ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00539_したいことではなく必要なことを

したいことではなく必要なことをしなければ、と言う話。

大人として責任感を持っていくためには、ある程度必要なことをしなければなぁと思う。

また、いくら必要と言われていても自分にできることでなくては意味がなく。

世間から必要とされていることで、自分にもできることをやっていく。

 

自分がやりたいことって結構すぐ移り変わってしまうし、壁にぶつかってすぐ投げ出しがちだし。

頭でわかっただけのやるべきことをしっかりこなせるようになりたい。

先送りせずに。疲れていても。

 

できる限り疲れないように整えるのもまた仕事。

そうだねぇ、そうだなぁ。

どうしたらしっかりやるべきことをやれるのか。

具体的にしていかんとなぁ。

 

00538_好きなものか正しいものか

これが好きだからこれをやりたい、ということと、これが正しいからこれをやるべき、ということは必ずしも重ならない。

また、好きや正しいの判断も、結局人によって異なる。

 

「正しい」範囲内で「好き」なことをやればいいのかな、と結論付けようとしたが、「好き」より「正しい」を優先しようとしているところも、私の器の小ささなのかなと感じた。

 

私の思う「正しい」って、すごくステレオタイプで狭隘だという感じがする。

こんなに縛られなくたっていいじゃないか、とも思える。

もっと自由でもいいのかな。

 

「もっと自由になれよ!」と言ってきた人に

「じゃあ〇〇したいと思う!」と返事をしたら

「いやそれはやめとけよ」って突っ込まれる。

 

そんなことがとてもリアルに思い浮かぶ。

 

自分のやりたいことが支離滅裂なんだろうな、ということは思う。

やりたいのであれば現実的になるようにすべきなんだよな。

試してみるとか経験者に話を聞くとか本を読むとか相談するとかいろいろ。

 

妄想を妄想だけで腐らせているから結局実現しない。

自分から動く怖さを乗り越えられていない。

もっと動いていいんだと思う。

 

きっと、動きたいんだろうな。色々ポジティブネガティブ入り混じるけれど。

 

00537_エモーショナルな日常

日常をエモーショナルに表現することに興味を持ち始めた。

持ち始めた、と言いつつ、実は前からやってたこともそれなのかもしれないと思った。

 

創作はほとんどできなかったけど、エッセイ的なものだったら書けそうだと思うし。

登場人物が会話するだけの話だったら書けそうだったりするし。

 

どんな手法であれ、表現できるのはありがたいことだし、受け容れてもらえることもありがたいこと。

凄い人たちと比べようとしてはいけない。自分のやれることをやること。

自分に言えること、作れるものなど限られているのだ。

限られた中でどれだけ磨けるか、似合うところに置けるか、そういう事だと思う。

 

よりよい日常を送ろうと思うと、まず手を付けたいのが部屋の片づけだなと思う。

色々転がっているものにしまう場所を作って、居心地を上げたい。

 

00536_精神的に安定

最近、というかもう少し古くなってしまったかもしれないけれど。

「精神的に安定している人をパートナーにすべき」

というような話題がTwitterでよく取り上げられたようでした。

 

そうだそうだ! という意見もあれば、

ずっと安定しているとは限らない、という意見もあり、考え方は様々だなと思います。

 

どちらの考え方の人も、「それらしく」話すのが上手で、つい「へぇそうなのか」と聞いてしまいそうになります。

自分の考えはどうなの? と聞かれたら「うぅん、難しいねぇ」となります。

 

まぁ、パートナー選びと言う大きなことについて、「精神的に安定」という漠然とした要素一つでは語り切れないというのも確かなんだろうなぁ。安定ってどうしていたら安定なのかも分からないしなぁ。

 

パートナー選びという話題とは少し離れてしまうかもしれないけれど、自分はできるだけ「精神的に安定すること」に重きを置いて行動してきたつもりです。かつて精神をハチャメチャにしてしまった自分、もう同じことはしないように。穏やかに穏やかに過ごそう。そんな風に考えて生きています。

 

しかし、悩むことは当然あって、精神的に安定しているかどうかと言うとまだまだ道半ば、とも思います。

そして今回のような話題が出てくると「精神的に安定させようとする自分の方針は果たして正しいか」という疑念も湧いてくるのです。

 

精神的な安定、なんて幻想だ。実現しないものだ。という意見。

精神的に安定しているように見える、というのはただ我慢しているだけだ。そういう人は本当に助けを求めるのが必要になっても声をあげられない。という意見。

 

そう言われてみるとそんな気もしてくる。自分の目指したものは何だったのだろうとセンチメンタルになる。

 

しかし、しかしだ。

仮に「精神的な安定」が幻想だとしても、それは必ずしも「精神的に不安定」な生き方を積極的に肯定するものにはならないんじゃないか。落差の大きい生き方は、単純にしんどい。年寄り臭い考えかもしれないけれども、日々を穏やかに過ごせたらそれが幸せだと思う。



もちろん、かと言って「マイルドな不幸感で安定している」という状況もやっぱりしんどいんだよな。双極性障害についての話題も最近出ていたけれど、多幸感、万能感を抑えつけた精神疾患というのはかなり辛く、そういった枷を自分にはめ続けて生きていくということは非常にしんどい。通院・服薬はもちろん必要なことではあるけれど、現状が完璧な正解かというとそうでもなくて、もっとQOLを上げる取り組みがあってもいいとは思う。

 

周りの人たちが普通にしていることができない自分とか、社会的な責任を果たせていない自分とか、自分を責めてくる声とか、そういうものとの折り合いをどうつけていくのか、自分の人生をどう位置づけていくのか。そういうのはずっと追い掛けるテーマになるんだろうなと思う。

00535_noteを初めて書いた

昨日、初めてノートに記事を投稿した。

 

note.com

 

「ゆたかさってなんだろう」のコンテストにはぜひ参加したいと思っていて、色んな文章の運び方を考えていました。創作っぽくキャラクターたちが話し合う、みたいな展開とか、「ためらいなくエアコンをつけられるのが豊かさだ」って具体的な話をしていく展開とか。

どれも結局、イメージするだけで文章としてまとめられなかった。発表した文章もまとまっていたかというと微妙なのだけれど、まぁともかく表に出すところまでいけたのでそれはもう十分な成果。

 

もうずっとnoteに記事を投稿してみたい、と思っていて、今検索してみたら一昨年の10月にはnoteを書きたい旨ブログ記事書いてました。1年8カ月もかかったのか、ここまでくるまで。そういうの、けっこうある。

 

やってみたいことを「やってみたいなぁ」で終わらせがち、先送りしがち。

本当にたくさんのことが、チャレンジできずに放置されている。

 

noteだって、本当は有料の記事を書いてたくさんの人に読んでもらう、みたいなことができるようになりたいとか。そんなあこがれがある。

 

しかし自分としては、遠いあこがればかり思い浮かべて結局足元のできること、最初の一歩を踏み出せないことが非常に多い。そちらの方が問題だ。

いわゆるバズるような記事を最初から狙って書くとか、それはだいぶ厳しい。目標ばかり高くして結局踏み出せず、必要な経験が積みあがらないというのはこれまで幾度も経験している。

 

不出来であっても、最初の一歩を踏み出せたことは大きいのだ。

いや、むしろ「不出来さを許して経験を取りに行くことができた」という自分をほめるべきなのかもしれない。

等身大の一歩を踏み出す、ということは妄想癖のある人間にはなかなか難しいことなのだ。

あせらず進めていけばよい。

00534_フィクション

この文章はフィクションです。

そう銘打っておけば話しやすいかもしれない。

友だちが悩んでてさ、みたいなやつ。

 

リアルか、フィクションか。

そういう違いが意外と大きな作用になるんじゃないかなと思う。

 

本当か、ウソか。

「これは嘘だよ」という線を引いておけば、言いやすくなることが増えるんじゃないか。

思っていることを言う上でのノイズを消せる。そんな気がする。

 

なので、フィクションと断りを入れた文章を書くのも良いかもしれないと思った。

小説なんて言うほどしっかりとしたものにはならないと思うけど。

こんなシチュエーションの人が、こんな人間関係の中で、こんなことを言った。

そういう形の方がうまく書けることがあるかもしれない。

00533_ドラッグとしての妄想

現状打破についての妄想があるときというのは、現状が良くないときに現れると思う。

打破しなきゃいけない現状だからこそ、現実的な案では突破できなそうだからこそ、妄想が思い浮かぶ。

今からならまだやり直せるから、新しいことにチャレンジしてみよう、とか。

本当に数えきれないくらい、そういう案が思い浮かぶ。

それは無責任な誘惑で、ほとんどドラッグだと思う。

ありもしない幸せな未来を思い浮かべて幸福感を得る、現実逃避。

 

逃避している間に向き合うべき現実はどんどん経過してしまう。

妄想で麻痺していた苦悩も、現実に直面化すればすぐによみがえる。

 

ましてや自分は統合失調症などという診断を受けている身。

手放しの妄想は制御しなきゃいけないと思う。

 

妄想の制御には、変えないことを決めてしまうのが一番いいと思っている。

もうこれをすることに決めたんだから、変えない。変えたいと思ってもそれは妄想だ。

そうやって、ある程度は断ち切ることもできる。

 

しかし考えが変わると「そうやって断ち切ることこそ現実逃避、現状維持のリスクに気づいていない、時間を浪費している」などという責めになることもある。

 

考えが変わりやすいことについては、心理検査でも指摘されている。

秩序を持たないとなぁ。