ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00398_加速

スピードを上げていきたいお年頃です。

いや、そういうのって10代とか20代のうちにやっとくべきことやろ、という突っ込みがぬぐえない。

いやぁでもなぁ、ようやく最近「もうちょっとスピード上げてもいいかも」と思えるようになってきたんですよね。

スピードって、別に車の運転とかの話じゃないんですけど。もっとこう、生きる姿勢と言うか、そういうやつ。私が好きそうな人生論的な俯瞰というか、そんな感じの。

 

おれにははやさがたりない、って良く思います。

結構すぐ二の足を踏んじゃう。思い切りが悪い。

しかもやりかけたこと途中で投げ出してしまう。本当に良くない。

 

思い切りの悪さと投げ出しがちな性格。

この二つって、ちょっと矛盾してる気がするんですよね。

方や続けること、方や辞めること。

 

やると決めたら最後までやりたい。

中途半端にしないでやりたい。

そういう気持ちがあると「失敗できない」という思いになり、うかつにいろんなことに手を出せなくなってしまう。

最後までやりきれないという「失敗」をしたくないという思いから、二の足を踏む。

 

大きく目標を持つことは一つに絞るべきかもしれない。

結局ゴールがあいまいだから走れないんだ。

身に着けたいことややりたいことがたくさんある。

どれもすぐにできることじゃない。

早く諦めるべきなんだろう、という夢も結構ある。

しかも無限に湧いてくるからたちが悪い。

「妄想をやめて行動するべき」といつも思うようにしてるのに、気が付くとすぐ「何者か」になれている自分を妄想してしまう。

そのくせ全然練習も勉強も積み上げられていないんだ。

自己嫌悪が積み重なってくる。きつい、きつい。

もっとストイックに目標を追いかけたいけど、それもどこまでできるのか。

体調を崩すようなことはできないし。

現状だってそんなに悪いわけじゃない。

青い鳥はかごの中にいるのかもしれないし。

00397_人間関係の勉強

人間関係をうまくやりたい。そんなことを考えるのは私だけではないと思います。

友だちと仲良くしたい。上司や部下と問題なく仕事をしたい。お客様とも円滑にコミュニケーションを取りたい。パートナーと深い関係を築きたい。などなど。

人間関係の希望はあふれていますね。

 

 で、人間関係をうまくやるためにはどうしたらいいんだろう。

誰かに教えてもらう部分は確かにあると思うんだけど、自分で考えて行動していく部分も絶対にあると思うんだよな。

 はっきりとした正解がないから、どうしていけば良いのかも分かりにくい。

しんどいねー。

 

 同じ相手であっても時と場合によって接し方は変わるし、自分の状態によって相手の見え方が変わってしまうこともよくある。

 結局失敗して当たり前というスタンスでトライ&エラーしつつ、ほどよい関わり方を探っていくしかないんだと思う。個別案件すぎる。多くの人に人気があったり人望の厚い人間が自分に合わない、なんてこともざらにある。悲しいことに、私の場合人気者とうまくやれなかった経験の方が多い気がします。きっついな。

 周りの人がなんというかに関係なく、自分が関わりやすい相手と関わるのがいいよね。自分が関わりにくい相手と言うのは、相手もきっとやりにくいだろうし、そうでなかったとしても一方が過度に負荷を感じるんだとしたらそりゃやっぱフェアじゃないよな。

 

 そういえば時々妄想するんですけど、同じ相手であってもシチュエーションが違っていたら全然関わり方変わってたんだろうなと。

 大学時代仲が良かった友人と、高校時代に同じクラスにいたら全然話さなかっただろうし(一方的に嫌っていた可能性すらある)、コンテンツとか通じて趣味の話から入っていけば今よりもっと話せただろう相手もたくさん思いつく。

 

 そんな妄想をころころしつつ、人間関係をうまくやりたいと思いつつ、人間関係、別にそこまで完璧にうまくやらなくても生きていけるということを思いたい。目標が高すぎて振り回されるのはいやだからね。転び方と起き上がり方を覚えるのが人間関係の勉強ともいえるかもしれない。

00396_8月

8月になりましたね。今年も残すところあと5カ月となりました。けっこうあるな。

しかしまぁ、この7カ月もあっという間に過ぎてしまったことから考えるに、残り5カ月も結構なスピードで過ぎていってしまうのではと感じます。

 

せっかく月初ですし、なんらかの意気込みを立てたりとか、目標を立てたりとかしたいものです。

とりあえずやせてぇなぁ。ダイエット、なかなか続かないんだけどねぇ。

かつて一度15kgくらい落としたことがあったんですが、なかなか再現できない。

やり方は分かっていて、糖質制限体幹レーニングなんですけど。

炭水化物と揚げ物の誘惑にはなかなか勝てない。

 

ところで、そろそろ宣言してもいいかと思うのですが、5月からジムに通い始めました。

筋トレ始めたんです。筋トレ。メンヘラなのにがんばってる!

始めのころは週3日とか行ってたんですけど、だんだんしんどくなってきた。

週2とか週1になりはじめてしまっている。

今月、最低週2日は筋トレをするようにします(宣言)。

 

目標を立てて行動し始めるのは良いんですけど、そこからだ。問題は。

目標を維持し続けるのはとても難しい。挫折・失敗しないことなど不可能に近い。

しかし、いやだからこそ、一回の挫折や失敗で投げ出してしまうのではなく、続けることに意味があるのです。

 

「最近週1しか筋トレできてないな。駄目だな」とか「いっそ辞めちゃおうかな」とか考えてしまうと、せっかくできてきた運動をする習慣を手放すことになってしまう。

 

筋トレ自体は楽しいしな。行くまでが面倒くさいんだ。動きだしちゃえば結構できるもんだ。

 

筋トレ以外にも、もうちょっと日々の生活を前向きに過ごしたいと思っておりまして。

一カ月の計画を立てるのもそうだけど、毎週の計画とかも立てるようにしたい。

計画立てるの好きだけど実行するの苦手なの、ADHDみあるなぁ。

有言実行していかねばな。

00395_思考と行動

「あぁ、あれやらなきゃな」と思いながら別のことしちゃうこと、ありませんか?

出勤準備しなきゃいけないのにTwitterやってしまう人、絶対いるはずなんだよな。

少なくとも私はやってしまう。

やせなきゃいけないと思いながら大盛りの弁当食べてしまう人、同じくらいいてほしい。

私がやってしまっているから他の人にもやってほしいとか、ちょっとアレだけど。

 

「思っている通りに行動する」ということは結構難しい。

ちょっと踏み込むと、「思っている通りに行動する」と言うよりも、「行動に移せることを思う」のが難しいのかもしれない。

結構すぐ綺麗な理想像の行動様式を思い浮かべて、そこから自分を減点方式で考えてしまう癖があります。

「朝早く起きて朝食も作って勉強もしてブログも更新して身支度もばっちり整えて……」

なんていう理想像を勝手に思い描いてしまいがちですが、そんなのをできる人はほとんどいないわけだし、それを継続できる人となればそれはもう全然いないはずだ。

 

そんなに高度な内容のことを

「あぁ、今日もできなかった」

と嘆いたり、数日で来ても

「ああ、全然続かないな」

と自己嫌悪に陥ってしまったりしては、非常に精神衛生上よくない。

 

できることを考える。一般的に良く言われる言葉だと思うけど、意味づけが少々違うかもしれません。

できないことを無理にしようとしない。簡単にできると思いこまない。

日々やっていることが実はとっても凄いこと。

必要以上のネガティブは行動力行動意欲を大きく損ねるので、ほどほどにしましょう。

ゆっくり進めていくことを続けていくしかないのだ。

00394_面倒くさいを考える

何かをやるのは面倒くさい。

無限に湧いてくる妄想が実現しないほとんどの理由は「面倒くさい」による挫折だと思う。

「面倒くさい」という理由付けは、真の理由付けを面倒くさがっているから出てくる言葉だと思う。言葉遊びだな。

というところで、もう少し「面倒くさい」を掘り下げてみたいと思います。めんどくせぇなぁ。

 

めんどくさいことを大きく二つに分けると「できないことをやろうとしているので面倒くさい」「できるけど面倒くさい」となるかと思います。

できるかできないかで分ける。

前者は新しい料理を覚えようとか、資格の勉強をしようとか、そういうやつ。

後者は風呂に入るとか、部屋を掃除するとかかな。

 

「できないからめんどくさい」を解決するには、まぁ「できるようになる」ことと「習慣化する」ことが大事なのだと思う。まずは一回やってみんと。それを繰り返してみんと、始まるもんも始まらん。

そのためにはゴールを決めて、そっちに向かってのスモールステップを作っていくわけだが、この作業もまた面倒くさい。何が必要なのかを考えなきゃならないし、この問いに「これだけできれば大丈夫!」と結論を出すのも、意外と難しいように思える。

いずれにせよ、できることから見切り発車して、必要なことを手あたり次第やっていく感じになるのだろうな。事前の計画は結構無力。

 

「できるけど面倒くさい」の解決は余計に難しい。「何が原因か」を考えなきゃいけないと思う。もっと自動化できないか考えたり。そもそも時間とか精神力が足りないからとか。何がそんなに心理的なハードルを上げているのか。環境なのか対人関係なのか。

 

ここまで考えていて、「要求水準が高い」というところがめんどくささの原因でもあるような気がしてきました。

良いもの、難しいもの、すごいことをしようとするから、そりゃあまぁ必要な手数は多くなる。時間も労力もかかる。

手っ取り早く面倒くささから逃げ出す方法は「要求水準を下げる」ということかもしれない。現状で満足するとか。風呂に入らなくてもとりあえずシャワーだけでいいか、とするとか、レンジでチンするだけの料理でOKにするとか。

 

「あれもこれもしたいのに面倒くさくてできない」という自己嫌悪に陥らないようにするために、多少要求水準を下げるのは必要だと思いました。

身の程を知るのだ、つまりはそういうことだ。

あれもこれもできたらそりゃあ素晴らしいけれど、現実そこまでするのは不可能なんだ。

非現実的な夢に悩んで自滅するの、あんまり良くない。

自分のペースで行けるところまで行けばいい。

00393_文章

ここ数日、ちょっと長めの文章を書いていた。

中身はどうあれ、「文章を書けた、公表できた」と言うことは自己肯定につながる。

ブログの文章は、推敲とか編集とか全く考えず、とにかく思いついたことをポンポンと書くようにしている。

そういう文章書きが自分の中に定着してきて、良かったり悪かったりするんだろうけど、まぁこれが自分の文章と言うことなんでしょう。

 

良いものを書こうとしすぎて逆に何も書けなくなる、と言うことよりはだいぶ良いんじゃないかと考える。

敬体も常体もごちゃまぜで。とにかく書かないと始まらない。頭の中に抱えておくだけでは重いだけでちっとも役に立たない。

 

ちょっとでも止まると「こんなこと書いていいんだろうか」というような葛藤が始まる。「そもそもどうして日記なんて書こうとしているんだっけ」みたいな気持ちさえ湧いてくる。

言いたいことがあるんだ。良く分からないけど。

 

00392_無意味な緊張

人よりも気にしなくていいことを気にしてしまい、無意味な疲労や機会損失があるような気がしています。

 

見たい映画があるなら一人ででも見に行けばいいし、一人で見に行けないのであれば誰かほかの人に声を掛けて見に行けばいいし。どちらもそんなにハードルを高く考える必要はないのではないかと思う。

 

一人で見に行ったとしたら「『ぼっちww』と後ろ指を刺されそうだ」なんて無意味な緊張が出てきそう。

誰かに声を掛けるのも断られそうとか思うし、約束ができたらできたでけっこうしんどいんだ。話したりするのとかに無意味な緊張生まれたりする。

 

ある程度仲が良い相手であっても、長時間一緒にいるとしんどくなってしまいます。

これ、相手にも申し訳ないし、自分でも嫌な性質だと思ってるんだけど。

10年以上の付き合いがある友人と4泊5日の旅行とか行ったことがあるんだけど、後半だいぶしんどかった記憶がある。これは友だちが悪いわけでは決してなく、自分にエネルギーが足りないせいだと考えている。もしくは無駄なエネルギーを消費してしまっているんじゃないかと思う。



くやしいな。

どこまで行っても他人との関係で頭が痛い。

「みんなから嫌われたくない」みたいな、いわゆる「歪んだ認知」をしているような気もする。

対人関係の中に求めるものが多すぎるような気もしている。

「一生このまま誰にも話したいことを話せず生きて死んでいくのだ」というような思いは結構根強く、絶望感が強く、思い出すとしんどい。

「そんな良く分からないこと気にしてるからコミュニケーションもうまくいかないんだよ」うーん、それもきっと一理ある。

わしだってそういう絶望感忘れられてる時間もあるんや。常日頃こういうことばかり考えてるわけでもないんや。

 

辛い話を分かりあってくれる相手が欲しい。

しかし、辛い話をすると相手との関係が築けない、ないし壊れてしまう。

とりあえず楽しいこと、明るい話題で少しずつ仲良くなる。

そんな風に丁寧に積み上げていく関係も「表面上の」などと蔑む声がしそうだ。

そんな風になっていくともう面倒くさくて「おまえの人格が悪い」くらいの雑さで原因を求めて納得してしまいたくなる。

絶望を忘れることは「逃げだ」というような思いがあって、無意味な緊張をまたよみがえらせる。

誰も見ていない部屋で一人背筋を伸ばして正座して、足のしびれに泣きそうになっている、そんな感じかもしれないな。

無意味に気を遣い、誰にも気づかれないことで苦しんでいるとか、さ。

 

そのくせ、もっと気を遣うべきところに全く無頓着なところもあって。

それは髪型だったり服装だったり持ち物だったり、細かな所作や表情だったり。

もっとみんなが気を遣っているところに同じように気を遣えたらいいのに、なんて思う。

難しいなぁ。どうしたらええんやろうなぁ。

 

まぁ、一日そこらで解決する問題ではなく、解決したように見せてもまた「目を背けているだけだ」なんて思い込んでしまうはずなので、あまり解決にこだわらないようにする。

せめて誰も見ていないところでは足を崩して、気楽に寝転がりたいと思う。