筆者が夜、散歩をしていると、闇の中に一人の少年を見つけた。
少年は物陰に隠れるように座っていた。
夏も近づく今の季節に、異様なほど体を震えさせ、それでも目は鋭く一点を見つめていた。明らかに、異常なのだ。
「どうかしたの?」
筆者は声をかけざるを得なかった。少年は筆者の声に驚くと、こちらにその血走った目を向けた。
「何ですかいきなり、びっくりするじゃないですか」
叫びたい様子だったが、周りに気づかれたくないのか、ささやき声で少年は言った。
「こんなところで一人でいるなんて、どうしたんだろうと思って」
何気なく筆者は聞く。何の理由もないとは思えない。
「……そろそろ、近くの塾の授業が終わるんです」
少年の口から、こぼれるように言葉が出てきた。
「あいつがこの道を通るんです。僕をいじめるあいつが」
声が、少しずつ震えてくる。自分が何を言おうとしているのか、何をしようとしているのか。そのことに怯えている様子だった。
「……あいつが通ったら、後ろから刺し殺してやろうと思ったんです」
少年は、体をぶるぶると震わせながらそんなことを言った。
ひどいやつなんです。僕のことを笑って、馬鹿にして、怒鳴りつけて、蹴りを入れてきて。人のことをこんなに傷つけながら、あいつは仲間たちと好き放題楽しく青春を謳歌してるんです。辛いんですよ。僕なんてあいつのせいで笑われ者だ、嫌われ者だ。ほかの高校生がみんな体験しているような楽しい出来事が、僕には何一つ経験できないんだ。悔しすぎて、悔しすぎてーー
涙が出ます、と言った少年の顔は、すでにぐしゃぐしゃになっていた。
だからね、僕はあいつを殺さなきゃいけないんです。あいつはこれからも、僕みたいに周りの弱い人を生贄にして生きていくんです。何人もの人々があいつのせいで人生を棒に振ってしまうんです。ここで僕が殺しておくべき価値のある人間なんです、あいつは。だから、僕は今夜ここに来たんです。
そう言って、少年はナイフを取り出した。
筆者はどうしたら良いのか考えてしまった。
筆者は少年が優しい男の子であることを知っていた。また、優しさの裏返しとして喧嘩が苦手であり、よくいじめられる男の子であることも知っていた。
こんなに思い詰める前に、相談してくれればと、強く思った。
「止めないでくださいね、ヤマカワさん」
少年は強い口調で言い、ナイフを筆者の方に向けた。
「止めるなら、あなたのことも」
決意は揺るがないらしい。
「あっ、ヤマカワさん、こんばんは〜」
背後から底抜けに明るい声がした。
同時に、少年は飛び跳ねるかのように体を震わせ、また物陰に隠れた。
坊主頭でガタイの良い男の子が、自転車に乗って現れた。
「お、お疲れさん。塾の帰りかい?」
筆者が尋ねる。男の子は笑いながら言う。
「そーなんですよ! 今日は数学だったからもうホント疲れちゃって!」
まだまだ元気が余っているような大きい声で言う。少年も聞いているはずだ。
「んじゃ、もう眠いんで帰りますね〜」
そう言うと、坊主頭は颯爽と自転車を走らせて行った。
彼らしいといえば、彼らしい。
そしてまた、物陰からゆっくりでてきた少年も、とても彼らしかった。
「行っちゃったねぇ」
筆者が言うと、少年は肩を落とす。
「また殺せませんでした。これで三日目です」
きみ、そんなに殺る気ないだろ、と突っ込んだら、少年は少しムキになって
「いえ、そんなことはないんですよ、あいつは絶対に殺します」
と言った。
「まぁまぁ、そうムキになるなよ。どうせ卒業したら関わる機会も無くなるさ」
筆者は楽観的に答える。少年はふくれっ面になるが、
「しょうがない、今日はもう帰ります」
とだけ言うと、坊主頭くんが消えて行った方向とは逆側に歩き出した。
「なぁ、若者よ」
筆者は偉そうに少年に語りかけた。
「今はつらいこともあるだろう。しかしその辛さも徐々に落ち着いてくる。落ち着いて明るい未来を待つことだ。君の命も、彼の命も、羽ばたくのはまだまだ先だ。だいじにしたまえよ」
少年は一瞬足を止めたが、筆者が言い終わると振り返らずまた歩きだした。
頑張れ若者。辛くとも、日々は続いていく。
そんなことを思いながら、おれだってまだまだ若いぞと気持ちを引き締め、筆者は家路を急いだ。