自分が幼稚だと思う。
なぜだろう。
嫌なことをやりたくないといって逃げてしまうところとか。
自分本位で人のことを考えられていないところとか。
もっとしっかりしなきゃと思う。
具体的にどういうことなんだろう。
もう十分できているところをさらに緊張させて、手を付けるべきところは結局手つかず、そんな風になっている気がする。
手を付けられないところにはそれなりに理由があるわけで。
でも理由をつけて言い訳しているところが幼稚だと、そういう話。
自分が幼稚だと思う。
なぜだろう。
嫌なことをやりたくないといって逃げてしまうところとか。
自分本位で人のことを考えられていないところとか。
もっとしっかりしなきゃと思う。
具体的にどういうことなんだろう。
もう十分できているところをさらに緊張させて、手を付けるべきところは結局手つかず、そんな風になっている気がする。
手を付けられないところにはそれなりに理由があるわけで。
でも理由をつけて言い訳しているところが幼稚だと、そういう話。
社交ができるようになりたい。
もうちょっと具体的に。
調整だけじゃなくて主張。
協同。
社交に伴う心理的負荷を下げたい。
「楽をしようとするな」とも言われそう。
別に負荷を負うからえらいという訳でもない。
わりと出来てるとも思う。
苦手なのは「自分から声をかけること」「反論」「疑問を持つこと」とか、そう言うところ。
仕事柄なのか、純度100%の受容でなければいけないような思い込みがあるかもしれない。
だから一対一だとそこまで負荷ないけど、関わる人が増えると等比級数的に負荷が増すとか。
んー、そんなに主張してないわけでもないのでは、とも思ってきた。
なんで「不燃感」こんなに高いんだろな。
思っていることとは逆のこと言ったりするからか。でも人間ある程度は誰しもやるわけでさ。だから人間誰しも不燃感あるんだよ。筋は通るけど解決せんよねそれ。
なぜ主張しないのか、は反論が怖いからでしょう。なぜ反論が怖いのか。わからない。症状は? 答えなければならない緊張。相手にわかってもらわなければならないというプレッシャー、敵意を想像すること。
意見が別れそうなことについてはそもそも話題にしない。意図的に逸らすなどしてしまう。先送り。きつい。
調和を志向するせいで建前ばかりになり、かえって調和しきれない、緊張感がぬぐえない。そういう感じ。何からしたらいいのか。
分かり合えないと諦めること。
別に納得させなくてもいいと開き直ること。
辛かったこと反芻しすぎるのやめよう。
自分が痛いこととかされた嫌なこととかばかり見てるけど、控えめに見ても同じくらい人に嫌なことをしている。プレッシャーをかけている。辛すぎると、そういう部分で盲目になってしまう。
ちゃんと人と付き合う余裕を持つこと。
そこから社交を始めれば良いと思う。
反射神経で生きてる、と最近よく言うようになりました。
その場その場の風向きに合わせて動く。
右と言われれば右。
左と言われれば左。
それまで積み上げたものとか、確たるものとか、そういうのがあまりない。
今までこんなことで失敗してきたじゃないか、と言うようなこと。
痛みが残っていて、それゆえに戸惑ったりしてしまうこともあるんだけど。
「この問題が解決されたから大丈夫!」というような、
建設的、論理的な思考ができていないと思う。
どこまでも感情的だなと思う。
もっと合理的、論理的に行動できるようになりたい。
効率的とも言うべきか。
合理的、という話と、確たるもの、という話は矛盾もある気がする。
矛盾と言うか、別の次元の話なのかな。
どう生きていくのか。
いい歳してそんなことで悩んでいる気がする。
ポエムはやめて、早く建設的なことを始めろよ。
そんな声もする。
動かねばな。
ちょっと良いコーヒーを買いました。
ドリップするやつ。普段はスティックタイプのやつだけど。
今までのが一杯18円くらいなのに対し、ドリップの方は一杯50円くらい。
2倍以上のお値段です。
やっぱりね、おいしい。
香りがいいんですよ。
ぜいたく。本当にぜいたく。
そこでポッと出てきたのが「このコーヒーを毎日飲みたいか?」という問い。
んーどうだろう。
ぜいたくなものは、たまにだからいい。
毎日飲んでいたらありがたみが薄まってしまう。
そっちの方が、親近感のある結論でした。
「もっと良いコーヒーもあるんだし、どんどん好きなもの飲もうよ」
と言うような思いも浮かんできますが、どうかなぁ。
「もっと追究しろよ。そんなんだからおまえは中途半端なんだよ」
そんな声もあるけど、あんまり強くないので、今日はそんなに体調が悪くないんだろう。
いずれにせよ、ささいな幸せを大切にしたいものです。
今日もコーヒーがおいしい。
そんなタイトルの唄があったなぁと。からっぽ。
表現したいものがないのに、表現したいという矛盾。
表現することに焦がれている。
「何を?」と聞かれてもとくに何もない。
何年か前、とある新書の帯に
「オレはやるぜ」
「何を?」
「何かを」
というやり取りが書いてあったことを思い出す。
結局何もしたくないんだろうなと思う。
夢を描くことのおいしい部分だけを啜っているよう。
結局「何も成し遂げることができなかった」という空虚を将来的に感じることになる。
それが代償。
夢を見るだけ見て何もしなかった、甘い部分ばかり食べた代償。
すべきことはあれで、これで、と明確になっているのに。
一つもやりはしない。
そんな現実から逃避して、夢のおいしい部分だけをすする。
具体的な努力をしない。逃げてばかり。
そろそろからっぽを実感しなければならないとき。
でも多分もう遅い。
積み重ねたものがある人とからっぽの人。
差はもう埋められるようなものではない程度になっている。
今からでも積み重ねるしかない。
そんなに高くは積みあがらないかもしれないけど。
からっぽに耐えられないなら。
下手でも積んでいくしかない。
悲観的に構えていたことが、実は悪くない結果に収まったり。
楽観的に構えていたことが、予想外にひどい結果だったり。
なかなか思うとおりに行くものではないな、と思わされます。
漫然と日々を過ごしてしまいがちだけれど、一日一日は確実に過ぎていっている。
大切にしなきゃなと思う。
では具体的にどうする?
意気込みだけで何もしないのでは意味がない。
そういうところが嫌だったと思っている。
変にシニカルになるのをやめたい。
プライドが高いとか、カッコつけてるとか、言われることが多いけれど。
そういうのを捨てて、全部捨てるわけじゃないと思うんだけど、素直になれたらよいと思う。
素直は取り柄だったと思うのだがな。
道はまだまだ長い。
悩みがあるとき、同じことについて考えすぎるなと言う気づきについて。
イライラする時、恐い時、その原因(だと自分が思っていること)について堂々巡りの考えが展開される。
よくなかったこと、これから良くないことが起こるのではないかと言うこと、などなど。
具体的な解決に向けて動く、ということはあまりない。
「こうすればいい、だからもうこれ以上悩まない」ということも。
建設的な方向に頭を使って、行動して。そうあるべきだと思う。
そうしないのは子供だと。自分はまだまだ子供だと痛感する。
ちょっとくらい負荷がかかっただけで、もう全てのやる気を失ってしまう。
そういう所が子供っぽいと思う。こういうところは大人になりたい。
自分の至らないところに焦点を当てていると、どうしてもイライラしてくる。
もどかしい。
考えることをコントロールする、っていうのをやってみるといいのかな。
考えを逸らす練習。考えても仕方がないことを考えない練習。必要かもしれないな。