぁもっと。具体的なことが書けるようになりたいなぁ。

いつまでも感じたことの垂れ流しだけじゃなくてさ。

役に立つ知見とか、自分の経験からくる心情とか、なんかそういうかっこいいの。

きっとうまく書けないんだよなぁ。

 

今から新しくなにができるようになるんだろう。

もっと何かできるようになりたいな。

 

00624_言葉ではなく行動で

やりたいこととやらなければならないことがおおいが、全然できていない……

いや、実はまぁまぁ健闘しているのかもしれない、わからない。

いやでも、もうちょっと何とかなりませんかね自分……

 

やりたいやりたいって言うだけならどうとでもなるんだ。

実際に動きもしないで「やりたいやりたい」だけなのって良くないと思うんですよ。

結局言い訳してるだけじゃん、みたいな。

 

とはいえ、この場合「行動できない自分」という点を責めるというよりは、「実現できないほど計画を詰め込む自分」という点を責めるべきと思うんだよな。

直すべきは行動力じゃなくて計画の無責任さ、無尽蔵さの方ではないか、という。

 

まずはスモールステップで、少しずつ身に着けていきましょうね……

自分は他人に言いつつ、自分がなかなかやりきれないやつ。

気長にじっくりやれるのが一番近道なんですよね。

どこまで行っても正論が正しいという結論だ。

王道を行けないから都合の良いルートを探してしまう、みたいな感じだけど。

結局自分のやり方とかにこだわらず、先人が調べ検討し尽くした最良をなぞるのがもっとも効率的と思う。

理屈じゃそう思っているんだけどなぁ~

「完璧に正しい手法を取るべき」なんて、まさに「実現できない計画」の最たる例じゃないか。

今離れるべきはその考え方なんだよきっと。

ぐるぐるめぐって結局どうすればいいか分からんな。

それも自分らしさだ……。なんて雑な締め方だ……。

まよいながらまよいながら、だなぁ。

もうちょっと何とかなりませんかね……と自問自答を続けていくのだ。

今日も生きる……。