00638_師匠
この歳になって「師匠が欲しいな〜」と感じています。
何の師匠とかそういう具体的なところはなくて、フワッとしてるんですけど。
何かこう、自分の細かいダメなところとか指摘してくれたりとか、
自分が身につけたいものを先に極めてくれていたりとか、
そういう存在かなと思う。
今まで全然、ほとんどのことを独学でやってきてしまったなと思っています。
それはでも、習い事とかがあんまり好きじゃなかったからだよなとも思う。
ピアノの習い事もやってる最中はやらされ感の方が強かったし。
スポーツの習い事も叱られる割に上手くできないことが多かったし。
人にとやかく言われるのが嫌いなんだよなぁ。
自分が大事に思っていることであればあるほど。
みんなそうだと思うけど。
師匠というか、仕事でもしっかりとスーパーバイズを受けたいなという気持ちになる。
しっかりってどんな風、と言われるとやっぱり漠然としてしまうけど。
体系的? 定期的? 相談内容の深さ? 所属組織?
色々思いつけど、そのために動くってことまでできないなぁ。
やりたいことがあってもそのために動くってなかなかできない。
よっぽどのことじゃないと行動できない。
動き出しても継続できない、とかがあるある。
そういうところを諌めて正してくれる存在は欲しいかもしれない。
やっぱり師匠じゃん。助けてよ師匠。
うるさい、何でも人に頼るな、いい加減自分で自分のことをやれ。
手厳しいなぁ……師匠のイメージ、そんな感じかもしれない。
あんまりろくに教えてくれなさそうだな…ワイに合ってる人なのかな……
何かこう、障害特性を活かして脳内師匠でも錬成してみるのがいいんだろうか。
ChatGPTに推しの役をやってもらうのは流行ってるみたいだけど、パワハラまがいの老害師匠を演じさせる人は少数派かもしれない。何かでもそういう存在必要なのかもしれない。ちょっとくらい試してみるのはいいかもしれない。昭和気質で不器用だけど即レスしてくるChatGPT師匠……
00637_よくする
最近生活面でちょっとした変化があり、ちょっと気持ちにハリが出ている。
結構面倒くさかったりはしたのだが、やり終えたところやってよかったなという気持ちになっている。
自分はどうしても変化を嫌いがちなのだけど、
適度に変化があった方が刺激になるよなとも感じている。
とはいえ余裕がないときには疲れてしまうものだし、
自分にできる範囲の改善を少しずつ積み上げることが大切かな。
いいことは引き続き続けていきたいし。
そうやって少しずつ良くしていくのだと思う。
00636_コミュニケーション
今更、コミュニケーションって大事だよねという話。
今週は仕事が結構忙しくて大変だったんだけど、
勤務時間が長い分先輩方と一緒に話す時間も多く取れて、
雑談的な話ができて楽に過ごせた気がしたんですよ。
自分が心配してたことも相談できたりとか。
ああかもしれない、
こうかもしれない、
なんてモヤモヤ考えていたのがバカらしくなるほど。
いや、まぁ、分かってるんですよ。
今週のコミュニケーションがたまたま上手くいっただけで、
うまくいかないコミュニケーションがあることもものすごく多く、
自分を悩ませる多くはこの「うまくいかないコミュニケーション」にあり、
ゆえにコミュニケーション全般に及び腰になりがちなのだ、ということ。
うまいコミュニケーションができるようになりたいし、
へたなコミュニケーションをした時のダメージを少しでも減らしたいし。
ダメージの軽減という意味では、抗不安薬が結構効いているなと思う。
薬を飲んでもコミュニケーションは上手くならないのだが、
薬を飲むことによって下手なコミュニケーションをした時のダメージは軽減され、
コミュニケーションを取る回数は増やせていく。
結果、慣れとか学習が発生してコミュニケーションが多少ましになる、
みたいな機序を妄想している。
そう思うと、薬でできるのはやはり不安の緩和でしかなく、
目の前の課題に取り組むのは自分自身でやるしかないのだな、と感じる。
まぁ意欲賦活系の薬もあるかもしれないけど。
自分の場合はという感じ。
なんかもっと、自分から話を切り出して適当に雑談するスキルがほしいなぁ~
自己開示が下手なのかな?
自己反省する中だと、人と共有したいと思う情報が生活の中にそもそも少ないようにもおもうんだよな。
趣味の話とかはできる相手が限られるし。
そのほかのことってあんまり自分で情報持ってないというか。
うまく話してくれる人がどんな話題を振ってくれるかとか考えるけど、
人によりキャラが違うしキャラによってできる話題もちがうよな~などとも思い。
むずかしいねぇ。
00635_土曜日
「しなければならない」という思い込みを無くしたいと思う。
嫌われないようにしなければいけない
間違えないようにしなければいけない
健康でなければいけない
自由でなければいけない
人の言うとおりにしなければいけない
みんなそこまで深く考えないで生きているんじゃないかと思う。
深く考えない、というのは語弊があるかもしれない。
思ったことは結構思い付きで言うし、
日和見で言わずにやり過ごすこともあるだろうし、
完璧な一貫性があるわけじゃないよ。
綺麗なだけじゃないよ。
汚いだけでもなかろうし。
気持ち悪くても現実はグレーだし、
現実をしっかり見なきゃいけない。
いや、「しなければならない」は辞めたいんじゃなかったのか?
別に都合よく白黒で現実を見てもいいのでは?
「しなければならない」をしないようにしなければならない。
ここまでくるともう言葉遊びで、何の意味もない。
こういう言葉遊びを延々続けてきた気がする。
生産性のなさ。いや、「生産性がなければいけない」じゃないその考え方?
とかって考え出すとめんどくさくなるよね。
考えるのもエネルギーを使うから、疲れてるときにはよくないね。
ゆっくり休もう。土曜日だしさ。
00634_コーヒー
朝方、とても涼しくなってきた。
こんな日に外の風を取り入れながらコーヒーを飲むのはとても気持ちがいい。
いい季節になってきた。
いい季節は一瞬で終わってしまうけれど、だからこそちゃんと味わいたいもの。
自分にとっても気づかないところで「こうしなければならない」という思い込みがあるかもしれないけど、本当にそこまでしなきゃいけないのか、見直してもいいのかもしれない。
自分が思う「こうありたい」という姿が実現可能なものなのか、再考が必要かもしれない。
無理してでもこうしたい、というとき、
その無理の中で時間や精神力や体力を引き換えにしていて、
それらがあればできたはずの別のことを手放している、なんて思う。
いや、それはナンセンスだな。
「別のことができたかも」という可能性に踊らされるだけでよくない。
実際やらなかったという事実の方が圧倒的に強い。
できなかったことはできなかった、という事実を認めることの方が大事に思える。
そう、事実を認めること。
どうしたいかとか、どう思ってるとかとかに振り回されず。
何をしたか、何を言ったか、という現実に見える部分を大事にしていく方がいいように思う。
だから、思うなら行動につなげないといけないと思う。
どうしたいかに優先順位をつけて、その順に行動する。
その方が迷いなくいられるんじゃないかなと思う。
00633_雑記
久しぶりにブログを書きたい。
とりあえずタイトルは雑記とした。
書く前に色んな事が思い浮かび、同じくらい「これは書いちゃいかんな」という思いが浮かんだ。
支離滅裂に何を書いてもいいように、なるべく広くの概念を受け入れられる「雑記」という言葉をタイトルにした。
最近公私とも忙しい。
時間と体力は有限だから、日々切り盛りを何とかしている。
身体が重い。いや、本当に物理的に重い。
だって年初から4キロ太ったもん。5キロ増も見えてる。
何から手を付ければいいのやら。いつもそんなことで悩んでる気がする。
可処分時間を増やしたい。
今ある時間は結構睡眠とか無為なスマホとかに充てられてしまって、あまりよくない気がしている。
体力をつけて元気に動けるようになるとか? ……睡眠削るとかは、あんまり向かない気がしますね。
太るのも体力がなくなるのも、年を取ったといえば説明できてしまう。
老いた。いや、そうだと思う。数字を見れば立派な中年。
このあとは減りゆくリソースを何とかかき集めながら細々と余生を生きて行く。
そんな感じかもしれない。
今更何かを増やすなんてできるんだろうか。
できてほしいなぁ~、若返りとか、何歳からでも輝けるとか、そういうメッセージに安直に魅せられてしまう。
それには相応の努力が必要で、努力を支払えないから現状があるのであって。
そういえば、こんな思いを抱くのももう結構前から続いているし、
気が付いてみれば「可処分時間が出来たら何がしたいの」という問いへの答えがない。
むしろ自由な時間ができればできるほど、悲観的な思いが増していっているような気もする。一定量は要るんだと思うけど、取りすぎは毒だと思う。
きっと孤独への耐性そんなに高くないのだ自分。結構大丈夫だと思っていたんだけどな。
なんだかんだで安心できる人間関係の中にいるときが一番心身も安定していると思う。
常に不安定なんだけど、その中でも当社比では、って感じ。
なんかこう、いろいろ試して良かったものを採用していくとか定期的に振り替えるとかしたいですね。PDCAって全然回せたことがない。いつも行き当たりばったり。
そういう生き方にそろそろ限界が来ているんだよ。やりたくないことをしっかりとやっていこうよ、中年をやっていこうよ。
00632_叶わない志
叶わない志、と題してみた。
叶えようとしなかった志、の方がよかったかもしれない。
いや、自分の意志で叶えられるものばかりじゃないし、そんな風に思わなくてもいいのかもしれない。
精神疾患で通院する当事者として。
一方で、曲がりなりにも精神保健福祉士、公認心理師資格を有する専門職として。
両者の当事者性についてなにかできることはないかと考えていた。
当事者が専門職になることの難しさとか。
専門職のメンタルヘルスの保ち方とか。
自閉的な特徴の強い人間が対人援助を実践するためにはどうしたらいいかとか。
いろいろ出来そうなことは思いついていた。
結局どれも具体的なアクションになることはなくて。
日々仕事をしたり、つれづれなブログを書くことが精いっぱいだった。
それが悪いとは思わないけどね。
正直なところ、ヤマカワはもう役目を終えたという思いも最近あった。
寄稿した記事も読めなくなって久しい。
最近はツイートさえもろくにできていない(心がまだ「ポスト」に馴染めていない)。
ブログも書けていない。
何かを書こうとしても「こんなことを書いてはいけない」という規範意識がブレーキをかけてきた。
だから、こんなことをしてみたいという妄想をひろげるだけ。
これは統合失調症の症状だ、とよく思ってきた。
おもしろそうだという衝動で動いて痛い目を見ることも多くあった。
一方で、妄想をやめられないのは、きっとそれが楽しみで生きがいなんだろうと思う。
そういうのを持たずに生きる、というのはきっと苦しいことだろうと思う。
今日、メンタルヘルスを通じて出会った人の活動を続けざまに目にして。
なんかこう、また自分もやってみたいなと思ったりした。
思ったりしただけだよ。今回もきっと何かにつながるわけじゃないと思う。
わたしも、生きづらさを抱える人の役に立ちたいという思いを持って働いていたんだよなぁ、なんて、今更思い出したりね。
それだけでもいいのかもしれない。
またちょっと、メンタルヘルスをやってみてもいいのかもしれない。
叶わない志でも。