アン、アーン! (CV:山寺宏一)
00126_チート
さて、ノルマ、カルマ、カルタ、カルト、カートに引き続き、本日はチートです。
ゲームなんかで良く使われる言葉ですね。ズルみたいな意味なのかな、と個人的に思っております。
初代ポケモンでミュウを出現させる裏技とか、金銀でアイテムとかポケモン増やす裏技とか、チートですよね。よくマスターボール増やしたっけなぁ。
例によって、Wikipedia先生に聞いてみましょう。
狭義には、ゲームを優位に進めるため、制作者の意図しない動作をさせる不正行為を指す。特にオンラインゲームにおけるチートは他のプレイヤーや運営会社に損害を与える場合もあり、ゲームの規約に違反する場合には不正行為であるだけでなく、国の法律に違反する場合もあり、チートツールの販売者および使用者もアカウント停止だけでなく警察に摘発された例がある。
「制作者の意図しない動作」ってところがキモっぽいですね。
ゲームを作る上で、やっぱり作り手も遊ぶ人のことを考えるかと思うのですが、
どんなに想定しても全員の遊び方をシミュレーションすることはできないですよね。
作り手には出来るだけ多くの人の遊び方を想定することが必要だと思う一方、
遊び手も作り手が「どういう意図でこのゲームを作ったか」ということを考えることが必要かと思いました。自分の面白さとか楽しさは追求していきたいんですけど、それで運営とかに迷惑かけちゃったらwin-winにはならないですし。いずれゲーム自体が破綻しそうです。
それだったら、作り手の意図したとおりに楽しめるゲームを探すほうが良いような気がします。
世の中にはゲームって無限にありますしね。下手に上手くやろうとしないことですね。おぉ、いい具合に矛盾した言葉選びだ。
さて、Wikipedia先生を見ていたら
チートを行うプレイヤーのことをチーター(cheater)と呼ぶ。
という、何とも足の速そうなことが書いてありました。
チートはしたくないですが、足の速いフレンズにはなりたいなぁと思いました。
00125_カート
ノルマ、カルマ、カルタ、カルト、に引き続き、今回は「カート」です。
開始当初から続いてきたルさんが今回で一旦退出です。今までありがとう。
さて、カートというと個人的に思い出すのがマリオカートです。
スーファミのやつと64のやつをよくやった記憶があります。
どっちも自宅にはなかったけど、友達の家に行ってやらせてもらってた気がします。
赤い甲羅使って相手が見えてきたところで放つのが好きでした。
今考えれば一気に三発全部使っちゃってたけど、一発で仕留めるだけで良かったのにな。
それで三人にぶつけた方がレースは有利に進んでたんだろうけどな。
なかなか合理的になどできないものだなぁ。
幼いころに遊んだゲームというのは何歳になっても大切なものです。
自分がまだまだ精神的に幼稚なせいもあるかもしれませんが。
ある程度ゲームとかから離れて久しい現在。
自分が知らないゲームも色々やってみたいなぁと思うのでした。
00124_カルト
「ノルマ」「カルマ」「カルタ」に引き続き、「カルト」です。
「ルター」「カルーア」などの案も出ましたが、これでいこうかなぁと思います。
なんか燃えやすそうなテーマですな。火の用心。
なんかあの、「カルト」ってなかなか大変な役回りの言葉だなぁと思います。
「ノルマ」もなかなかいいイメージでは使われないでしょう。
「カルマ」もやっぱり難しいテーマであまり好かれなさそうな言葉です。
「カルタ」は楽しいとは思うけど最近ゲームとかネットにシェアを奪われて衰退しているもののような気がします。
でも「カルト」は今までの3つ以上にきびしー言葉かと思います。
Wikipedia先生に聞いてみると
1970年代後半 - 1980年代にかけて、アメリカを中心に議論が尽くされた結果、「宗教社会学的な教団類型というよりも、信者の奪回・脱会を支援する弁護士,ケースワーカー,元信者,信者の親族からなるアンチ・カルト集団によってターゲットとされた集団への総称的蔑称であり、特定集団に「レッテル貼り」として用いられる傾向があるという結論が得られている。
「集団への総称的蔑称」
「レッテル貼り」
言われてみるとそうかなぁと思うし、でもなかなか辛い運命をたどる言葉だなぁと思います。
「カ」も、「ル」も、「ト」もとってもいい言葉なのに。
「カ」はやっぱりかっこよくて情熱的なイメージがするし、
「ト」も力強い男の人を連想します。
この二人を容姿端麗な「ル」が結びつけてる三人組。
一つひとつはとてもいい言葉なのに、三人組になると負の感情を他集団にぶつけるための言葉になってしまうのかぁ、と思うとなんとなくかなしいです。
Wikipedia先生から再度引用すると
元来は、「儀礼・祭祀」の意味を表す、否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語であった。
とのことでした。
元々は「カ」と「ル」と「ト」の三人組も否定的でない集団だったのですね。
いわゆる「カルト」と呼ばれる人たちも、最初は特に否定的でもない集団だったかもしれないのに、周囲からレッテルを貼られる運命を辿ったのか。そう思うとなんとなく人と言葉が同じような運命を辿っている気がします。
歴史とか人の営みを経て「カルト」はレッテル貼りに使われる言葉というレッテルを貼られてしまったのか……。なんというか、そういう運命を辿る言葉なのかなぁ。
なんだか言葉たちがかわいそうなので、ここはちょっと力持ちっぽい「タ」くんとおだやかでやさしい「パ」さんにご協力いただいて
「カタパルト」
になっていただきましょう。よく知らないけど、なんかカッコいい言葉みたいだし。
やったね、救われたね、よかったね、カルト。
00122_カルマ
前回の記事が「ノルマ」というタイトルだったので、今回は「カルマ」です。
ちょう安直。
カルマというと個人的に思い出すのが、ポルノグラフィティの『カルマの坂』です。
BUMP OF CHIKIENの『カルマ』派の方も多いとは思いますが、個人的にはこちら。
「カルマ」ということについてwikipedeiaで調べてみると、こんな感じのようです。
業(ごう)とは、仏教の基本的概念で、サンスクリットのकर्मन् (karman) を意訳したもの。
サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。業そのものは、善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。中国、日本の思想にも影響を与える。『ウパニシャッド』にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。
今日、一般的にこの語を使う場合は、(因縁・因果による)行為で生じる罪悪を意味したり(例えば「業が深い」)、不合理だと思ってもやってしまう宿命的な行為という意味で使ったりすることが多い。
自業自得、という言葉にあるようなものでしょうか。
自分がしてきたことを自分で被る、的な。
しかし、『カルマの坂』はどちらかと言うと主人公や少女にはあまり罪がないのかなぁと思っておりました。少年はまぁ盗んだりしてるけど、少女の罪はわからんしなぁ。
そんな風に思いながらWikipediaの下の方を見ると
西洋近代における業(カルマ)
「転生#リインカーネーション型=成長」を参照
なるページがありました。
言われてみればこの話、どっちかって言うと西洋っぽいのかな?と思いこちらも確認。
曰く、
「カルマ」という言葉が用いられこともあるが、インド本来のカルマの概念とは別物である。
はぁ。
こっちのカルマはどういう意味なんですか、と思う。
人間には魂や霊といった不死なる根源があると考え、転生を繰り返すことで、(霊的に)進歩または(進化論登場後は)進化し、最終的に神に近い完全な存在になる、または完全な存在による完全な社会が実現されると考える。生まれ変わることは、輪廻とは異なり「肯定的」に捉えられる。
ふむ。
これはもしや、少年も少女も転生してより神に近い存在になった、とかいう話なのかなぁ。
転生に向かうそのさまが坂を登るようなので、『カルマの坂』なのか、とか。
色々考えてしまいます。
きっと色々な思いとか、色々な歴史とかを踏まえて作られたであろう作品。
じっくり考察してみたいし、好きな人と語り合ってみたいものです。