ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00592_天使のような悪魔の笑顔

あちらを立てればこちらが立たず。

どこかを立てるためにはどこかを倒さなければならない。

そういうことはよくある。

人生は常に選択だなという気持ちになる。

 

あっちも立てて、こっちも立てて、

視界の中ではうまく立て切ったつもりでいても、

見えないところで色々崩れていくこともあるかもしれない。

崩れていることに気づけないこともあるでしょう。

立て切れるのも、自分の手の届く範囲内が限度だろうしね。

 

万事都合が良い解決を望みすぎる、という指摘を受けたことがあり、

まぁそうだよなという気持ちになる。

うまい話を期待しすぎる、というのは確かにそうだなと。

もっと現実的に物事を見て考えられるようになりたい。

 

自分はどこか変わっている、と今更ながらに思う。

そのお陰で得たものもあれば、失ったものも多かろう。

機会損失。

とはいえ「そういうタラレバに振り回されることがよくないんだよ」というのが「うまい話を期待しすぎる」という指摘の言わんとすることのようにも思うしな。

 

今あるものは大切に。

とはいえ立てられるキャパシティは広げていきたいでもあるので、

やっぱり努力は続けていくしかないよなぁ。

 

何をやっても誰かからは何かを言われる、ので。

結局自分がしたいようにするしかないのだ、と思う。

そういうことをようやく思えるようになってきたと思う。

いい加減自分を隠したり、自分に嘘をついたりするのはやめてさ。

好きなものを好きと言えるようになったら良いんじゃないか。

 

こんな風にきれいごとをささやくのが悪魔の声、

と言う風に連想しがちなんだけれども。

誰も否定できないことを言葉巧みに語りかけてくるのって、

分かりやすい悪者よりよっぽど悪魔だよなと思うなどした。

悪魔の解像度が少し上がった気がしますね。

 

「そいつは悪魔だよ」と言う天使がいて、

「君はそのままでいいんだよ」と優しい言葉をかけてきて

実は自分を拘束しようとしている本物の悪魔だった、とかさ。

そういう話もありそうだよね。

偽物に気をつけろと言いながら贋金を握らせる詐欺師、というのはアドラーの本に書いてありましたね。

 

相変わらずこういう恥ずかしいことを書いていく。

楽しくてやめられないんだろうと思う。

思ったことを取り敢えず書いていく、広がっていく。そういうところから考えが広がっていく、整理されていく。そういうモノなんだろう。

今回みたいな独白体もいいし、会話形式でもいい。人のツッコミは独白の時も想定しているけど、会話形式でリズミカルに進む方が辿り着きやすい思考もあるかもしれない。ないかもしれない。どちらでもいい。多分考えるのが好きで、書くのが好きなんだ。