ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00392_無意味な緊張

人よりも気にしなくていいことを気にしてしまい、無意味な疲労や機会損失があるような気がしています。

 

見たい映画があるなら一人ででも見に行けばいいし、一人で見に行けないのであれば誰かほかの人に声を掛けて見に行けばいいし。どちらもそんなにハードルを高く考える必要はないのではないかと思う。

 

一人で見に行ったとしたら「『ぼっちww』と後ろ指を刺されそうだ」なんて無意味な緊張が出てきそう。

誰かに声を掛けるのも断られそうとか思うし、約束ができたらできたでけっこうしんどいんだ。話したりするのとかに無意味な緊張生まれたりする。

 

ある程度仲が良い相手であっても、長時間一緒にいるとしんどくなってしまいます。

これ、相手にも申し訳ないし、自分でも嫌な性質だと思ってるんだけど。

10年以上の付き合いがある友人と4泊5日の旅行とか行ったことがあるんだけど、後半だいぶしんどかった記憶がある。これは友だちが悪いわけでは決してなく、自分にエネルギーが足りないせいだと考えている。もしくは無駄なエネルギーを消費してしまっているんじゃないかと思う。



くやしいな。

どこまで行っても他人との関係で頭が痛い。

「みんなから嫌われたくない」みたいな、いわゆる「歪んだ認知」をしているような気もする。

対人関係の中に求めるものが多すぎるような気もしている。

「一生このまま誰にも話したいことを話せず生きて死んでいくのだ」というような思いは結構根強く、絶望感が強く、思い出すとしんどい。

「そんな良く分からないこと気にしてるからコミュニケーションもうまくいかないんだよ」うーん、それもきっと一理ある。

わしだってそういう絶望感忘れられてる時間もあるんや。常日頃こういうことばかり考えてるわけでもないんや。

 

辛い話を分かりあってくれる相手が欲しい。

しかし、辛い話をすると相手との関係が築けない、ないし壊れてしまう。

とりあえず楽しいこと、明るい話題で少しずつ仲良くなる。

そんな風に丁寧に積み上げていく関係も「表面上の」などと蔑む声がしそうだ。

そんな風になっていくともう面倒くさくて「おまえの人格が悪い」くらいの雑さで原因を求めて納得してしまいたくなる。

絶望を忘れることは「逃げだ」というような思いがあって、無意味な緊張をまたよみがえらせる。

誰も見ていない部屋で一人背筋を伸ばして正座して、足のしびれに泣きそうになっている、そんな感じかもしれないな。

無意味に気を遣い、誰にも気づかれないことで苦しんでいるとか、さ。

 

そのくせ、もっと気を遣うべきところに全く無頓着なところもあって。

それは髪型だったり服装だったり持ち物だったり、細かな所作や表情だったり。

もっとみんなが気を遣っているところに同じように気を遣えたらいいのに、なんて思う。

難しいなぁ。どうしたらええんやろうなぁ。

 

まぁ、一日そこらで解決する問題ではなく、解決したように見せてもまた「目を背けているだけだ」なんて思い込んでしまうはずなので、あまり解決にこだわらないようにする。

せめて誰も見ていないところでは足を崩して、気楽に寝転がりたいと思う。