自分にとって正しい表現、文面で認識しないと正しく行動できないと思う話。
昨日Twitterにも書いたのだけれど、
「恐れなくてもよい」という表現では自分にとっては足りないと思う。
自分は未知のものを過剰に恐れてしまいやすい傾向にあると思う。
「恐れてはいけない」という、禁止くらいの表現。そのくらい尖らないといけないのではないかと思う。
このあたりの感覚は本当に人それぞれだと思うので、あくまでも私の場合だけど。
自分にとって、「恐がり」だとか「怖れすぎる」だとか、そういう傾向が強いせいで、色々なことを他の人よりも損している。そんな風に思うことがある。
怖いもの、何がどう怖いのか、あんまり具体的に文章化したことはない。
結構しんどい作業だと思うけど。
否定される、笑われる、嫌われる、見下される。そういうのに人一倍弱い気がする。
疲れを感じやすい。気持ちに大きい波がある。
なぜなのか。変えられないものなのか。
すぐには変えられないとして、じゃあ自分は一体何をすればいいのか。
「何をすればいいのか」と考えすぎるのが間違い、ということさえ頭を過る。
何をすればいいのか、という正解や答えにこだわりすぎるのがよくないのだ、と。
不正解に厳しすぎる、結果チャレンジしなくなり、不正解を出すときには大きなものになってしまう。
そんな風に思うと、たしかにそうかもしれないという思いも湧く。
愚かでいいのだろう 此処がそう楽園さ
さよなら 蒼き日々よ
(angela『Shangri-La』より)
このフレーズには幾度となく励まされている。
歌詞全体の流れを見ると、自分とは真逆の解釈のように思えるけれど。
(「元々賢くなるべく理想郷を求めたけれど、今は愚かででも居る場所に留まる」という解釈)
自分なりの解釈だと。
正解でなければ行動しないような自分。
たとえ間違いであったり、愚かであっても行動した方がいいのではないか、と思う。
そういう文脈で「愚かでいいのだろう」という言葉を噛みしめる。
おろかってなんだろな。大げさな。
やってみたいことをやるのに、そんなに身構えなきゃいけないものかね。