ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00552_怒りについて

今日もTwitterでは怒りが溢れている。

新型コロナウイルス感染症に関連した怒りはもうずっと前から続いている。

最近では、ミュージシャンの優生思想を窺わせるツイートに多くの怒りが書き込まれた。


なるほど、確かにおかしいな、と思うこともあれば。

別にそこまで怒らなくても、と思うこともある。


ちょっと怒る方を宥めるようなことを思うと、

「怒るべきことにちゃんと声をあげないのはおかしい」

「問題を真剣に考えていない」

と言う声が聞こえてきそうだ。


「この問題、発言するほどしっかり調べたり考えたりできていない。なので発言を控える」と言う選択肢を、いろんな問題で取ってきている。


別にそんなに深刻に考えなくてもいいのかもしれない。

発言しないことで、かえって対話のスキルが培われていない気もする。


Twitterでのやりとり、あんまり建設的にできるものだとは思っていなかったんだけど、相手とコミュニケーションの仕方によってはある程度成り立ちうるものなのかもしれないな。


最初から対話を諦めてしまうのはもったいない気もする。

しかし、対話をするのであれば、それ相応の情報収集とか、論の構築とかをしないといかんよね。

意見を持つには、それ相応の情報量を持っていないといかん。それは間違いじゃない。


結局、今まで何事にも無関心だったんだろうなと思う。

発言するに値するだけの関心、持ってなかったもんな。

今でも「そんなに怒らんでも」と言う気持ちは結構つよい。


「怒ること」について、自分が過剰に考えすぎている、と言うのはあると思う。

自分の考えだと、声を荒げるほど怒る時って、対象を壊したりとか殴りかかったりとか、そう言うのも厭わないレベルでの感情の発露だと思っていたんだけど、そうでもないのかもしれない。

相手が正しくて自分が間違っていると思ったら謝るとか、そのくらいのレベルでも怒ってもいいのかもしれない。

 

「怒ること」って具体的にどう言うことかと言うと、多分言葉・表現が強いことが大きいと思う。

「そんなこと言うんじゃねぇよバカ」よりは「そこまで言わなくてもいいんじゃないかと私は思います」の方が怒り感は低いし「もう少しマイルドな言い方でもいいかもしれませんね」とかなら怒り感は低くなる。


結局、感情のぶつかり合いが苦手なんだなと思う。

自分自身抱えている感情は大きい方だと思う。感情的になると見失うこと、結構多い。だから普段から感情的になりすぎないよう気を付けている。

でも、そこまで気を付けなくてもいいのかもしれない。

いきなり120%開放じゃなくて、60%くらいずつオープンにしていくことを身に付けないといけないなと思う。オープン、クローズの二択しかなくて、結局クローズしっぱなして息苦しい、そんな現状にあるからだ。


自分は他人の感情を、実際以上に大きく見積もってしまう傾向にあると思う。

相手、別に言うほど怒っているわけじゃないかもしれない。

怒っているからと言って、完全に感情を閉じたり対話の余地がなかったりするわけじゃないかもしれない。

別に怒っていても、そんなに騒ぐほどのことじゃないのかもしれない。

怒っていることを気にしすぎる。これは自分の悪い癖だと思う。

直したい。


自分自身も、怒っている時の振る舞いをもう少し見直したいな。

結構完全に閉ざしてしまいがちだから。

怒鳴らないようにと思うとあんまり冷静に考えられなくなるから。


対話には出来る限り誠実でありたいよ。