ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00520_正しくないことを思う

正しくないことを思うこと。それ自体は悪くないと思う。

思うことって、なかなかコントロール不能だしね。それを正すのが言わゆる認知の修正なのかもしれないけど。

 

思ったことを正しくないと知りながらあえて言う、それはどうだろう。

「思う」と「言う」の間には大きな違いがある。

思っているだけなら許されることも、言うと許されなかったりね。

まぁ「他人に許されないことを言ってはいけないのか」というのは改めて考える必要があると思う。



言うのであれば、責任が生じる。

しかし、言わないこともまた、責任を発生させることもある。

 

言って発生する責任は「それは違う!」と責められる可能性を負うということ。それについて質問されたときに答えること。間違っていると思ったら謝ること。

 

言わずに発生する責任は、ちょっと考えにくいけれど。

後から「どうして言わなかった」と責められる可能性もある。リアルタイムでも「どうして同意しないの、あなたは反対なの」という意見や視線への対処もあるだろう。



思っていることを言うことで得るもの、失うもの。

思っていることを言わないことで得るもの、失うもの。

 

得ているつもりでも、実は失っていたり。

自覚がないだけで、実は大変なものを失っていたり。

いや、実は失っているのではなく、自由になっているのかもしれなかったり。

 

何がどう人生に対して良く、悪く、作用するかなんて終わってみなけりゃわからない。

そんなこと気にする方がナンセンスという気もしてくる。

結局は、目の前の一日をよりよく生きるよう生きていくだけだと思う。

日々が判断の連続であるという所から逃げないでいたい。

あるいは、「逃げる」という選択も主体的に取ったものであるのだと自覚しておきたい。