ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00019_塀の中と塀の外

進撃の巨人」という作品をご存じの方は多いと思う。
 
塀の外には人間を圧倒的な力で食い散らかす巨人が跋扈している。
人間は塀に守られた中で100年以上平和に暮らしていた、とされている。
それがあるとき強力な巨人によって壁が破壊され、人間は巨人に食われていく。
第一話で主人公の母親が、目の前で巨人に食い殺されるシーンが描かれる。
 
そんな冒頭を持つ物語だ。
 
色んなレトリックでこの物語を解釈することが可能だと思う。
福祉制度やサービスに頼って生きている我々は、
自分を守ってくれる壁が破壊された時に、やはり蹂躙されてしまうのだろうか。
守ってくれる壁の中に逃げることで、外界の脅威から目を背けているのではないか。
外界の脅威に奪われた権利を、取り戻すために立ち上がるべきではないのか。「調査兵団」のように。
いつの日か突然自分を守ってくれていた存在が失われた時に、
逃げ回るなり立ち向かうなりして、生き延びていくことはできるのだろうか。
 
今の自分は壁の中で安住している人間だと思う。
外の脅威を知りつつ、防御壁の脆さも危うさも知りつつ、
享楽的に日々を時間を浪費している。
時折起きる「もし〇〇があったらどうしよう」という意識は、
具体的な行動に繋がらず「まぁ多分起きないだろう」に変質していって、
やがて姿を失う。
一時的に自分をネガティブにするだけで、何の得にもならない。
そんな中、きっと「いつか」は突然やってくる。
 
私は生き抜かなければならない。
とても太刀打ちできない大きな力に迫られたとしても、
全力で生き抜かなければならない。
最期の最期まで足掻きぬかなければならない。
そのために出来ることは、やはりしていかなければならない。
 
塀の中でも外でも、守られようと壊されようと、
一秒でも長くこの生命を世につなげ止める策を取らねばならない。