ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00609_変化

今日も徒然に綴っていきたいけれど、とりあえずタイトルは「変化」とした。

いろいろなことを考えた挙句、最初にこれを書こうと思ったのは変化についてだったからだ。


歳をとったせいか、過去を「まとまり」として見ることができて、その期間が長くなってきているような気がする。

学生時代は本当に1日1日とか、一週間単位くらいでしか感覚できていなかったものが、最近は年単位で「最近」と思えたり、身近に感覚されたりする。

人生はつながっているのだ、と言うあまりにも当たり前の事実をようやく内実を持って感じ取ることができている、みたいな感じ。

そんな感覚の変化もあるし、人生のつながりの中で節目があって変わっていくことももちろんあると感じるわけで。

30代も半ばに差し掛かる人生で、それなりにいろいろな環境に身を置いてきたと思う。

あれだけしんどかった過去が綺麗に濾過され、美しい思い出になっていくことも多い。「もうあそこには戻りたくない」と強く感じてきたことさえ、今では「頭ではそう考えている」くらいの体感に変わってきている。実際に行ったらまた「もう二度と嫌だ」と心から思えることだろうけど。


嫌なことを忘れて都合がいい事だけを思い出として記憶に残せる、と言うのは実は結構幸せなことなのかもしれない。「あの頃は良かった」と今も回顧するそれぞれの時期にだって、相応に悩ましいことはあった。結局都合よく記憶され、都合よく生きていっているんだと思うし、それはきっと人生を楽にしてくれていると思う。


周りを見ていると、こういう体質は稀有なのかもしれないと思う。

イライラしたり怒っていたり不安だったり、と言う人は多く見える。場合によっては自分もそう見られているかもしれないけど。


今の環境が恵まれているから悩まなくて済むだけだ、と言うことももちろんある。自分の手で築いたと言うよりは、生まれついた場所や偶然流れ着いた場所として今があると思う。仕事も趣味も人間関係も。


そういえば「第二志望くらいに落ち着く方が人生楽しく生きられる」的なことを思っている節もある。高校時代に希望していた部活に入れなかった時、第一志望校に入学できなかった時、よく知らない業界に飛び込んで仕事を始めた時、そんな「思いもよらなかった」「思い通りにならなかった」と言うところから、想定外の幸福を享受した、そんな経験は結構多い。どのピースが欠けても今に至らなかったと思うし、そう思えるくらいには今が幸せなんだろうなと思う。

もちろん今後もいい時ばかりではないと思うが(現在進行形で十分色んな問題を抱えて泣きそうになっているけれど)、今後も幸せに生きていけるといいなぁ、と思う。