ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00317_第十一話『山川町のひとたち』

筆者が買い物に出かけていると、たまたま昔の友人が向こうから歩いてきた。

学校を卒業して以来だから、かれこれ十年近く会っていない相手だった。

向こうも筆者に気が付いたらしく、こちらに寄ってきた。

 

「おぉ、ヤマカワじゃないか。久しぶりだな」

「久しぶり、卒業して以来かね?」

 

そんな簡単なやり取りを交わす。

今何してる? 地元に就職したんじゃなかったっけ? 今日は休み? 俺は今こんな感じで……

 

十年分の説明というのは、なかなか長い。

話し出すと延々と長引いてしまう。

 

それをよどみなく話せる友人は、きっと順調にこの十年を過ごせたんだろうなと思う。筆者は「いや、まぁ、色々あって転職して……」なんて、歯切れの悪い返答しかできなかった。この十年、身の上に起きたことをかいつまんで話すには、場所も時間もちぐはぐすぎる。

 

「まぁ、元気そうで良かったわ。また皆誘って飲みに行こう」

「おぉ、そうだな」

 

そんな社交辞令を言って、友人とは別れた。

 

別れた後、筆者はひとつため息をついた。

人と会うときに、100%リラックスしているということはありえない。

会えてうれしいと思う気持ちがある一方、見栄を張る気持ちや「笑われないようにしないと」と緊張する気持ちもある。どんな相手でも一緒だ。

それ自体が悪いこととは思わない。家でゴロゴロしている自分と同じじゃいくらなんでもダメっしょ、とも思うからだ。人は誰でも自分を繕って生きているものだと思う。「ありのままの姿見せる」にも、限度や節度があるってもんだ。

それでも。というか、だからこそ、この妙な緊張がもう少し和らげばいいのに、と思う。自分で言うのもなんだけど、緊張しすぎな気がする。しかも大して相手にいい印象与えられていない気がする。人と会うたびにこんな非効率的な消耗を繰り返しては身が持たない。だから人づきあいが苦手になるし、縁遠くなる。それが孤独感や狂気を駆り立てていく要因なんだと思う。原因は単一ではなく、色々な要素とつながっていて、だからなかなか解決しないのだ。

 

現状を嘆く気持ちと、現状を肯定する気持ち。様々なものがぶつかり合って、筆者から出るサインとして、大きなため息になる。色々考えすぎなんだろうな。