ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00152_分かり合えないこと

分かり合うということは難しい。

 

同じ状況を見聞きしていれば分かり合えたはずなのに。

状況を一緒に見られなかったから食い違いが生じて、喧嘩になったり。

 

同じ状況を見ていたけど、立場が違うから持っていくべき方向が食い違ったり。

 

どちらも一生懸命なのに、どちらも同じものを目指しているはずなのに。

食い違ってしまう。喧嘩になってしまう。

 

私は割りと「喧嘩になる」ことをネガティブに捉えすぎるタイプかなぁと思っています。

本当はちょっとくらいあーだこーだぶつかりあってやっていくほうが良いのかもしれない。

ただ自分がそういうやり方に慣れていないだけかもしれません。

 

「もっと本音をぶつけ合って、ぶつかり合って、それを乗り越えてこそ合意」という考え方も納得できる。そういう人から見たら、私みたいな人は張り合いがなく、付き合いづらい相手なんだろうなと思う。

 

コミュニケーションの形式とか温度とか、大事だなぁと思います。

 

人と人は分かり合えない、ということは肝に銘じなければならない。

しかし、「何故分かり合えなかったのか」と考えることは大切だと思います。

答えが出れば、もしかしたら少しだけ分かり合えるようになるかもしれない。

少しだけ、分かり合える人が増えるかもしれない。

00151_バトン

ノルマ、カルマ、カルタ、カルト、カート、チート、チーズ、ポーズ、ポーク、ピーク、ピンク、ピンチ、パンチ、パンダ、ホンダ、ホンネ、アンネ、アカネ、オカネ、オカン、オトン

 

に引き続き、本日はバトンです。21記事目です。

ブログを書きたいけど、何書いていいかわからない、みたいな状態の時このネタ便利だな。

 

よく考えれば、その昔SNSでは「バトン」っていう日記のネタみたいなのが流行っておりました。

好きな色は? 好きなバントは? とかそんな感じの質問が幾つか乗ってるやつでした。

で、割と最後に「次に答えて欲しい人を書いて!」みたいなやつがありました。友達にやってもらうのです。

私は結構好きでよくやってましたが、友達によっては嫌いな人もいたようでした。

 

一度その友人がバトン嫌いということを知らずに回してしまい、怒らせてしまったことがありました。

人によって好き嫌いも様々なのだなぁと思うのでした。

 

SNSといえばTwitterかと思うのですが、Twitterで言うところのハッシュタグ的なものかなぁ。

 

00150_オトン

ノルマ、カルマ、カルタ、カルト、カート、チート、チーズ、ポーズ、ポーク、ピーク、ピンク、ピンチ、パンチ、パンダ、ホンダ、ホンネ、アンネ、アカネ、オカネ、オカン

 

に引き続き、本日はオトンです。20記事目です。

オカンに続きオトンです。ちょう安直。

 

オカンもそうなのですが、家にいると自分のオトンが「普通」だと思ってしまいます。

 

世の中の父親というものは、だいたい家事をやらず、

だいたい怖く、

だいたい酒とタバコが好きで、

 

みたいなことを思っていました。

よく考えると小学校の頃の先生とかにもそういう人が多かった気がします。

 

家族に暴力も振らず、

何十年もしっかり仕事をしてきて、

外で気晴らしするときもおこづかいの範囲内

 

ということも、「普通」だと思っていたフシがあります。

 

最近、そんな自分にとっての「普通」が、必ずしも世間一般と重なるわけではないと思うようになりました。

 

家事が好きな男性、優しい男性、酒もタバコもしない男性、

 

もいるし、

 

暴力的な男性、全く仕事をしない男性、散財してしまう男性

 

もいると思います。

 

 

私は自分のことがあまり普通だとは思っていないんですが、

家族のことを「普通」だと思えることはありがたいことだと思っています。なんとなく。

 

散々迷惑をかけてきた分だけ、オトンにもオカンにも幸せになってもらいたいなぁ。

弟の分も親孝行しなければならんなぁ。

00149_先生と助手

先生「この研究を完成させてよいか、迷っているんだよ」

 

助手「どうなさったんですか? 今の研究は先生の人生の集大成じゃないですか」

 

先生「この研究が完成するということは、人の心が解析されて、可視化できることになる、ということだ」

 

助手「そうですね」

 

先生「私の心も解析される。君の心も解析される」

 

助手「そうなりますね」

 

先生「良い歳したジジイがうら若き助手の女性をいやらしい目で見ていたことなども白日にさらされるわけだ」

 

助手「尊敬すべき先生の性的な視線を笑顔で流しつつ嫌悪していたことも露見しますね」

 

先生「そのとおりだ。そしてそれは私の研究の成果を使わずとも露見していたことだ」

 

助手「そうでしょうね。だいぶ控えめに表現していただいていますね。ありがとうございます。」

 

先生「そうだ。これがオブラートに包まず、ありのままが晒されたらどうなるか。我々のような間柄でさえ、心が解析されると破綻する可能性が高いのだ」

 

助手「他者との関係が壊れるのを恐れるあまり、自分の人生の集大成を打ち捨てる、のですか?」

 

先生「人の心が解析されたら。私はその技術を適切に扱える自信がないのだよ。」

 

助手「もうほぼ大部分人の心なんてわかってるでしょう?」

 

先生「体系化して他者でも扱えるようになることには恐怖もあるのだよ。私はきっと、過去に私に大きく影響を与えてきた人々を解析しつくしてしまうだろう。それらを操作して、自分に都合が良い用に相手の感情を弄ぶことすらしてしまうかもしれない」

 

助手「この研究程度でそこまで出来るとは思いませんけどね」

 

先生「そうだと良いのだけどね」

 

助手「持病の誇大妄想が悪化してるんじゃないですか? お薬飲まないと」

 

先生「君がそういうのならそうだろう。その薬を飲むと、私は普通になれる。薬を飲まないと、神にでもなったような心持ちになってしまう。音楽が美しく、光が眩しく、とても幸せなのだよ」

 

助手「もう何度も聞きました、それ」

 

先生「薬を飲むと音も光も意味を失ってしまうんだよ。感情も死んでしまう。かえって虚無感が高まるのだよ」

 

助手「それが普通なんですよ。先生は普通の人より感性が豊かで、音も光も敏感に受け止めて。そこに意味を見出してしまうのですよ。普通に、なりたかったのでしょう?」

 

先生「普通にな。なりたかった。普通に感じ、普通に考え、普通に人と交わり、普通に死にたかった」

 

助手「薬を飲むと、その夢が叶うのですよ。神になる妄想からも逃げられますしね」

 

先生「感性を殺して普通になるか、常軌を棄てて情報の海に溺れるか」

 

助手「扇情的な二者択一を口走るのは先生の良くない思考傾向です。落ち着けばもっと多様な選択肢を検討できるのに。やっぱり今は服用すべきと判断します」

 

先生「……ありがとう。君がいるから生きていられるよ。幸せになってくれよ」

 

助手「先生、別に死ぬわけじゃないんだからそんな言い方しないでくださいよ」

 

先生「私にとってはね、この薬を飲むということは、自分を殺すことと同義なのだよ。この価値観、この感性、この身体を失うことを意味するのだよ。だから、最期に君に感謝の言葉を伝えたかったのだよ」

 

助手「ありがとうございます。大げさにしすぎるあたり、様態が悪化してますね。薬を飲んでおやすみなさい」

 

先生「ありがとう。おやすみなさい」

 

~完~

00148_6月

今日から6月ですね。

梅雨は雨が多く、嫌だなぁと思うことが多いです。

これから暑くもなりますし、気をつけないとなぁ。

 

今月の目標は「余裕を持って過ごす」です。

ゆるゆると生きていこう。

00147_メンヘラ.jp様に寄稿しました『福祉の仕事のつらさと課題 ~ある精神保健福祉士の場合~』

ごぶさたしております。自分のブログでさえごぶさたになっております。

ようやく元気を取り戻しつつあります。

 

さて、もう2週間以上経ってしまいましたが、メンヘラ.jp様に投稿した記事の紹介をさせていただきます。

 

福祉の仕事のつらさと課題 ~ある精神保健福祉士の場合~ – メンヘラ.jp

 

どんな仕事でも辛さはあると思います。

今回の記事で書いたのは、とても概論的な辛さです。

種類としてはこれこれこういう辛さがあって、という形で、あまり具体的なことは書いていません。

もちろん福祉の仕事はとてもデリケートなので、個別的具体的な話ってそうそうできるものではないのですが。

 

パット見で分かりやすい辛さと、一言では伝えきれない辛さがあります。

給料が低いのとかは分かりやすいと思います。平均年収との比較で一目瞭然だ。

 

しかし、「ストレスフル」ということについてはどう説明したら良いでしょうか。

同じ仕事をしていても「人とのコミュニケーションが楽しい」と思う人もいれば、「人とのコミュニケーションは苦痛だ」と感じる人もいます。

現実には「Aさんと話すのは楽しいけど、Bさんと話すのは苦痛だ」という風になることも多いですし、「Aさんと仕事の話をするのは楽しいけど、プライベートの話をするのは苦痛だ」ということだってあります。

更に細かくしていけば「Aさんとはこの業務についてはモメるけど、他の業務については結構考えが似てるんだよな」なんていうこともあります。

 

仕事が辛いことを「仕事が辛い」で終わらせず、深掘りして考えていくと、実はどこがどのように辛いのか分かってくるかもしれませんね。

前職のときもそうでしたが、どうしても辛い状況になると物事を冷静に考えることができなくなります。本当は業務の一部分について些細な指摘をされただけなのに、「自分は生きる価値さえない人間なんだ」と考えてしまうなど、ふさわしくない規模に思考が拡大してしまいます。

細かく現実を認識して問題を把握することって、実は結構難しくて。0か100か、白か黒かみたいな両極端な感覚、思考の方が楽だと思います。

 

目の前の色は白か黒か。

グレーであるならばどのようなグレーなのか。白に近いのか黒に近いのか。

どの程度現実を細かく認識できるか、というのは自分の状態をモニタリングするいい指標になるかなと思いました。

00146_オカン

ノルマ、カルマ、カルタ、カルト、カート、チート、チーズ、ポーズ、ポーク、ピーク、ピンク、ピンチ、パンチ、パンダ、ホンダ、ホンネ、アンネ、アカネ、オカネ

 

に引き続き、本日はオカンです。19記事目です。

このネタやるの久しぶりだ。

 

うちのおかんはどこにでもいるような普通のおかんだと思います。

でもきっと、そう思うのは自分がそのおかんから生まれてきたからで。

他の人から見れば、だいぶ変わっている部分もあると思います。

 

少し話が飛びますが、メンヘラ.jp様にまたすごい読者投稿が掲載されました。

 

精神疾患と向き合い続けた僕が辿り着いた、たったひとつのサバイバル技術 – メンヘラ.jp

 

政宗さんの記事です。壮絶な人生を歩まれた記録です。

政宗さんのお母さまとうちの母が、なんとなくどこか似てるな、と思いました。

 

苦悩の末にたどり着いた

 

>「僕はまだ生きていたい。」からです。

 

という、サバイバル技術。

 

実は3歳の頃には自然に手にしていたんですよね。

 

>僕は、「お母さん、僕はまだ生きていたいよ。」と思った通りのことを答えたのを覚えています。当時のことを母が語るには、「あの時、その言葉で私は正気に戻れた。」、そう言っていました。

 

生きるためのサバイバル技術、本当は誰でも生まれながらにして持っているのに、歳を重ねる中で手放してしまうものなのかな、と思いました。

これからも、この技術を見失いたくないな、と強く思います。

 

「十月十日の日を超えた

母の痛みの責任分だけ

ぼくらは生きなければならない」

 

妹の自殺。自死遺族の嘆き。 – メンヘラ.jp

 

同じくメンヘラ.jp読者投稿をされているハジさんの詩の一節を引用して、幕引きとします。