ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00560_妄想に頼らなくても

妄想に頼らなくても幸せである、という状態を目指していきたいと思う。


いずれ大物になるとか、そういう途方もない妄想で現在の痛みを鎮めてなんとかやり過ごす。

そういうことをずっとやってきたと思う。


実現可能性の低い、夢とも呼べないような妄想が、なぜか実現する前提で「今は下積み」なんて考えたりする。

今が苦しいからそう思うのかな、と考えている。

苦しければ苦しいほど、途方もない妄想で救われる物語を信じてしまいがち。


最近は、それほど非現実なことを考えずに済んでいると思う。

ブログ更新が減ってきたのも、そのせいかもしれない。


文章を書いて注目を得て、というようなモチベーションがそんなになくなってきた。

生活を改善してきているからかな、とも思う。


とはいえまだまだ。

気をつけていかなきゃとは思う。

00559_現実はわかりにくい

現実はわかりにくいなぁと思う。

物語のように一面が切り取られていれば判断もしやすいと思う。

クライマックス前に盛り上がる音楽が鳴ったりとかさ。

そういうのがあればちょっとは自分の振る舞いも変わったりするんじゃないか、なんて思ったりする。


何気ない日々の中に生活を一変させるような出来事の種が埋まっているとか。

そういうものなんだろうな思う。


自分が認識していることが果たして本当なのか、それもよくわからない。思い込みも激しい性格だ。

些細なことにビビりすぎたかと思えば、大きなことをやらかしてもその重みが感じられなかったりする。

はぁ難しいなぁ。厳しい。つらい。それでもやっていかねばなぁ。

00558_能力についての例え方

あれは多分何かのソシャゲだったと思うんだけど、キャラクターの能力を上げていくやり方が印象的だった。

レベルが上がるごとに能力が漸増するんじゃなくて、地図とかすごろくみたいになっているマップの上を歩いていくと能力が上がるやつ。どの方向に歩いていくかで能力の身につき方、身につく順番が変わる。


これがとっても人生に似てるよなぁ、という話。

年齢が上がるだけで上がるスキルってあんまりなくて、意図的にこの道を歩く、ってした方がスキルが上がるように思うんだ。偶然拾うようなスキルがあるところも似ているかも知れない。ある年齢なら全員が履修している、なんてものは実はほとんどない気がする。


だから、人によって身につくのが後になる能力だってあると思うし。

遠回りをした人はその分別のスキルが身についているんじゃないかと思うし。

習得までに身につけたものによって厚みが出たりとかさ、応用の幅が広がったりとかさ、そういうのありそうじゃないですか。


併せて、スキルの積み方って大事なんじゃないかと思うことも多い。

単独で活きるスキルって多分ほとんどなくて、いかに組み合わせるかによってアウトプットが変わってくると思うんだ。

あるスキルはすごく高いけれどそれを活かすには周辺にあるいくつかのスキルが必要で、それがインストールされてないとか。そういう状況はありそうだと思う。

どんなふうにスキルのすごろくを歩いていくのか、ちゃんと考えていかねばなぁ。全部のマスを回るのは難しそうだから、どうしたら自分が一番幸せになれるか考えてみたい。

00557_朝

最近はほとんど24時間エアコンをかけている。

夜寝る時から朝起きる時にかけても。

最初は「喉痛めたりしないかな」と不安だったけれど、枕元に水筒を置くようにしたらそんなに問題なかった。

 

何にしても暑い。

最近はカーテンもずっと閉めることにしている。

日光が差し込まないだけで体感温度はだいぶ違う。

なので、洗濯物を干そうとカーテンを開いたら前日の洗濯物を取り込み忘れていたことに気づく、なんてこともよくある。

少なくとも二日連続ではやっている。三日目がないように心掛けたい。

 

しかし、である。カーテンを開いて窓から入ってくる空気。そのすがすがしさ。

朝6時30分頃。気温もまだそんなに高くはない。

すがすがしい。心地よい。素直に良いなと思った。

 

こういうノーコストで楽しめること、すごくいいなぁと思う。

せっかくなのでエアコンさんに少し休憩を取っていただき、窓を開けることにした。

 

食後にコーヒーを淹れる。

いつものドリップコーヒーを淹れるのがちょっと面倒だったので、スティックタイプのインスタントで済ませる。

ルーチンになってる贅沢な時間を削るのはちょっと抵抗もあったけれど、こんな風に「気分に応じて選べる」ということは大切なことだし、好きなほうでいいんだと思う。

インスタントでも十分おいしいしね。

 

そしてブログを書く。

最近あまり書けていなかったので今日くらいは、と。

書きながら今日やりたいことを考える。

撮りためたドラマを見て作曲の続きをしてゲームもしたいな。

色々な事がまだ寝ぼけている頭を通り過ぎていく。

 

今日もいい日になるといいなぁ。

00556_くれ

KURE5-56ってありますよね。それ連想しただけのタイトルです。

さび落としだったか。実家にいたころ自転車のさび落としで使った記憶がある。

 

くれくれ言ってないで自分から取りに行くことが必要だよね、というお説教みたいなことを思い浮かべたりもしましたが、自分が欲しいものを正確に思い浮かべるって難しいことだなとも思うのです。

 

お腹がすいて困っている人が、食べ物を買うためのお金が欲しいとして。

「お金をくれ」という発言につながる。

そこでお金を渡してみたら、食べ物買う前に他のものを買ってしまいお金が無くなってしまい、結局当初の「空腹」という困りごとが解決しない、みたいな。

そうしたらまずこの人は「食べ物をくれ」と要求すべきだったのかもしれない。

 

こういうこと、生活の中ではよく起こる気がする。

 

寂しさを埋めるための恋人。

「恋人がほしい」と言う理由は「寂しさを埋めたいから」。だとしたら、解決は「恋人」でなくても良いかもしれない。

 

肩書として必要な就職。

「働きたい」という理由が「周囲に認めてもらいたいから」。だとしたら、ただ就職しただけでは解決しないかもしれない。



根っこにあるニーズは何で、その解決の手段としてはどれが正しいのか。

結構生々しくて、不純で、情けない感情と向き合わなければならない作業だと思う。

 

それをやっていくのが、問題解決なんだろうなと思う。



そういえば、一手で何でも解決しようとしすぎるの良くないのかも、とも最近思う。

パートナーに妻も嫁も母も求めるみたいなやつ、さ。

通話も決済も撮影もスマホならできるけどさ、特に人間に過大な役割持たせようとしすぎるのやめた方がいいよね。

「何かあったらこの人に頼る」は、「この人」の負担が大きくなってしまうし、その人を失ったときの自分のダメージも大きくなるじゃん。

そしたら「何かあったら」を細分化して、「家族とのいざこざで何かあったらこの人」「職場でのあれこれを相談するのはこの人」みたいにして行った方がいいと思う。

依存先を増やす、というのはまさにこれだよな。

あと、頼る関係はしっかりと手入れをする。これを怠ったらあかんな。

人の間で生きていくのは簡単なことではない。でもそれをやらねばな。

00555_ゴーゴーゴー!

555ですね。ゴーゴーゴーです。

ただそれだけの話です。うん、今日はそれだけの話しかしないようにしよう。変に抽象化したりとか悟った感じのこと言わないようにしよう。無理だな、絶対言うなぁ。

 

そういえば昔、「力の限りゴーゴゴー」っていうテレビ番組がやってました。

面白かったです。今でもたまにやっている「ハモネプ」のスタートになったのはこの番組なんですよね。

ちょっとしたアカペラブームにもなっていました。懐かしいなぁ。

ボイパとか練習したなぁ。割と楽しかった。

 

面白そうな流行りものに全力でベットして先行者利益を取る、と言うのは私の人生の中で何度か成功してきたものでもありました。次流行りそうなものには早めに手を付ける。

 

協調性は実はそんなになくて、自分勝手に好きなことをしている方が生産性は高かったりもする。

集中力を強く発揮できるときって、だいたい「おもしろそう!」ってギアがスピード上げてる時だもんな。このモードに入れないと突き抜けるのは難しい。まぁ、通常運転の質を高めるのももちろん必要なんだけど。

 

器用貧乏的な性質、ある程度まで伸びるのは早いけど、そこから先にはなかなか突き抜けられない、という自分の性質を考えると、「とにかく色んなものに手を出して幅を持たせ、親和性のある色んな領域を作る」というのが最適戦略のように思う。

 

良くも悪くも中途半端なんだと思う。職人になるには執念が足りない。美学が足りない。

その執念のなさや美学の薄さはきっと、対人衝突の可能性を減らす可能性を高める。

 

職人ではないが、対人折衝の専門性は磨いていきたい。

仕事にも通じることだしね。

00554_素直になる練習

もっと思ったことをストレートに言うべきなのかもしれない、と感じる出来事があった。

率直に伝えなかったからうまくいかなかった、問題になっている。

そう感じることがあった。


周りくどくないと言うことは価値だし。

わかりやすいと言うのは価値。


誤解を恐れすぎる、嫌われることを恐れすぎる。

そんな感じだろうか。


健全にコミュニケーションをとることができていれば必然的に生じるはずの衝突がない。

それはつまり健全なコミュニケーションでなく、抑圧されたそれである。


衝突を恐れない。

うまくぶつかるためには、下手なぶつかりを何度もやって練習しないと出来るようにならない。


好きなものを好きと言う。

いやなものを嫌という。

そう言うシンプルさを取り戻したい。