プライベートで付けていた日記について、二月に入ってから更新していないことを思い出した。
色んな事がやりかけだと思う。なかなか「今日からまた書こう」という気持ちになれないのももどかしい。
作曲は「一曲完成」という区切りがあって分かりやすいように見えるけれど、「ここが至らなかったから次はこうしよう」などと考えだすと、結局歩みを進める途中と言うことになり、大きく見ればやりかけのことの一つになる。
やりかけのままの日記。
やりかけのままの仕事。
やりかけのままの趣味。
やりかけのままの人間関係。
決着するもの、というものの方が少ないのではないか、と思えてくる。
勢いよく始めても、最後は自然消滅的に消えていく。そういうものかもしれない。
何かを成すことも、何かを終えることも、なかなか難しいことだと思う。
やりかけの気持ち悪さをどうにかするにはどうしたらいいのか。
そもそもやり始めないのが一番か。それもどうかなぁ。
最後まで仕上げることができれば一番いい。
ちゃんと終わりを決めないと終わり切らないから、気を付けないといけない。
まぁでも、あんまり「やりかけだ」ということを気持ち悪く感じないようにすべきなのかもしれない。どうやったって「やりかけ感」は残りそうな気がする。
あんまり気にしないで、やりかけのことを垂れ流しながら生きていく、というのでもいいのかもしれないと思う。死ぬまで完成しないというのは、人生のようだと思う。