ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00603_自分の人生における「よくある質問」

同じことばかりぐるぐると考えてしまいがちなので、一旦それぞれに関する結論のようなものを書いておきます。

あくまで私にとってのFAQですので、もちろん全ての人に当てはまるわけではありません。

ご参考まで。

2022年5月5日、ver1.0。



Q1.精神疾患のある人が対人援助職をやっていいんですか?

 

A1.やっても構いません。ただし自分の疾患のせいで業務に支障を来さないようにすることが大切です。



Q2.今の仕事は収入が少ないんですが、いいんですか? 続けるんですか?

 

A2.「収入が少ない」に関しては、「他人と比べて」ということだと思います。

日々の食事に困るほどではありません。あまりに他人と自分を比べすぎているのは精神状態が悪化しているサインだと思います。



Q3.他人の感情を理解するのが苦手な特性があるのですが、対人援助職をやっていていいんですか?

 

A3.やっても構いません。自分の特性を踏まえた上で、「だから無理なのだ」と投げてしまうのではなく「ではどういう関わり方ならできそうか」と考えて行くことが大切だと考えます。



Q4.他人が怖くて余裕がなくなることがありますが、対人援助職をやっていていいんでしょうか。

 

A4.A3に同じ。



Q5.仕事を続けられるか、健康でい続けられるか、周囲とうまく関わり続けていけるか不安です。どうしたらいいでしょうか。

 

A5.薬を飲んで寝ましょう。不安点を紙に書き出しましょう。将来のことは分かりません。目の前のやるべきことに注意を向けましょう。全部が全部うまくはいきませんので、適度にあきらめましょう。



Q6.クリエイティブなことがしたいのですが、いざ何かするとなると大変めんどくさいです。どうしたらできますか?

 

A6.とりあえず1分だけやるといいと思います。あとは、直接的な創作が無理でもツールの検索や他の作品のインプットならできることもあります。検討して見ましょう。それも無理なら大人しく休みましょう。



Q7.遊んでばかりでなくしっかり勉強し実践していかなければいけないと思うのですが。

 

A7.確かにそうですが、意識が高くなりすぎているのは精神の調子が乱れているときの一つのサインでもあります。あなたは休みなくアクティブに動き続けられるほど強い人ではありません。むしろ意識的に「何もしない」時間を作りましょう。



Q8.全然物事が思ったとおりにいかないのですが。

 

A8.人生は基本的に思い通りになりません。とはいえ全く丸投げというのも違う気がしますので、体力気力が届く範囲内で何ができるか、を考えてみましょう。他の場面では、他の相手ではどう対処したか、どう対処しそうか、なぜそれができないのか、などを考えてみるとよいでしょう。



Q9.「希望を抱いて前向きになりすぎる」ことが一つの精神的な不調(妄想)のサインだと考えていますが、とはいえそれも「生きる醍醐味」なのではないかとも思います。あまりに病気を気にしすぎるのも不健全ではありませんか?

 

A9.そうだと思います。希望の抱き方をメタ認知して、健全かどうかを都度判断していくことが必要だと考えます。先走りすぎていないか、可能性の低いことを確信しすぎていないか、他の人から見たら素っ頓狂なことになっていないか、などを気にかけてみましょう。一番早いのは他人に考えていることを相談することだと思います。



Q10.再発を恐れて臆病になりすぎていませんか?

 

A10.再発にはしっかり注意すべきと考えます。とはいえ日々、心身の調子に波があるのは避けられないことです。不調を小さなうちにケアするよう心掛けましょう。また、何かに挑戦する時にはその後のケアの時間も十分にとるようにしましょう。挑戦の経験を積んで「どのくらいの負荷をかけたらどのくらいケアすると良いか」を把握していけると良いでしょう。

00602_「話す」「黙る」のゼロ百思考

コミュニケーションには「話す」か「聞く」か、それしかないと思い込んでいたのではないか、という反省について。


「聞く」はつまり「話さない」ということで、「黙る」とも近いと思っていた。

(冷静に考えれば「聞く」「黙る」はそれぞれだいぶ違うものだけれど)


自分が話をする中で、聞く人の反応を気にして言えない、ということはよくある。

そういう時、本当の意見を抑えて「黙る」という姿勢をとりがちだ。

意見が食い違ったり、喧嘩になったりするのが嫌なんだと思う。

その感覚については、自分でも理解しているところだと思う。

理解していても対処するのが難しい、というのがタチの悪いところだ。


そういうスタンスでいると、不要な争いは避けられるかもしれないが、

建設的に意見を述べることも封じてしまうという欠点がある。

正しく物事を進められない、言えずにストレスを溜めてしまう、など、

いろいろな形で表面化してくる。


とはいえ「思っていること全てを言語化」なんてできない。

疲れるし、多分そんなに言語化する習慣ないし(割と感覚で生きている)。


しかし、全く何も言わないのも上述の問題点がある。

なので「表現を工夫しつつ話す」ということをできるようにしていきたい、ということだ。

タイトルの話はここに行き着く。

話すか黙るかの二択、というような認識を一旦保留し、


話すときにどういう表現で伝えるか

黙ることについてはどういう黙り方をするか


について、自分の中で引き出しを増やしていけるといいのかもしれない。


一旦相手の言ったことを受け入れてからであればこちらの思っていることも伝わり安くなるかもしれない。

過激な表現で頭に浮かんだとしてもその部分を抑えれば冷静な話し合いにできるかもしれない。

言語化しなくても間の取り方とか表情で伝えられるものもあるかもしれない。


個人的には、同意はタイムリーに早くできるけれど、

反論は時間がかかるイメージ。


あまり考え込んで時間を使ってしまうのも相手に対して「反論」感を強めてしまう気がするな。


「わかるんだけど、なんかちょっと引っかかるな」くらいを、

あまり深刻になりすぎずに伝える、とかね。

そういうので考える時間を稼いで、何が引っ掛かっているのかを明確化する。


こういうコミュニケーションの技法は多分もう体系立てられているんだと思うけど自分が言い慣れて、使い慣れていないと頼りにくいとも思う。

引き続き学びだなと思う。


「話す」「黙る」をゼロと百にしてしまうのはちょっと問題があるなと感じたので、自戒として。バランスの取れたコミュニケーションをしていきたい。

00601_汎用スキル

何をやるにも必要なこと、というのがあると思う。

日本で生きるなら日本語ができることがかなり必要とされる、みたいな。

そういう感じの。

汎用スキルを磨けば、なんでもやりたいことができるかなと思って。

まぁ、汎用であるとはいえ万能ではないので、

他のスキルと組み合わせなきゃ活かされない、とは思うけれど。


パソコンができると、曲が作れて、家計簿の計算ができて、人とコミュニケーションが取れる、みたいな。


とはいえ「汎用スキルを身につけよう」と思って身につける、というよりは、別のことをやっているうちに前提となる汎用スキルが身についた、みたいな感じだと思う。


小説を書こうと思って毎日PCで多量の文章を打っているうちにタイピングが上手くなったり、エラー対応ができるようになったり、調べ物やまとめが上手くなったり、そういうのが仕事に生かされたり、みたいな。


やってみたいことがあったらどんどんやってみるといいんだよな。

そこから身につく汎用スキルがあるんだろうと思う。


スキルとは言ったものの、ずっと忘れずに使えるかというとそうでもなくて、結構環境に依っているものもあると思うんだよな。

人を頼る、みたいなスキルが自分には足りないなといつも思っているんだけど、

今生きている環境は大変ありがたいことに相談しやすい空間にある。コミュニケーション量が多いし、話を聞いてくれるし、みたいな。


環境を自分で作るということも大切なんだ、とどこかで聞いた。

そうだと思う。

自分でやりたいことをやり続けられる環境を作る。

自分が心地よくいられる環境を作る。

持続可能な環境を作る。

やろうとしていることは地球と同じか。

00600_意志の決め方

600記事、キリの良い数字となりました。

たくさん書いてきたなぁ。

なんかこう、やっぱりインターネットポエムにすぎないものが多いのだが。

まぁそれもいい、そういう人生だ。

支離滅裂であっても、文章を紡ぐ力があると言うのは幸せなことだから、引き続き細く長く続けていきたいものです。


今日は意志の決め方、ということについて考えたい。

「自分がどうしたい」のかを考えるのはなかなか難しい。

極論を言えば、

「働かずに大金が欲しいです!それが私の意志!」

みたいになっちゃうと言うかね。

いや、そんなんできるわけないやん、ってところに自分の意志があるような気がしてしまう。

統合失調症は現実検討が苦手、と言うことも言われる。

あるあるだな〜と感じながら解説ページを見ていた。

非現実的なうぬぼれ、全て他人任せ。

どっちにも心当たりがあるものだ。


現実的に意思決定したいな。

常に「その考えは現実的か?」と問いを入れる。

いやでも、調子に乗ってる時には現実的に思えてしまうし、あと自問することすら忘れてしまうからな。


紙に書いて日々確認する。

いいやり方だとわかっているけど、結局これまでも挫折してきたなぁ。

もう少しやりやすいやり方にできないものか。

スマホのメモ確認、とかにしても無理だったからな。


ツールとか手法の問題というより、

考えが自由じゃなくなる感じが好きじゃないんだろうな。

妄想が自由、というのは、現実的なことがしにくくなる、というのと繋がっている。

難しいなぁ。


甘い考えを捨てて覚悟を決める。

どうしたらそういう意志が持てるか、結局のところ模索中だなと思った。

00599_必然

色々な必然を思う。

偶然のようにも思えるけれど、今ここにいることも必然なのだなと。

「自分を変えたい」と言うのはあるけれどそろそろある程度の諦めも必要で、

「そろそろ諦めよう」って何年も言っていて往生際が悪い。

つまりその、中途半端を今後も続けてしまう人生になる可能性が高い。

色々理由をつけてバランスを取ろうとしてしまう自分の性質の帰結として必然。


そんな感じの必然。


まぁそれも悪くないんじゃないの? と言う考え方ももちろんあるし。

それもそうだと思うよ。


自分の主観ではバランス取ろうとしてるつもりで、

客観的に見れば全然アンバランスだよ、

と言うツッコミを想定すればぐうの音も出ないね。

だいぶ偏ってるよな。うん、そんな気がする。


そしたらさ、自分で納得できるくらい突き抜けるしかないんじゃないかなと思う。

案外もっと気楽でもいいかもしれないよ。

 

00598_負荷

キャパシティオーバーの負荷を負えば潰れる。

キャパシティオーバーだと思ったら逃げることが大切。


もうちょっと頑張れば突き抜けられるんじゃないか、と言う思い。

がんばらせる誘惑。


HPの残量もストレスの攻撃値も可視化されない。


人によって負荷へのキャパシティが違うんだなと思い知らされる。

その人にとっては負荷ではない、と言うこともあるんだろう。

自分が当たり前にしていることが、実は多くの他人にとって非常にストレスフル、なんてことはありそうにも思える。


結局、自分が負える種類と量のストレスを負って、今の生活のバランスを保っているんだと思う。

みんなそんな感じだと思う。

短期的に誤魔化せていても、長期的にはじわじわ失われているものもあるんだと思う。

そうでなくても寿命は失うしな。


何かの比喩で人生を考えるのではなく、

今までの人生をもとに今後の人生を考える。

人生は船旅だと例えたくなるけれど、やっぱり人生は人生なんですよ。

人生が船旅っぽいんじゃなくて、船旅が人生っぽいんですよ。

そう言う順序。

00597_1月が苦手

毎年、1月が苦手です。

過去に色々なことがあったのが、思い返すと1月だったなぁという理由で。

インフルエンザもらったりとか昨年のコロナの禍中で発熱したりとか(陰性だったんですけどね)、そう言うものもあれば。

自分自身の統合失調症発症や、弟の自死も1月でした。


最近、久しぶりに弟の出てくる夢を見たんですよ。

実家の布団でゴロゴロしてスマホでも見てるような、リラックスした姿で。

夢の中なので違和感も抱かずに「あぁ寝てるな」って思ったくらいだったんですけど。

それを尻目に祖母が「わしはもう死ぬんだ」なんて言ってベランダへ向かおうとしていて。

ばあちゃんそれはあかんよ、と抱え上げるなどしました。

悪いことをしようとする甥っ子を抱え上げるときの感覚と少し似ていたように思います。

祖母自身も実はもう亡くなっているんですけどね、夢の中だとそういうのに違和感がないわけで。

それでも宥めるように「生きていかんといけないからねぇ」なんて話をしました。

抱え上げたりするまでは穏やかに声をかけれたんですけど、「生きないといけない」と言う話をするときは泣いてしまっていました。


泣いてしまって目が覚めて、夢はそこで終わりです。

せっかく弟出てきたんだから、彼とももっと喋りたかったな。


こんな夢を見るのも、やはり命日近くだからでしょうかね。


自分が「生きなければ」と言うことを考えるようになったきっかけは、

弟が自死したことです。

自分自身も精神を患い、生きることに希望が見出せなくなっていた時期もありました。

思えば精神を患う前から随分厭世的でした。今も十分に克服されたとは言い難い。

最近は体調面も安定してきたとはいえ、自分のルーツになっているのは自身の不調と弟との離別という「当事者体験」なのだ、と再認識しました。

一応精神保健福祉士の資格を取得し、対人援助職としてそれなりの年数を過ごしてくる中で、自身の当事者性についての考えが弱まっていた気がします。

体調も安定してきてるし、という理由で。

私情を仕事に持ち込むべきでない、と言う理由で。

当事者と専門職は違う人間だからこそ支援が成り立つ、と言うことを考えて。


しかし、そうしたところを振り返るきっかけとなったように思います。

当事者も専門職も一人の人間、それぞれの環境と歴史があり、今がある。

そんなこともよく思います。

この考えは自分の基礎だと思うので、深めていきたいと思っているところです。

日々の振る舞いの糧になるかもしれない。

 

そんなことを考えている日の夕方、公認心理師の登録証が届きました。

これで晴れて公認心理師を名乗れます。


名乗れると言うことは、それ相応の働きを期待されると言うこと。

今まで以上にスキルを磨いていかなければならないと言うこと。

心理師としても十分に、信用を得て対価を頂くに値する仕事ができるようになりたい。

具体的にどういうことか。

日々安定して働けること。

関わり方を根拠をつけて説明できること。

クライエントのため、を中心として動けること。

などなど、できるようにしたいことはたくさんある。

まだまだやりたいことはたくさんだ。頑張っていこう。

 

最後に、本記事のタイトル「1月が苦手」と言うことですが、

今年の1月はそれほど大きな波乱もなく過ごせています。

支えていただいている皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。