ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00602_「話す」「黙る」のゼロ百思考

コミュニケーションには「話す」か「聞く」か、それしかないと思い込んでいたのではないか、という反省について。


「聞く」はつまり「話さない」ということで、「黙る」とも近いと思っていた。

(冷静に考えれば「聞く」「黙る」はそれぞれだいぶ違うものだけれど)


自分が話をする中で、聞く人の反応を気にして言えない、ということはよくある。

そういう時、本当の意見を抑えて「黙る」という姿勢をとりがちだ。

意見が食い違ったり、喧嘩になったりするのが嫌なんだと思う。

その感覚については、自分でも理解しているところだと思う。

理解していても対処するのが難しい、というのがタチの悪いところだ。


そういうスタンスでいると、不要な争いは避けられるかもしれないが、

建設的に意見を述べることも封じてしまうという欠点がある。

正しく物事を進められない、言えずにストレスを溜めてしまう、など、

いろいろな形で表面化してくる。


とはいえ「思っていること全てを言語化」なんてできない。

疲れるし、多分そんなに言語化する習慣ないし(割と感覚で生きている)。


しかし、全く何も言わないのも上述の問題点がある。

なので「表現を工夫しつつ話す」ということをできるようにしていきたい、ということだ。

タイトルの話はここに行き着く。

話すか黙るかの二択、というような認識を一旦保留し、


話すときにどういう表現で伝えるか

黙ることについてはどういう黙り方をするか


について、自分の中で引き出しを増やしていけるといいのかもしれない。


一旦相手の言ったことを受け入れてからであればこちらの思っていることも伝わり安くなるかもしれない。

過激な表現で頭に浮かんだとしてもその部分を抑えれば冷静な話し合いにできるかもしれない。

言語化しなくても間の取り方とか表情で伝えられるものもあるかもしれない。


個人的には、同意はタイムリーに早くできるけれど、

反論は時間がかかるイメージ。


あまり考え込んで時間を使ってしまうのも相手に対して「反論」感を強めてしまう気がするな。


「わかるんだけど、なんかちょっと引っかかるな」くらいを、

あまり深刻になりすぎずに伝える、とかね。

そういうので考える時間を稼いで、何が引っ掛かっているのかを明確化する。


こういうコミュニケーションの技法は多分もう体系立てられているんだと思うけど自分が言い慣れて、使い慣れていないと頼りにくいとも思う。

引き続き学びだなと思う。


「話す」「黙る」をゼロと百にしてしまうのはちょっと問題があるなと感じたので、自戒として。バランスの取れたコミュニケーションをしていきたい。