ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00454_遊び

気を抜くと意識が高くなってしまい、遊びが減ってしまうことがある。

もっと頑張らなきゃとかもっとうまくならなきゃとか、そんなんばっか。

良い側面もあるとは思うけど、そればっかりだとやっぱり疲れるよねと。

ブログの文章も、もっと読みやすいものにしたい、だとか、もっと構成を考えたりPVが伸びるように対策したい、だとか考えがち。

いやでも、遊びがなくなっちゃうと辛いんだよな。

楽しめているときっていうのは結構馬力が出るんだけど、やる気が死んでしまうと一ミリも動かなくなっちまうからな。

楽しいことは大事だ。

00452_コウペンちゃんのいる生活

書こうか、書くまいか、さんざん悩んだ挙句、

「やっぱり今はこのことしか考えられんな」

と思い、書くことになりました。

 

我が家にコウペンちゃんがきました。クッションです。

裏返すと邪エナガさんになる優れモノです。

友人各位より誕生日プレゼントとして頂きました。うれしさの極み。

 

いやぁ、生活が変わりますね。

朝目が覚めて最初に目にするものがコウペンちゃんのクッションなわけです。

自然に目を覚まして最初に自分に湧きおこる感情が「あ、かわいい」とかなわけですよ。すごくないですか。

「今夜はいい夢が見られそうだな」とか言っていたら、筋トレしてる夢を見ました。なるほど、きっといい夢だ。

 

このクッション、撫でたり眺めてたりするだけで無限に時間が過ぎていくので、気を付けなければなと思っております。んー、尊い尊いとはこういう感情のことを言うのか……たしかに尊いな……

何事にも飽き性でじっとしていられないタイプの自分がどれだけコウペンちゃんを見つめていられるのかという実験をしてみるのも良いかもしれんな。きっと寝落ちするな……

 

良い仲間を持つというのは大変なよろこびだなぁ。

うん、今日もがんばろう。

 

00451_素直によくないと思ってな

良くないと思うこととはいえ、「良くない」って言っちゃうのには、ちょいと抵抗があるものです。

うーん、ちょいと、どころではないな。結構抵抗があるな。

 

なんかでもさ、そういうの言わなくてもあんまり状況変わらんと言うか。

気を遣って「良いと思うよ」なんて言う方がかえって良くないと思うんだよな。

 

自分に優しいだけの人間には嫌悪感すら覚え、優しくしてくれない相手に惹かれる。

そんな話を目にするたび、

 

「あー、なんでわざわざこんな気の遣い方してるんだろな自分」

 

みたいに思う。

 

優しくありたいと思っていたんだが。

それも筋違いの言い訳だったかな。

「良くない」を言うための心理的コストを支払わないための都合よい言い訳、と言えばたしかにそう。

 

波風を立てる、と言うことに対しての抵抗感が大きい。

それはきっと、見放されることへの恐怖とか。そんなんがあるんやろな。

 

大丈夫だ。きっと大丈夫。

歩いていくことはできる。

00450_繰り返し言い聞かせる

毎日同じようなことを書くのは、自分に読ませているのとも同じだと思う。

毎日毎日自分に同じことを言い聞かせる。

毎日書いていても、考えることはそんなに変わらない。

変わらないことだけが残ってきた、とも言えるかもしれない。

 

変わらないことが正しいと思っているのかもしれない。

必ずしもそういうわけじゃないと思うけどね。

色々な変化に合わせていくことは絶対に必要だと思うんだけど。

その中でも、そういう中だからこそ変わらないものが何かを考えがちなのかもしれない。

 

前向きなことだけ、楽しかったことだけ繰り返し思い出せればいいと思うんだが。

頭をよぎることの中には、つい表情をゆがめてしまうような、自分を叩きたくなってしまうような事もある。

優等生的に言えば、そういうところからも学ぶことがあったとか、そのおかげでたくさんのことを学んだ、みたいに言えるのかもしれない。

 

いやー、でももっと素直に感情の発露したいよねぇ、となる。

学ぶのはある程度痛みを吐き出し終えてからやろ、いきなり正解とか結論おしつけられてもしんどいよこちらは。

 

んー、ここまで書いて「優等生」をディスりがちだなと思った。

真面目な人、努力家、すごくあこがれているはずなんだけどな。

自分自身の子供のころとか思い出してしまうのかもしれない。

結構子供のころは優等生っぽかったと思う。

 

楽しそうな同級生たちへの嫉妬とか。

正しいはずのことをしているのに笑われたり怒られたりしたことへの不満とか。

 

そういうの、淀んでこびりついてるのかもしれないな。

00449_気遣い

気を遣いすぎと言われることがありまして。

気を遣わないって、逆に難しくない? と思う今日この頃です。

おはようございます。今日は久しぶりに晴れてとても嬉しい。

いい感じの朝ですね。でも少しずつ涼しくなって起きづらくもなってきますね。

 

気楽なコミュニケーション、と言うと、例えばタメ口だったり。話題がフランクだったり逆に深く込み入ったものであったり。

そんなイメージなんですが。

 

沈黙が苦にならない、的な感じが個人的には気楽です。

しゃべんなきゃいけないのはしんどい。しかししゃべりたいときにしゃべれないのもなかなかにしんどい。

うーむ、いかにも自閉が強そうな感覚だ。

 

一旦難しいと思い込むと、それにチャレンジする心理的なコストも大きくなるじゃないですか。

それゆえに練習とか挑戦とかもできなくなって、どんどん出来なくなっていくというか。

んー、難しいとか思いすぎず、気軽にやるのがええんやろな。

 

その点、あいさつと言うのは素晴らしいもので。

セリフさえ覚えてしまえば何となく言えてしまう。

もう年単位であいさつを交わすことが中心のお付き合いのフォロワーさんがいらっしゃいますが、そういうの嬉しいんです。

うまいこといえない自分でも、人とつながってる感覚があるというか。

承認し合う儀式、みたいなところもありますよね、あいさつ。

 

人間関係、誰かから投げてもらったボールを投げ返すのは割と頑張れるんだけど。

自分からボールを投げるってのはなかなかに苦手だと思う。結構とんちんかんな方にボール投げちゃってお互いに気まずくなる。いややわ。

 

しかも、なんっつうんやろ。気まずいコミュニケーションから受ける精神的ダメージ、人より多い気がするんですよね、私。笑って流せばいいところをいつまでも拾っちゃったりしてな。日常のふとしたタイミングで何度も気まずかったタイミングのこと思い出すの本当に辞めたい。

 

あきらめが足らんのかなぁ。コミュニケーション、別に万能の願望器じゃないんだし。

期待しすぎるのが良くないんだと思う。ミスもある、基本はうまくいかない。うまくいったらそれが凄く幸せなこと。くらいの心持ちでいたいものです。

00448_夢を見た

久しぶりに夢らしい夢を見て、泣いてしまった。

 

今職場でものすごくお世話になっている先輩がいるんだけど、その人が退職してしまうという夢でございました。

なんか夢の中で号泣してしまった。「今は泣かないといけないやつだ」とかそんなことを思った。

 

すごく優しくて仕事ができて、という方なので一緒に働けることがとてもありがたいことなのだけど、逆にこう、失ったら怖いみたいな感情が強くなっている気もするなぁ。

退職も異動も全然ありうることなんだから、もっとシャンとしなきゃなと言う思い。

 

それだけでなく、今その人と一緒に働けているということに感謝しなきゃな、という思いもあります。

良い職場って、なかなか出会えるものでもないじゃないですか。

自分が働き続けられている、ってだけで、もう相当に良い職場なんだと思う。

合わない環境だと本当にすぐにつぶれちゃうからね、自分。

 

どうやったら、ある程度合わない環境でも適応できるだろうか、ということも思うけれど、無理かな、という思いもある。

遊牧民をやるのも一つの解法だと思う。自分、わりと今までそうやってきてるし。

そろそろ定住したい感じもするんだけどな。農耕牧畜を発明したいな。