ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00526_マニュアルにしたがえ

マニュアルにしたがえ、という話。

 

毎朝の楽しみになっている、ドリップコーヒーを淹れる時間。

今までの習慣として「おいしいコーヒーをたくさん飲みたい」という気持ちがあり、お湯を4回とか5回とか、マグカップ一杯になるまで注いでおりました。

おいしいコーヒー、たくさん飲みたい。量とかそういう分かりやすいものをどんどん増やしてしまいがち。

そうやって注いでも、まぁコーヒーはおおむねおいしく「でももうちょっと濃い方が好きだなぁ」とか思ったりしながら飲んでいました。

 

それを今朝、何となく「指示通り3回まで注ぐので止めてみるか」と思い立ちました。

気まぐれです、別にたくさん注ぐのにこだわりがあるわけでもない。

いつものマグカップの半分くらいまでしかお湯は注がれませんでした。

 

しかし、思っていた以上に味が違う。

物足りなく感じていた味の濃さも、割と濃く感じ、どちらかと言えば「こっちのがおいしいな」と感じる出来になっておりました。

 

やっぱり指示通り、マニュアル通りやるのが一番良いのだ、という感想になりました。

 

コーヒーのみならず、いろんなところでマニュアルを読まない、あるいは読んでも勝手に逸脱する、ということをやってしまいがちです。私の悪い癖です。

しっかり勉強するタイプに見えるかもしれないけど、やってみないと学びとして身体に定着しないパターンの人間。なかなか難しいことをがんばって考えるのは苦手な人間です。

教科書を読みながら頭に入れるより、問題集を繰り返し説いて、リズム感で問題が解けるように身に着ける、と言うやり方をしている人間です。

 

勉強、全然できなくなったなぁ。大学受験のころの長時間勉強が嘘のように、今は読書にしてもワークにしても体力も意志も続かない。もちろん全てがあの頃のようにはいかない。周囲も勉強に向かっている環境で、良い講師に課金し、1年限りと分かっていたあの期間と比べるのはあまりにもナンセンスだ。まだ若かったし希望も大きかった。

 

マニュアルってのは先人の知恵であり、それが自分に合うとは限らないけれど、それを正しく吸収するというのは自分にとってもかなりパフォーマンスが良いことなんだと思う。料理本を読まなければ、品目に応じて火力を調節するという基本さえ自分では気づかなかったのだ。知の積み上げというのはそういうことで、他人の学びから自分の行動であったり考え方であったりを変えることだと考える。

 

なんて文章を書いている間に、コーヒーがだいぶ冷めてしまい、味が変わってしまった。ちょっと酸っぱすぎるかな。きっと飲み方にも作法があるんだろう。ゆっくり少なく淹れたコーヒーを、ゆっくり味わいながら温かいうちに飲み切る。そういうのが求められているのかもしれない。

 

パッケージのマニュアルに書いていないこういうこと、冷める前に飲み切る、みたいなことに気が付くことを、「コツをつかむ」と言うのだろうなと思う。前提すぎることであったり、細かすぎることは、説明から省かれることも多い。でも、意外とその前提を見落としたまま積み上げようとしても、それはうまくいかないどころか逆効果になってしまう、そんなこともよくある。なので「このマニュアルの言うとおりにして大丈夫か、なにか見落としはないか」「結局自分のやりたいようにやるのが一番ではないか」なんて思いにもなってしまうのだけれど。前提の見落としを怖れすぎて何もしないと言うのは自分にとっても損になると思う。やっていくうちに「あっ、これってこういうことが前提にあったのだな」と気づいて行くんだと思う。自分が人にものを伝える時には、できるだけこの「前提」を伝えるようにしたいと思う。冗長になりすぎてしまわないよう気をつけねば、だけどね。