ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00184_第五話『山川町のひとたち』

向こうから髪の長い女の人が歩いてきて、ちょっと気まずくなってしまった。

向こうも筆者に気づいて、ちょっとバツの悪そうな顔をした。

 

「ごぶさたですね」

話しかけてみた。話したくないと思っていたり、それでも話したいと思っていたり、そのくらい頭の中にいる時間の長い人だった。

「ヤマカワさん、ごぶさたですね」

思っていたより、普通の返事だ。あんまり表情は良くないけれど。

 

「……なんか、ごめんね」

筆者が謝る。唐突だと、自分でも思う。それでも、他に言葉も出てこないし、伝えたいことなんてそんな形でしか口にできない。

「どうしたの? 何か謝られるようなことしたっけ?」

自然なように彼女は答える。あまりにも自然に少し表情を崩した彼女の返答が、筆者には白々しいようにも思えた。

 

「あのときの、あれ。ごめん」

「どれのことか、わからないよ」

「何っていうか、あなたの気持ち考えないで色々わがまましてて」

「いきなりワケの分からない謝罪始めてる今も、全く私の気持ち考えてないでしょ?」

 

彼女に言われてはっとした。あきれた、という表情で彼女は筆者を見た。

「そうだね、ごめんよ」

「だから、何についての『ごめん』なの?」

「あなたの気持ちを考えずに勝手に謝罪とかして、ごめん」

「はいはい。分かったわ」

「許してくれる?」

「許してるよ。でも、『許したよ』って言ったって、どうせ許したと思ってくれないでしょう?」

 

昔と変わらず、彼女は核心を突いて筆者の言葉を止まらせる。

 

昔からそうね。あなたは私のことを信じてくれなかった。私というより、他人一般を信じてはいないと思った。家族だったり、友達だったり。どこかで他人を過剰に持ち上げたり、過剰に見下したりしていた。それは今も変わってないようね。私にはあなたの過剰な感じが苦手なの。そんなに謝るなんて、謝られても許さないなんて、私をどんな悪人だと思ってるの? あなた自分がそんなに謝られて他人を許さないの? 私もあなたと同じ人間なの。そこのところ分かってよ。どうせまた「あぁ、また怒らせちゃった」とか思ってるんでしょ? そのくらい耐えられるようになってよ、男でしょ。

 

ひとしきり言われた後で、彼女から「ごめん」と言われた。

自分でも悲惨な表情をしているなと分かる。

「こっちこそ、ごめん。ありがとね」

筆者は笑う。そんな形でしか、しっかり叱ってくれる彼女に誠意を返せない。

「嫌なことは早く忘れて、ゆっくりしなよ」

「ありがと」

「強くなりな」

「うん」

「それじゃ、ね」

「うん、またね」

「もう会わないほうが良いと思うけど」

「……そっか。そうかもね」

「あんたが会いたいなら、会ってやらないこともないよ」

「ありがとう。それじゃ、またね」

「はいはい、またね」

 

~完~

00183_とにもかくにも

何も言わないと何も分かってもらえないと思います。
何もしないと何も変わらないと思います。
今日は前向きな話です。

人に頼るのはやっぱり不確実なんですよね。
自分から動いた方が確実。

自分がやりたいことなのに、
人任せにして、人のせいにして。

「そんなことわかってる」
と言いたくなるけれど、
「わかっていればその通りにできるはず」
なので、
結局「わかっていない」または「理解が浅い」。

ゴールを見据えて歩いていかないと、きっとたどり着けません。
とにもかくにも、やるしかないのです。

00182_第四話『山川町のひとたち』

 遅い時間にサラリーマンが帰ってきた。

 隣の少し栄えた地方都市から山川町に帰ってきたその男の人は、他の多くの勤め人たちと同じように肩を落としてとぼとぼと歩いていた。

 「お疲れさまです。何か大変なことでもあったのですか?」

 筆者は何気なく声をかける。サラリーマンは一瞬驚いたような顔をした。

 「あぁ、ヤマカワさんですか。大丈夫ですよ、いつものことです」

 頼りなく笑みを返された。反射的に、筆者の口角も少し上がる。

 反面、その瞬間には色々な解釈が筆者の頭をよぎった。

 

 話をしたくないんだろうか。

 話をするのも疲れてしまっているんだろうか。

 本当に大丈夫なんだろうか。

 本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫と言わなければならないと思い込んでいやしないか。

 いつも、こんな風にあまりにも信じられない「大丈夫」を言っているんだろうか。

 

 どこまで聞いて良いのか、筆者にもうまく判別できずにいた。

 サラリーマンはとぼとぼと歩く。筆者も同じ方向に歩く。

 

 「ヤマカワさんの家、こっちじゃないでしょ?」

 サラリーマンはそう言った。たぶん、特別な意味はない。

 「もうちょっと、あなたと話がしたくて」

 とりあえず、思いついたことを言った。虚を付かれたようで、サラリーマンは少し視線を泳がせた。

 

 「ヤマカワさんも、疲れてるんですか?」

 「えぇ、まぁ」

 「お互い、大変ですねぇ」

 「そうですね」

 「なんでこんなに疲れるんですかねぇ、歳のせいですかねぇ」

 「どうなんでしょうね。原因は色々ありそうですけど」

 

 あまりうまく会話が繋げなくて、気まずい思いをしてしまう。

 でもきっと、サラリーマンはそんな風には思っていないんだろうな、と少し思った。

 

 「私もね、人目を気にしてむやみに消耗していた頃があったのだよ」

 サラリーマンが自己語りを始めた。話題に困っていた筆者はこれ幸いと聞き役に徹した。

 

 夢を見て育ってきた。夢を見て勉強し、夢を見て就職し、夢を見て働いてきた。これまでずっと、私を導いてくれたのは夢だったのだよ。でもね、夢はいつか覚めるって誰でも知っていることだろう? 夢ばかり見ていた私も覚めなければならない時が来てね。あの夢も叶わず、その夢も叶わず、大切にとっておいた最後の夢まで、叶わないとあきらめることになったんだ。夢を追いかけてたどり着いた場所は、叶わない夢を追いかけるために走り続けなければならない世界だったんだよ。目の前にぶら下げられたニンジンがなくなったのに、私はまだ走り続けなければいけないんだ。ふしぎなものでね、今まで走り続けることに慣れてしまってきたから、ニンジンが無くても走れてしまうんだ。走っているうちにまたニンジンが現れるかもしれないなんて、都合のいいこともかんがえてしまったりするんだよ。おかしな話だろう?

 今では夢は叶わないと分かった。「叶わなかったら死んでやる」と覚悟して追っていたものだった。いざ現実に叶わないと分かると、死ぬ気は沸かないものだ。そんなもんかな。

 

 具体的な部分を多くは語ってくれなかったけれど、サラリーマンは何かに納得して、けれども何かに納得できず、悩みながら生きているように見えた。それがきっと、疲れの原因なんだろうなと思った。

 

 「特に何もできなくてすみません。私で良ければまた話を聞かせてください」

 筆者が詫びると、先程と変わらない寂しい笑顔でサラリーマンは返事をしてくれた。

 「はいはい。ありがとね。寒いし気をつけて帰りなよ」

 

 手を振って闇に消えていくサラリーマンを見て、きっとみんな色々なことを語れず、色々なことを抱え込みながら歩いていくのだろうなと思った。

00181_ほしいもの

ほしいものがあります。

しかし、お金がありません。

ほしいものがたくさんあります。

しかし、お金がありません。

 

あきらめるしかない、というシンプルな話。

 

ないわけじゃないよね、という声もします。

なんのための貯金なの? という声もします。

ほしいもの買えないのに何で働くの? という声もします。

中途半端に貯金すると無駄なお金使っちゃうよ? という声もします。

 

自分が苦しんで下した判断を脅かす自分の声がたくさん聞こえます。

幻聴じゃないって断っておかないといけないね。聞こえるわけじゃないけど頭の中をよぎるんだ。お金のことだけじゃない。何か判断しようとする時、それこそちょっと書いたメモ用紙を捨てようとする時でさえも、「そんなことしたらダメじゃないか」という考えがたくさん湧いてきます。それで手が止まる。動かないことを正当化する理由もたくさん湧いてきます。同時に動かないことを批判する声もたくさん湧いてきて、いつでも自分が矛盾した状態の中に置かれてしまう。そういう考え方しか、できないのかな。

 

ほしいものもあきらめなきゃいけないし、

メモをとっておくのもあきらめなきゃいけないし、

あきらめられない性格だということもあきらめなきゃいけないんでしょう。

 

かなしいなぁ。

00180_できそうなこと

自分にできないことをするより、自分にできそうなことをした方が良いという話。

 

どうしてもとてつもなく大きな夢を描いてしまいがちです。

あれもやってこれもやって、みたいな。

そのどれもすぐにできることではないのに。

 

たとえば、長編小説を書きたくなる。

歴史に残るような大作を作りたくなる。

でも、そんなの、構想だけ。

良くてプロットを作り始める。それすら完成しないのに。

そして「あぁまた挫折した」とネガティブになるのです。

 

やめよう。どうせ集中力が持たない。

もっと手近で完成させられるものから作り始めよう。

 

日記を書くとか、短編にするとか、詩にするとか。

完成がすぐ見えないと、やる気が続かないんだよね。きっと。

自分のモチベーションを大事にしましょう。やる気は生物。

00179_思い通りにならない

自分が計画的にしないせいで、周りの人に迷惑をかけてしまうことがよくあります。
行き当たりばったりで好きなことばかりしてしまう。
嫌なことは理由をつけて先延ばしにしてしまう。

自分でも、どうしてこんなに辛くて、どうしてこんなにできないのか、どうしてこんなに抵抗感が強いのか、分からない。自分でも。

甘えと言えば甘えですよね。
「うつは甘え」「障害は甘え」という言い方さえある状況で、
うつの診断も障害の診断ももらっていない自分が言うことなんて甘え以外の何物でもありません。

計画を立てても、途中で計画の粗が見つかって悩むのです。
計画を破れば「また計画通りにできなかった」と悩むし、
計画を守れば「こんな理不尽なやり方を続けるなんて、遠回りしてるな」と悩みます。
どちらに転んでも悩みは消えない。

自分で基準が持てないので、考えも行動も支離滅裂になります。
さっきの計画の話だって、気分が違えば
「理不尽な計画を途中で辞められた。成長が近づいた」とか
「理不尽なやり方でも続けられる継続力が身についた。いいよいいよ」とか。
全く別の考え方をとても説得力あるものとして受け止めます。
こんなときはどちらに転んでも悩まない。

こんなに思い通りにならない自分、計画の立て方を見直して、自分のことをもっと冷静にみなきゃいけないなと思います。
自分は、そんなになんでもできる人間じゃない。
あれもこれもしようとしすぎないようにします。

とりあえず、7時間半眠ることだけを目標に今日も生きます。

00178_「死んではいけません」側の人間になるということ

どうしても、センセーショナルなことばかり言いたくなってしまう。

実際の自分はそんなことないのに。

 

色々なことを考え出して、まともな文章に出来ない気がしてきました。

 

めんへらは生きづらい。

でも、きっと「ふつう」にはなれない。

ふつうのふりをしてめんへらと関わり続けるめんへら。

 

「めんへら」か「ふつう」か。

そんなことにこだわりすぎる人は、「ふつう」にはなれない。

別に「ふつう」がそんなに偉いわけじゃない。

 

ぐるぐる考えすぎて、だんだん「ふつう」と「めんへら」の違いがよく分からなくなってきました。

そのまま、この二者択一へのこだわりをうまく捨てられたら。

「ふつう」になれるかもしれませんね。

 

「死んではいけません」は、「死ぬこと」を否定している言葉なんだけど。

まず前提として、言われた側は「死にたい」と思ったり言ったりしているはずなんですよね。

で、言われた側は「死ぬことが否定された」ではなくて、「自分が否定された」と思ってしまうんじゃないかと。

だから余計に辛くなってしまうんじゃないかと。

否定されてばかりの世の中で、苦しみぬいた末の結論ですら否定されるなんて、やっぱり死ぬしかなくない? なんて、思ってしまうんじゃないかと。

 

だからといって「死んでもいいよ」と言われたいかというと。

それは、「言われた側の肯定」になるかもしれないけど、同時に「死の肯定」にもなってしまう。

言う側は、それはしたくないわけで。

 

矛盾の解決として思い浮かんだのは

 

A「死にたい」

B「どうして死にたいの?」

A「怒られたくない、未来が暗い……etc」

B「なるほどね」

A「だから、死にたいの」

B「怒られなくなれば、死ななくても大丈夫じゃない?」

 

みたいに話をそらしていくこと。

 

死でなければ解決できない問題って、「生きることが辛いから」くらいのものでない限り、他の方法で解決できるんじゃないかな、って思います。

 

大きな欠点が2つあって「現実的に取れる解決策は限られる」「生きることはほぼ確実に辛い」なんですが、とりあえずおいておきましょう。

 

死にたい人を否定せずに、彼ら彼女らが生きることのできる方法を見つけたいです。

そうすることができれば、自分が「ふつう」になれる気がします。

贖罪にも、きっとなります。