ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00513_正しい表現

自分にとって正しい表現、文面で認識しないと正しく行動できないと思う話。

 

昨日Twitterにも書いたのだけれど、

「恐れなくてもよい」という表現では自分にとっては足りないと思う。

自分は未知のものを過剰に恐れてしまいやすい傾向にあると思う。

「恐れてはいけない」という、禁止くらいの表現。そのくらい尖らないといけないのではないかと思う。

このあたりの感覚は本当に人それぞれだと思うので、あくまでも私の場合だけど。

 

自分にとって、「恐がり」だとか「怖れすぎる」だとか、そういう傾向が強いせいで、色々なことを他の人よりも損している。そんな風に思うことがある。

怖いもの、何がどう怖いのか、あんまり具体的に文章化したことはない。

結構しんどい作業だと思うけど。

 

否定される、笑われる、嫌われる、見下される。そういうのに人一倍弱い気がする。

疲れを感じやすい。気持ちに大きい波がある。

なぜなのか。変えられないものなのか。

すぐには変えられないとして、じゃあ自分は一体何をすればいいのか。

 

「何をすればいいのか」と考えすぎるのが間違い、ということさえ頭を過る。

何をすればいいのか、という正解や答えにこだわりすぎるのがよくないのだ、と。

不正解に厳しすぎる、結果チャレンジしなくなり、不正解を出すときには大きなものになってしまう。

そんな風に思うと、たしかにそうかもしれないという思いも湧く。



愚かでいいのだろう 此処がそう楽園さ

さよなら 蒼き日々よ

angelaShangri-La』より)



このフレーズには幾度となく励まされている。

歌詞全体の流れを見ると、自分とは真逆の解釈のように思えるけれど。

(「元々賢くなるべく理想郷を求めたけれど、今は愚かででも居る場所に留まる」という解釈)

 

自分なりの解釈だと。

正解でなければ行動しないような自分。

たとえ間違いであったり、愚かであっても行動した方がいいのではないか、と思う。

そういう文脈で「愚かでいいのだろう」という言葉を噛みしめる。

 

おろかってなんだろな。大げさな。

やってみたいことをやるのに、そんなに身構えなきゃいけないものかね。