ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00512_こだわり

こだわりが強い。

 

良く分からないことにこだわっている。そんな自覚がある。

 

そんなにこだわらなくてもいいのに、と思う。

 

自分が思っていることを言わず、場の流れに合わせることに照準を合わせすぎる、とか。

 

一方で、そこにこだわっているから手に出来ているものもある。

 

親しい人たちとのつながり、とか。




新型コロナに全く関係ないところで辛さを感じている。

何をどうあがいても報われない、解決しない、大きな壁を感じている。

考えること自体がもう負けだ。全てに否定的になる。

 

久しぶりにとってもネガティブな文章になっている。

今まで保っていたポジティブ、結局問題を先送りしていたから楽観していられただけにすぎない。

目を背けてきたことが、ついに逃げられなくなっただけだ。

何も不自然はない。



言いたいことが言えない。

問題の核心として、何度かこの言葉が過る。

言いたいことが言えない。

相手の言われることに洗脳されてしまうんだ。

相手と自分が思っていることが違っていても、「そうではなくて」と言えない。

伝えようとしても、伝わらない。たぶん伝え方が良くない。

「どっちかというと〇〇のような気がするんですが」とか弱気な表現とか不確か、不自然くらいの言い方しかしないから、伝わらないのかもしれない。

自分もよく考えたら、人がそういう表現してたら聞かないしな。

 

自分の不全感として「言いたいことが言えない」という表現で出てくるけれど、

自分が思ってるより、俺は自分のことを言っていて、周囲から見れば別に「他の人と同じくらいは意見言ってる」のかもしれない。

滑稽だ。

「自分の言うことだけ言い散らかして他人のいうことを聞こうともしない人間」そんな人間一番いやな相手だったはずだ。それに自分がなっていやしないかと不安になる。

そんな人間がどれだけ嫌われてきたか、本人がいない裏側でどれだけひどく言われているか。

そんな場面をうんざりするほど見てきた。

迷惑をかけるな。周囲の目からそういう思いを感じることもあれば、自分自身が周囲にそういう目を向けていたということもあると思う。後者の方が多いかもしれない。

 

対話って、結局できていないのではと感じ始めた。

一応うなずいて、相手のいうことを自分なりに解釈して言葉を変えて伝えて、自分の表現と相手の表現の違いの中で共通する部分を「合意」「同意」「正」として進めている。

どうもこれではだめらしい。このやり方だけでは辿り着けないところがあるらしい。

しんどいなぁ。極めてしんどい。じゃあどうすりゃあええねん、っちゅう話や。

「自分には理解しえない前提があるかもしれない」という前提に立って色々考えてみてるんだけど、結局どうすべきなのかもわからん。頭を過る案がいくつかあったところで、それらは可能性の一つに過ぎないし、取る選択肢としての決定打を持ちえないし、たいていは感情の波に流されて思い出すこともできない。その中に正解があったかもしれなくても。

 

「他人との対立を極端に避けるために、かえって他人の理解が浅い」という仮説について。

思いつく仮説はいつも妥当そうな雰囲気を醸し出している。

やっぱ人間こぶしを交えなきゃ、ケンカしなきゃ、言い合わなきゃ分かり合えねぇんだよ、何ていう考えも頭を過る。

親密になりたいゆえに対立を避けるが、対立を避けるために他人の理解が浅く、結果親密になれない。みたいな。

考えていて逆のような気がしてきて。対立を避けることの方が目的で、親密さをアピールしているのではないか。そんなの、結局理解を深められるはずなかろうな。

「深めたい」「深めたくない」の二択で言えば、「対立を避ける」が志向するのは「深めたくない」なんだよな。

結局自分が望んだとおりに、コミュニケーションを浅はかなままとしている。

自業自得。

自業自得。

自業自得。

 

自業自得みたいな思い、強いなぁ。

「現実らしさ」みたいなものを強く携えて自分を殴りに来るなと思う。

同じように現実らしさ持ってる表現に、「一見矛盾しているような表現」ってのがある。

「〇〇してるつもりが実は××だった」みたいなやつ。

ネット記事でもよく見る構文。

高校生のころ、英語の長文読解で「一般論と、それを否定する筆者の主張」なんて話をされていたことを思い出す。

 

愛してるつもりが愛ではなく、それが一番相手を虐待することだった。

 

みたいなやつさ。ポエムっぽい。ポエム脳。そうだね。そうだと思う。

こういう一文からさ、例えば「一見優しい言葉をかけているように見えるけれど、実はそれは本人を厳しい現実から隔離して、適応できなくさせている。本人の能力を奪うとか適応能力を奪う、要するに虐待なのだ」みたいな考えを読み取るとする。

こういう構文で言われると何となく真実性があるように思えてしまう。

結局さ、他のこともそうなんだけど「それらしい文法・構文」で言われていると信用しちゃうんだよな。エビデンスとかよりもさ。

どれが一番確からしいかを建設的に検討できない。くやしいなぁ。ああくやしい。

脳のキャパが足りんのか。いや、必要となるべき前提知識が多すぎて今の処理能力だと足りないだけに思える。必要な情報がインストールされていれば出来た処理かもしれない。そのインストールって、並々ならぬ時間がかかるもので、何十年単位の専門的な学びが必要なのかもしれないけど。

 

あぁ、そう。本来はすごく難しいはずのものをいとも簡単に「できそう」とか思ってしまうの本当にやめたいな。

誇大妄想なんだろうな。ありもしない全能感なんだろうな。

安直なんだよな。あぁしんどい。

 

安直だと自分を批判しつつ、なかなか行動に出ない自分も批判している。

思考は多動、行動は自閉。そんな感じか。

 

「この人のこういう所分かる」「この人は自分に似ている」みたいなのが誰に対しても湧きがちで、それはちょっと良くないレベルにまであると思う。

過剰に他人を自分と同一視しすぎている気がする。

簡単に他人を分かったつもりになるの、失礼だしやめた方がいいと思うんだよな。

自分で分かったつもりになってたら、誤解も多そうだし、そもそも話も深まらないだろうし。

 

結論だんだん出てきたんだけど、ちょっと電池が切れかかってきた。

ここまで書いてだいたい2500文字。

精神的に疲れた影響もあったので、「10000文字くらい呪詛を吐いてやるぞ」と思っていたけれど、蓋を開けてみたら4分の1くらいでガス欠だ。

2500文字、十分多いと思うけどね。

最初の10000文字っていう想定の方がおかしい気がする。

たいていやり始める前の想定がぶっ飛びすぎてることが多い。

 

だいたい40分で2600文字。分速650文字って所か。

加速したいなぁ。いや別にいいか。加速しても特に得るもんないかもな。

思ったことをグワッと書けるのにはあこがれもあるが、そもそも「グワッ」したくなるほどの感情を持たない方が幸せという気もしてくるな。

 

あぁ、夜が明けてきた。

言いたいことが言えない、という形で「言いたいこと」を話すのではなく「言いたいことが言えないということこと」を話してきたわけだけれど。

それでも少し落ち着くな。

形はどうあれ、エネルギーの行き場があることが必要なのかもしれない。

 

一心不乱に書きなぐって、最終的に具体的な誰かを批判する形ではなかったように記憶している。そういう形で書けたのは良かったと思う。「そんな甘い形しか書けないから世の中への理解も深まらないのだ」そんな声のリアリティは、今はそれほど大きくない。

 

結局、という風に雑な結論にしてしまうべきではないのだろうけど。

結局、気持ちが落ち着くことが大事なんだなぁ。

 

3000字にもなりましたし、ここまでにします。

ご清聴ありがとうございました。