ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00236_第九話『山川町のひとたち』

筆者が夜、散歩をしていると、闇の中に一人の少年を見つけた。

少年は物陰に隠れるように座っていた。

夏も近づく今の季節に、異様なほど体を震えさせ、それでも目は鋭く一点を見つめていた。明らかに、異常なのだ。


「どうかしたの?」

筆者は声をかけざるを得なかった。少年は筆者の声に驚くと、こちらにその血走った目を向けた。

「何ですかいきなり、びっくりするじゃないですか」

叫びたい様子だったが、周りに気づかれたくないのか、ささやき声で少年は言った。

「こんなところで一人でいるなんて、どうしたんだろうと思って」

何気なく筆者は聞く。何の理由もないとは思えない。


「……そろそろ、近くの塾の授業が終わるんです」

少年の口から、こぼれるように言葉が出てきた。

「あいつがこの道を通るんです。僕をいじめるあいつが」

声が、少しずつ震えてくる。自分が何を言おうとしているのか、何をしようとしているのか。そのことに怯えている様子だった。

「……あいつが通ったら、後ろから刺し殺してやろうと思ったんです」

少年は、体をぶるぶると震わせながらそんなことを言った。


ひどいやつなんです。僕のことを笑って、馬鹿にして、怒鳴りつけて、蹴りを入れてきて。人のことをこんなに傷つけながら、あいつは仲間たちと好き放題楽しく青春を謳歌してるんです。辛いんですよ。僕なんてあいつのせいで笑われ者だ、嫌われ者だ。ほかの高校生がみんな体験しているような楽しい出来事が、僕には何一つ経験できないんだ。悔しすぎて、悔しすぎてーー


涙が出ます、と言った少年の顔は、すでにぐしゃぐしゃになっていた。


だからね、僕はあいつを殺さなきゃいけないんです。あいつはこれからも、僕みたいに周りの弱い人を生贄にして生きていくんです。何人もの人々があいつのせいで人生を棒に振ってしまうんです。ここで僕が殺しておくべき価値のある人間なんです、あいつは。だから、僕は今夜ここに来たんです。


そう言って、少年はナイフを取り出した。


筆者はどうしたら良いのか考えてしまった。

筆者は少年が優しい男の子であることを知っていた。また、優しさの裏返しとして喧嘩が苦手であり、よくいじめられる男の子であることも知っていた。

こんなに思い詰める前に、相談してくれればと、強く思った。


「止めないでくださいね、ヤマカワさん」

少年は強い口調で言い、ナイフを筆者の方に向けた。

「止めるなら、あなたのことも」

決意は揺るがないらしい。


「あっ、ヤマカワさん、こんばんは〜」

背後から底抜けに明るい声がした。

同時に、少年は飛び跳ねるかのように体を震わせ、また物陰に隠れた。


坊主頭でガタイの良い男の子が、自転車に乗って現れた。

「お、お疲れさん。塾の帰りかい?」

筆者が尋ねる。男の子は笑いながら言う。

「そーなんですよ! 今日は数学だったからもうホント疲れちゃって!」

まだまだ元気が余っているような大きい声で言う。少年も聞いているはずだ。


「んじゃ、もう眠いんで帰りますね〜」

そう言うと、坊主頭は颯爽と自転車を走らせて行った。

彼らしいといえば、彼らしい。


そしてまた、物陰からゆっくりでてきた少年も、とても彼らしかった。

「行っちゃったねぇ」

筆者が言うと、少年は肩を落とす。

「また殺せませんでした。これで三日目です」

きみ、そんなに殺る気ないだろ、と突っ込んだら、少年は少しムキになって

「いえ、そんなことはないんですよ、あいつは絶対に殺します」

と言った。

「まぁまぁ、そうムキになるなよ。どうせ卒業したら関わる機会も無くなるさ」

筆者は楽観的に答える。少年はふくれっ面になるが、

「しょうがない、今日はもう帰ります」

とだけ言うと、坊主頭くんが消えて行った方向とは逆側に歩き出した。

「なぁ、若者よ」

筆者は偉そうに少年に語りかけた。

「今はつらいこともあるだろう。しかしその辛さも徐々に落ち着いてくる。落ち着いて明るい未来を待つことだ。君の命も、彼の命も、羽ばたくのはまだまだ先だ。だいじにしたまえよ」

少年は一瞬足を止めたが、筆者が言い終わると振り返らずまた歩きだした。

頑張れ若者。辛くとも、日々は続いていく。

そんなことを思いながら、おれだってまだまだ若いぞと気持ちを引き締め、筆者は家路を急いだ。