ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00522_財産

しばらく間が空いたので、何か書きたいと思う。書かなきゃと思った、とも言える。

別に仕事でもないんだけれど、「1週間以上間を開けたくない」みたいな思いがあります。


仕事の振り返りを毎日つけるようにしたいと思っているのですが、なかなかやり始めることができない。そう言う考えもすぐ他のことに飲まれてしまう。最初の一歩が踏み出せない。難しいなぁ。


毎日仕事をした後振り返りをすることで、力がついてくると教わりました。

自分だけの財産になる、とも。

そうだね、確かにそうだろう。

他の人に奪われない財産だ。人生の証とも言えるかもしれない。

日記か。要するに日記だな。

仕事のことだけを書くと言うより、その日の出来事を全般的に書くような。

そう言うのをやりたいかなぁ。

ブログも定期的に書いてるけど、やっぱりオンラインだから具体的なことは書けないしさ。こっちはこっちで良さがあって、何より人に見られることでモチベーションが続く。コミュニケーションのきっかけになることもある。それはそれで替え難いし、現時点で既に財産なのだと思う。


そういえば、昨日でヤマカワのTwitterアカウントが5周年になりました。今日は六年目の初日ですね。

早いものです。色々ありました。色々。

これからも色々あるのかもしれないな。


元々、自分で考えたり学んだりしたことを積み上げていきたい、と言う思いでラボラトリなんて名前にしたことを思い出した。財産を築いていくんだなぁと。それは経済的な価値を持つものではないけれど、自分にとって財産になるものなんだと思う。何かと今の自分を否定しがちな言葉が浮かんでくるけれど、今の自分だから親しくしてくれている人もいるのだ。必ずしも責め続ける必要はない。

00521_余裕を作る方針で

体力、財力、思考力。

まずは余裕を作る方針で行こうと思います。

 

新しいことを詰め込もうとするとき、実は持てるだけの余裕がないのに「やろう」と動き始めてしまったりする。やりたいことが多すぎるのにさらに増やして、結局できずじまいになるとか。

 

おそらく人より多めに余裕を取らないと、精神的にやられやすい人間だと思う。

部屋を散らかしがちだから、できるだけ持つものを減らして快適にしたいとかそういう感じ。

 

まずは余裕を作る。

本を買うのは本棚に空きができてから、みたいな。

予定を入れるのは暇ができてから。

 

暇、っていう概念は結構大事だと思っている。

新しいこと、最初の熱意でしばらくは続くんだけど、それに相応する時間と体力の余裕(=暇)が足りないとどんどん尻つぼみになる。



通勤を含めると11時間くらい働き

8時間眠り

準備と片づけを含めた食事に1時間30分

風呂に30分



とすると、そもそもの余裕が3時間くらいしかない。

その3時間も、体力がなければ虚無的に過ぎておわりだ。

 

3時間続けて何かに取り組める集中力はない。

そもそも朝とか帰宅後とか、細切れの時間になるだろうし。

 

それでも、時間はまだ可視化しやすいものだと思う。

体力とかメンタルとかさ、全然可視化しにくいじゃないですか。

やはりツールを使って記録するのがいいのかなぁ。

00520_正しくないことを思う

正しくないことを思うこと。それ自体は悪くないと思う。

思うことって、なかなかコントロール不能だしね。それを正すのが言わゆる認知の修正なのかもしれないけど。

 

思ったことを正しくないと知りながらあえて言う、それはどうだろう。

「思う」と「言う」の間には大きな違いがある。

思っているだけなら許されることも、言うと許されなかったりね。

まぁ「他人に許されないことを言ってはいけないのか」というのは改めて考える必要があると思う。



言うのであれば、責任が生じる。

しかし、言わないこともまた、責任を発生させることもある。

 

言って発生する責任は「それは違う!」と責められる可能性を負うということ。それについて質問されたときに答えること。間違っていると思ったら謝ること。

 

言わずに発生する責任は、ちょっと考えにくいけれど。

後から「どうして言わなかった」と責められる可能性もある。リアルタイムでも「どうして同意しないの、あなたは反対なの」という意見や視線への対処もあるだろう。



思っていることを言うことで得るもの、失うもの。

思っていることを言わないことで得るもの、失うもの。

 

得ているつもりでも、実は失っていたり。

自覚がないだけで、実は大変なものを失っていたり。

いや、実は失っているのではなく、自由になっているのかもしれなかったり。

 

何がどう人生に対して良く、悪く、作用するかなんて終わってみなけりゃわからない。

そんなこと気にする方がナンセンスという気もしてくる。

結局は、目の前の一日をよりよく生きるよう生きていくだけだと思う。

日々が判断の連続であるという所から逃げないでいたい。

あるいは、「逃げる」という選択も主体的に取ったものであるのだと自覚しておきたい。

00519_アドバイスと聞き流しについての考察

相談するのが苦手である。

 

苦手な理由の一つとしてぼんやり思い浮かぶのが

 

「相談してアドバイスされたら実践しなきゃならないのがめんどう」

 

ということがあった。

 

「ちょっと〇〇で困ってて」と言うと、「××したらいいんじゃない?」と言われるような、あれ。

 

この時提示される方法が、自分が気づいておらず本当に新たな知見で、かつ実践可能に思えることだった場合、それは採用されるかもしれない。これだけ好条件でも採用されないかもしれないのは、やはり時間を置くと実行がめんどくさくなってしまうからで。

 

で、それ以外。自分でもある程度思い浮かんでいることをアドバイスされた場合。

自分でも思い浮かんでいることだが、実施していない。

実施していないのは「めんどくさい」を中心とした、何らかの理由があるから。

もちろん相談に乗ってくれて、アドバイスまでしてくれる相手にそこまでは言えないのだが。

ありがとう、と言いつつ、そこまではできないよなぁ、という思いになることも多い。

 

相手のアドバイスを聞ききれない理由の一つに、「相談が十分にできていない感」がある。

 

自分の状況を相手に十分に伝えきれていない、

ゆえに相手はこちらの状況を十分に理解しないまま結論を出している、

なので、相手のアドバイスは状況に対してちぐはぐになっている。

 

みたいな思い込み。これは相手が悪いんじゃなくて、自分の相談、伝え方がよくないという話であって、相手を責める意味合いはない。

 

なのでまぁ、必然的にアドバイスを聞き流してしまうことが多くある。

今までもたくさんの有益なアドバイスを聞き流してしまったことだろうと反省する。

 

今までの自分の立論には欠けている視点がいくつかある。

 

・自分もまた、相手のアドバイスを十分に理解できていない。

・自分の、状況に対する主観的が、必ずしも正しいわけではない。

・「そこまでできない」と思うならその旨まで話してこその悩み相談。

 

などなど。

そもそも自分の主観が正しいのかという判断は自分自身ではつけられないものだ。

鏡なしに姿が見えないのと一緒。視野には必ず盲点がある。

それを正すためという意味でも、やはり他人の意見を聞くことは大事なのだ。

 

そしてまた、相手のアドバイスを100%実行しなければならない、というわけでもないのだろう。

そこまでやっていたら疲れてしまうし、相手もそこまで求めるわけでもないと思うし。

自分なりにやりやすい形でアレンジしたっていいと思うのだ。

他人がどう言おうと、最終的な判断・行動をしてその結果を引き受ける、責任を取るのは自分なのでね。

 

最近、人に相談した時も、同様にアドバイスをいただいて、ふんふんと聞きつつも「できるかなぁ」と内心思っていたことがあった。

実際にやってみると、多少自分なりにアレンジを加えてはみたものの、相手のアドバイス通りに問題を解決することができた。

そんな件を踏まえても、自分の視野はやはり狭いなということを思うし、他人の意見には耳を貸す方がいいと思うし、かと言って他人の意見に「頭を預ける」ほどのことをせず自分で考えて結論・行動を出すべきだなぁと思うのです。

 

自分一人でできることや見えることは限られているので、もっと色んな人を頼っていきたいなぁと思うのでした。

00518_無数の前提とストレングス視点

背景、前提、文脈。言葉は何であれ、それに至った理由があるものだと思う。


車は左側通行です、但し日本では。みたいなことの「但し」以降の部分のように。


前提なく、手放しで言えることもあるのかもしれない。

でも、そういうことって、逆に抽象的過ぎてあまり意味のないことのように思える。

人は皆死ぬ、とかさ。時は過ぎる、とかさ。

 

いきなりこんなことを言い出す私にもやはりそれなりの文脈というか背景があるわけですが。


今日思い至ったことについて抽象的な要素を考え出してみると「こうすべき」と言われることにはその理由があるもの、だと言う感じ。


例えば、福祉の世界でよく言われる「ストレングス視点」と言うものについて。

クライエントの良いところに焦点を当てて考えよう、と言う風に理解しています。おおむね異論はない。1980年代のアメリカのソーシャルワークから生まれてきた概念、なんてのもググったら出てきました。そこまで覚えてなかった。


で、「おおむね異論はない」にもかかわらずこのテーマを取り上げた理由が、「ストレングス視点だけでもダメなのではないか」と言う風に思ったからです。

あるいは「安直にストレングス視点を語ってはいけない」とか「実はストレングス視点って物凄く難しいのでは」とか言い換えられるかもしれない。


前提を探ると言うことから考えれば、どうして「ストレングスに焦点を当てよう」と言うことを再考する必要があると思う。

クライエントとのラポール形成に有用とか、支援はどうしても短所に目が向きがちだから、とか。


なので、長所に焦点を当てましょう。

こんな風に書かれれば、納得は少し深まる。


一方で、自分がふと思ったのが。長所だけ見ていてもその人の苦痛解決されないよな、と言うこと。

明るく笑顔が素敵だけど買い物が自制できない人がいるとして、もちろんその長所を生かすように関わっては行くんだろうけど、生活上の課題を直視することを避けたら改善できないと思うんだよなぁ。


もちろん自分自身のストレングス視点と言うか、対人援助全般についての経験の浅さ、知識の乏しさが原因で理解に至っていない、と言うことはあると思うんだけど。

ストレングス視点、必ずしも手放しにクライエントを褒め称えると言う関わり方ではないんだろうし。


原則として言われていることも、特定の状況、特定のプロセスの中では不適切だったりするんだと思う。そう言う点まで含めての「個別化」なのか、バイスティックを紐解いてみたいところです。ちゃんと学ばねばなぁ。


思えば、特定の理論を都合よく組み合わせて、自分なりの言い訳を組み立てる癖があるようにも思う。これは仕事に限らず、人生全般に関して言えることだけど。

ちゃんと理屈の前提踏まえているか? と言うところは確認しなきゃだな。

カッコつけて言ってみたところで、結局言い訳してるだけなんだよ。

00517_安定への挑戦

破綻した夢を見ていたと思う。今も見ているのかもしれない。

 

夢は叶わないから夢なのだ、とか。

夢は願うものじゃなく叶えるものなのだ、とか。

 

J-POP的に言えば色々な夢が語られていると思うけれど。

色んな「夢」の共通点にあることとして、

 

「今はまだ叶っていないもの」

 

という点が挙げられると思う。

こうなりたい、と思うということはまだそうなってはいない、ということ。

 

「現状で夢は叶っている。いつまでもこのままでいたい」

 

と言う思いもあるかもしれない。でもそれって夢って言えなくない?

破綻確実だしさ。状況は変わるし応じて考えも変わるし人はやがて死ぬ。

 

お金持ちになるとか偉大なクリエイターになるとか、ありきたりな大成功な夢をずっと妄想していて、今でもたまに浸る時があるんだけれど。

そんなに大きな成功、願っても実現できないし、もうちょっと身の丈に合った夢を見たいなと思う時間が増えている。まだまだ100%ではないし、誇大妄想は完全にはなくならないと思うんだけど。

 

自分の主観としては、バランスの取れた生き方を志向できているように思うし、それは社会的にも要請されている事だと思う。

まぁもっとアクティブになれ、という声もするとは思う。時間をかけてそうなっていきたい。

言いたいのは、突拍子もない妄想を確信してそこに飛び込んでいく生き方から少しずつ離れてきてるということだ。



思い描くことは、簡単で、楽しすぎる。

もしかしたら他人よりそれを楽しく感じやすいのかもしれない。

今得ている幸福よりさらに甘く刺激の強い味がする。

思えば不幸についても同じだ。

今直面している問題よりも、そこから広がる被害妄想の方が辛く鋭い。

そこまで恐れなくてもいいことを過剰に恐れていやしないかな。

 

甘すぎず辛すぎず。

結局志向していることは、本当に陳腐な言葉で。

 

安定

 

なのだなぁ。

安定志向、それ自体が破綻しているという声も十分説得力があるし、そうじゃ駄目だという声が大きく叫ばれていることも良く分かっているんだ。

 

安定、必ずしも楽を志向するだけじゃない。

安定への挑戦、結構あると思うしさ。

絵に描いた餅みたいな、上から降ってくるやたらきらびやかな妄想より、地に足の着いたつぎはぎの妄想を信じることにしたい。その程度の違いでしかない。

それは決して価値の劣るものではない。

今日も穏やかに生きようと思う。

00516_何気ない一日

何気ない一日の中で人生が変わることもある。

あるいは、大きく変わってきたことに気づく、なんてこともある。

 

自分はずっと変わらないつもりだったり、あるいは変わりたくないと思っていても、置かれている境遇の方が変わったり、変わらないと思っていた環境が変わったり、変化からは逃れえない。

諸行無常とはよく言ったものだと思う。

 

新型コロナウイルスの影響を受けて、色んな人の生活が変わっている最中だと思う。

自分も影響を受けている。

その影響もあってか、無くてもなっていたかもしれないけど、自分の人生を通しての課題と言うか、長いこと未解決だったことに着手をしている感じがある。

大げさに言えば、人生が新しいステージに来ている、みたいな。さすがに大げさか。

今まで逃げてきたことからついに逃げられなくなって、しゃあねぇ何とかやってみるか、となっている。

殻を破る機会なのかもしれない。やるなら今しかない。

変えられるのはいつも今だけだからな。

 

自分の変化の影響か、自分がこれまで大切にしてきたものから心が離れていく思いを少し感じている。

環境の方が変わっていくのだ。合わせて自分も変わっていくだろう。

いや、変わっていかねばならん。

諸行無常にしみじみすることがあっても、まだ悟りを開くには早いと思うし。

 

結論の言葉尻だけ捉えたとしても、それは本質的な学びにはならない。

色んな言い換えがあるとは思うけど、そのコアな部分を少しずつ実感し始めている。

 

それって、分かるにはどうしても時間が掛かるってことじゃないか。

そうなんだよ、分かるには時間が掛かるんだ。

分かっているつもりでもな、置かれている境遇や積んできた経験で実感まで至らないということはたくさんあるんだ。

 

何気ない一日にこそ、人生の転機があるし。

何気なく見える一日も、人生を賭けて生きているのだということを忘れずにいたいものです。