ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00525_ジムを退会した

昨年からジムで筋トレをしてきたのだけれど、コロナウイルスの時勢もあり、退会することにした。

3月くらいから行っておらず、通っていた期間は実質1年もないが、コロナが流行り始めるまでは週に一度は必ず行っていた。

自分としてはだいぶ頑張った方だと思う。

 

しかし、それで何かの成果が出たかと言うと難しい。

体重はそれほど減らず(0.8kgくらいは落ちた)、体脂肪率はちょっと増えてしまったありさまだ。

 

ジムに行くのを辞めるとして、これからは自宅でできる筋トレやエクササイズを習慣化していきたいところだなぁ。長く健康でいるためには、運動の習慣はしっかり付けておきたいところだし。

 

具体的に目標を立てて、そのためにどうするか計画して実行する、というのは結局一年たっても苦手なままだったなぁと思う。

とりあえずジムに行く、と言うのはできた。それも「週三日」「週二日」「週一」と徐々にペースダウンしていったのだけれど。

 

大きすぎる目標を立ててしまい、だんだん続かなくなる。

最初は少しずつ始めて達成感を得る方がいいんだと思う。

そういう物事に取り組みたいなぁ。

 

あとはストレッチか。

筋トレもそうだけど、身体を柔らかくして血の巡りとか良くしたい。

ずっと自粛で姿勢も悪くなってる気がするから、身体も整えたい。

やりたいことはいっぱいあるなぁ。

一気にやろうとしすぎないで、ちょっとずつがんばろ。

00524_本当にそれは悩むほどの問題か

悩まなくていいことで悩んでいないか。

本当にそれは悩むほどの問題か。

いや、大きな問題だけど、悩んでもしょうがないし、かえって悩むと状況が悪化するようなタイプの問題じゃないのか。

 

などなど考える。

 

10年後、しっかり健康でお金を稼げているか、とかさ。まぁ心配になるわけなんですけど。

そのために今できることって食生活整えたりとか適度な運動したりとか今やっている仕事を丁寧にやり続けるとかさ、そういうことしかないわけで。

何か他にやらなきゃいけないことないかな、という焦りみたいなの、あんまり意味ないと思うんですよね。

かえって不安を煽って判断ミスりそうな気がする。

怪しい健康食品買っちゃったりとかさ。そういうやつ。

 

なんかこう、やるべきことってだいたい地味で継続しなきゃならなかったりで、とにかく抵抗感の強いものが多いじゃないですか。

人それぞれ感じ方はあると思うんだけど、やるべきことってことは現状まだできてないこと、ってことで、それにはやっぱり理由がある、その理由が自身の中にある、抵抗感。みたいな、さ。

 

健康に生きたいけど目先の食事は味付けの濃いものを食べたくなってしまうんだよ。

運動は明日に先送りして今日はゲームしたりTwitterしたりしたくなってしまうんだよ。

 

なかなか思う通りには進まんなぁ。

まぁでもあんまり悩んでもしょうがないんやろなぁ。

何事においても未来はわからないということは分かっている。

ある程度今やりたいことをしっかり今のうちにやっておく、ということが大事なんだろうなぁ。

あんまり「未来のために」って考えすぎなくてもよいのかもしれんな。

未来のためって考えだすと、今を無限に毀損してしまいがちだし。たいてい長続きしないし。

継続のためには今が心地よいと言うことは欠かせないんだろうな。

心地よく生きていこう。

00523_10000記事

昨日、なんとなく思い付きで

 

「ブログ記事10000記事目指してみたい」

 

みたいなことをつぶやきました。

今が523。3年半でこれだから、1000記事に至るのに7年。

10000記事だと70年。

 

いやぁ遠いなぁ。

挫折した時のダメージが大きそうだから、そんなに言わないでおこう。

 

だいたい10000って、生きるだけでも27年とかかかるわけですよね。

人生の三分の一以上はかかるわけだ。たいへんだ。

口で言うだけだと簡単そうだけど、実際にやってみるのってしんどいはずなんだよなぁ。

 

思いつきさえすれば、言葉にするというのは現実を軽々飛び越えてしまうくらい簡単。

現実的に考える、と言うのは長期的なものになればなるほど難しい。

自分に継続力があまりないとか、そういうことも加味して考えねばならない。

 

妄想して、暴走して、思い知って、忘れる。

そんなサイクル。

何度繰り返しても忘れてしまう。

繰り返す中で覚えていることも忘れるくらい染みついたことだけが残るんだとも思う。

たぶん色々なことが身についてはいるのだ。良いことも悪いことも。

 

あんまり遠くを見つめすぎないで、とりあえず今日をがんばろう。

00522_財産

しばらく間が空いたので、何か書きたいと思う。書かなきゃと思った、とも言える。

別に仕事でもないんだけれど、「1週間以上間を開けたくない」みたいな思いがあります。


仕事の振り返りを毎日つけるようにしたいと思っているのですが、なかなかやり始めることができない。そう言う考えもすぐ他のことに飲まれてしまう。最初の一歩が踏み出せない。難しいなぁ。


毎日仕事をした後振り返りをすることで、力がついてくると教わりました。

自分だけの財産になる、とも。

そうだね、確かにそうだろう。

他の人に奪われない財産だ。人生の証とも言えるかもしれない。

日記か。要するに日記だな。

仕事のことだけを書くと言うより、その日の出来事を全般的に書くような。

そう言うのをやりたいかなぁ。

ブログも定期的に書いてるけど、やっぱりオンラインだから具体的なことは書けないしさ。こっちはこっちで良さがあって、何より人に見られることでモチベーションが続く。コミュニケーションのきっかけになることもある。それはそれで替え難いし、現時点で既に財産なのだと思う。


そういえば、昨日でヤマカワのTwitterアカウントが5周年になりました。今日は六年目の初日ですね。

早いものです。色々ありました。色々。

これからも色々あるのかもしれないな。


元々、自分で考えたり学んだりしたことを積み上げていきたい、と言う思いでラボラトリなんて名前にしたことを思い出した。財産を築いていくんだなぁと。それは経済的な価値を持つものではないけれど、自分にとって財産になるものなんだと思う。何かと今の自分を否定しがちな言葉が浮かんでくるけれど、今の自分だから親しくしてくれている人もいるのだ。必ずしも責め続ける必要はない。

00521_余裕を作る方針で

体力、財力、思考力。

まずは余裕を作る方針で行こうと思います。

 

新しいことを詰め込もうとするとき、実は持てるだけの余裕がないのに「やろう」と動き始めてしまったりする。やりたいことが多すぎるのにさらに増やして、結局できずじまいになるとか。

 

おそらく人より多めに余裕を取らないと、精神的にやられやすい人間だと思う。

部屋を散らかしがちだから、できるだけ持つものを減らして快適にしたいとかそういう感じ。

 

まずは余裕を作る。

本を買うのは本棚に空きができてから、みたいな。

予定を入れるのは暇ができてから。

 

暇、っていう概念は結構大事だと思っている。

新しいこと、最初の熱意でしばらくは続くんだけど、それに相応する時間と体力の余裕(=暇)が足りないとどんどん尻つぼみになる。



通勤を含めると11時間くらい働き

8時間眠り

準備と片づけを含めた食事に1時間30分

風呂に30分



とすると、そもそもの余裕が3時間くらいしかない。

その3時間も、体力がなければ虚無的に過ぎておわりだ。

 

3時間続けて何かに取り組める集中力はない。

そもそも朝とか帰宅後とか、細切れの時間になるだろうし。

 

それでも、時間はまだ可視化しやすいものだと思う。

体力とかメンタルとかさ、全然可視化しにくいじゃないですか。

やはりツールを使って記録するのがいいのかなぁ。

00520_正しくないことを思う

正しくないことを思うこと。それ自体は悪くないと思う。

思うことって、なかなかコントロール不能だしね。それを正すのが言わゆる認知の修正なのかもしれないけど。

 

思ったことを正しくないと知りながらあえて言う、それはどうだろう。

「思う」と「言う」の間には大きな違いがある。

思っているだけなら許されることも、言うと許されなかったりね。

まぁ「他人に許されないことを言ってはいけないのか」というのは改めて考える必要があると思う。



言うのであれば、責任が生じる。

しかし、言わないこともまた、責任を発生させることもある。

 

言って発生する責任は「それは違う!」と責められる可能性を負うということ。それについて質問されたときに答えること。間違っていると思ったら謝ること。

 

言わずに発生する責任は、ちょっと考えにくいけれど。

後から「どうして言わなかった」と責められる可能性もある。リアルタイムでも「どうして同意しないの、あなたは反対なの」という意見や視線への対処もあるだろう。



思っていることを言うことで得るもの、失うもの。

思っていることを言わないことで得るもの、失うもの。

 

得ているつもりでも、実は失っていたり。

自覚がないだけで、実は大変なものを失っていたり。

いや、実は失っているのではなく、自由になっているのかもしれなかったり。

 

何がどう人生に対して良く、悪く、作用するかなんて終わってみなけりゃわからない。

そんなこと気にする方がナンセンスという気もしてくる。

結局は、目の前の一日をよりよく生きるよう生きていくだけだと思う。

日々が判断の連続であるという所から逃げないでいたい。

あるいは、「逃げる」という選択も主体的に取ったものであるのだと自覚しておきたい。

00519_アドバイスと聞き流しについての考察

相談するのが苦手である。

 

苦手な理由の一つとしてぼんやり思い浮かぶのが

 

「相談してアドバイスされたら実践しなきゃならないのがめんどう」

 

ということがあった。

 

「ちょっと〇〇で困ってて」と言うと、「××したらいいんじゃない?」と言われるような、あれ。

 

この時提示される方法が、自分が気づいておらず本当に新たな知見で、かつ実践可能に思えることだった場合、それは採用されるかもしれない。これだけ好条件でも採用されないかもしれないのは、やはり時間を置くと実行がめんどくさくなってしまうからで。

 

で、それ以外。自分でもある程度思い浮かんでいることをアドバイスされた場合。

自分でも思い浮かんでいることだが、実施していない。

実施していないのは「めんどくさい」を中心とした、何らかの理由があるから。

もちろん相談に乗ってくれて、アドバイスまでしてくれる相手にそこまでは言えないのだが。

ありがとう、と言いつつ、そこまではできないよなぁ、という思いになることも多い。

 

相手のアドバイスを聞ききれない理由の一つに、「相談が十分にできていない感」がある。

 

自分の状況を相手に十分に伝えきれていない、

ゆえに相手はこちらの状況を十分に理解しないまま結論を出している、

なので、相手のアドバイスは状況に対してちぐはぐになっている。

 

みたいな思い込み。これは相手が悪いんじゃなくて、自分の相談、伝え方がよくないという話であって、相手を責める意味合いはない。

 

なのでまぁ、必然的にアドバイスを聞き流してしまうことが多くある。

今までもたくさんの有益なアドバイスを聞き流してしまったことだろうと反省する。

 

今までの自分の立論には欠けている視点がいくつかある。

 

・自分もまた、相手のアドバイスを十分に理解できていない。

・自分の、状況に対する主観的が、必ずしも正しいわけではない。

・「そこまでできない」と思うならその旨まで話してこその悩み相談。

 

などなど。

そもそも自分の主観が正しいのかという判断は自分自身ではつけられないものだ。

鏡なしに姿が見えないのと一緒。視野には必ず盲点がある。

それを正すためという意味でも、やはり他人の意見を聞くことは大事なのだ。

 

そしてまた、相手のアドバイスを100%実行しなければならない、というわけでもないのだろう。

そこまでやっていたら疲れてしまうし、相手もそこまで求めるわけでもないと思うし。

自分なりにやりやすい形でアレンジしたっていいと思うのだ。

他人がどう言おうと、最終的な判断・行動をしてその結果を引き受ける、責任を取るのは自分なのでね。

 

最近、人に相談した時も、同様にアドバイスをいただいて、ふんふんと聞きつつも「できるかなぁ」と内心思っていたことがあった。

実際にやってみると、多少自分なりにアレンジを加えてはみたものの、相手のアドバイス通りに問題を解決することができた。

そんな件を踏まえても、自分の視野はやはり狭いなということを思うし、他人の意見には耳を貸す方がいいと思うし、かと言って他人の意見に「頭を預ける」ほどのことをせず自分で考えて結論・行動を出すべきだなぁと思うのです。

 

自分一人でできることや見えることは限られているので、もっと色んな人を頼っていきたいなぁと思うのでした。