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ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00102_心にメスを入れる、ということ

精神科の治療を身体科のそれになぞらえるなら、患者さんとのコミュニケーションは「心にメスを入れる」ということになるような気がしている。

 

適切に説明をしたあと、麻酔をして、患部を適切に切除して、縫合して、とりあえず一段落して、その後は様子を見ながら抜糸したり、できそうなら運動したりして、さぁ完治。

 

精神科の治療も多分、診察の準備としてのインテークがあって、診察しながら様子を見て、精神療法とか投薬とか諸々あって、元気になってきたら地域に出たり仕事をしたりして、さぁ寛解。となると思う。

 

精神科医や精神科看護師、精神保健福祉士等の使う言葉は、治療のための道具ともなる。

 

患部にたどり着くために皮膚を開かなければならないように、心の深いところに踏み込むために言葉を用いる。

 

当然、危険を伴う。

使い方を誤れば医療ミスになる。

 

「どこをどう処置すれば負荷が少なく治療できるのか」を知るのは、恐らく精神科の方が難しい。

身体科の手術で扱うのは、言い方は悪いが「物体」だと思う。

患部が見える。つながりが見える。色が見える。温度とか臭いとか、そういうのもわかるかもしれない。

そして、ある程度の一般化も出来ることと思う。

 

精神科の場合、文字通り扱うものは「精神」だ。

「精神」そのものは見えない。その人の容姿、表情、言葉遣いその他諸々から「精神」の姿を推察し、そこに向けてメスを立てなければならない。五感を通して得られた一次情報を、治療者の経験や知識と照らし合わせて結びつけて「恐らくこの人はこんな感じの症状でしょう」と結論を出す。「それならここを切り取ってあげればOKっぽいよね」となり、それに応じた言葉をかける。

 

患者や症状を一般化することは、恐らく身体科よりも難しい。

「精神」は患者の人生をかけて構築されている。ある人にとって酒は「友達と楽しく過ごせた思い出」かもしれないけど、別のある人にとっては「普段優しいお父さんを暴力的にしてしまう悪魔」かもしれない。

もちろんそのくらいその人の過去とかの話から察せない人がメスを持っているとは思わないけれど、生育歴とか病歴を見るのが大切でしょう、という話。

 

そして、手術が医師に対しかなりの緊張を強いるように、精神科治療もかなりの緊張がある。

相手に踏み込むということは、少なからず自分にも踏み込まれていると思う。

巻き込まれて引きずられて振り回されて。そんな精神科医の話も耳にする。

 

他人の疾患と関わる、ということは、身体科でも精神科でも、決して楽なことではない。

それでもその人の苦痛が、命が、少しでも救われるなら、苦痛をちょっと背負ってあげたり、ちょっとくらいなら命を削って向き合ってもいいかな、と思っている。

 

様々な薬が開発されたり、治療方法が研究されたりしている。

精神科でもそれは同じ。より低リスクで、より確実に治療できる方法が日夜研究されている、と思う。できるだけ苦痛がなく、命が充実する世界が来るのを願うばかりだ。