ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00567_ひとだんらく

先月くらいからもろもろ重なっていたものがようやくひと段落しそうです。

がんばったなぁ。いや、本当にがんばったんですよ。

「がんばった」って言葉だけでどの程度伝えられるか分からないんですが間違いなく人生屈指のがんばりだよ。おめでとう、ありがとう、まだおわってねぇよ、はい、すみません……



忙しいしきついし方々にご迷惑をおかけするなどもしているんだけど、おかげで何とか乗り越えられたというか、自分としても一回り成長できたのではないかと思うところであります。

 

まぁ、言っても月末ですし。

来月からだってやらなければならないことが山積みだし。

でも、このくらい忙しい方があまり悩まなくて済む、という部分もあるな。

『道は開ける』という本にも、悩まないためには忙しくしろ、という記載があったりして、あながち嘘ではないとも思う。

もちろんそんなことしたらつぶれてしまう状況の人だってたくさんいるから、何とも言えないけどね。

 

良い流れができてきているので、それにうまく乗り続けていたいなと思う。

まぁまた止まることもあるとは思うんだけど、できるだけ軽症で済ませたい。

 

流れに乗っかり続ける方が、止まって悩んでいるより楽なんだよな、と割と思う。

色んなプレッシャーはあれど、自分を責める辛さの方が圧倒的につらい。

 

できるだけ心地よく生きていきたいなぁと思う。

最近天気が良くてうれしい。ありがたいなぁ。今日もがんばろ。

00566_話を聞いて

「話を聞いてもらいたい」と言うのは、実はその他にも色んな前提を含んでいるのではないかと思う。

 

話を聞いて、同意してもらいたい。

話を聞いても、否定しないでもらいたい。

話を聞いて、同情してもらいたい。

話を聞いて、解決策を教えてほしい。

話を聞いてもらって、自分の中で整理したい。

話を聞いてもらって、とりあえず気持ちを落ち着けたい。

話を聞いてもらって、状況を知っている人を増やしたい。

 

色々な目的があるんではないかと思う。

 

例えば、「話しても考えを否定されるばかり」となれば、なかなか相談しには行きにくい。

「話しても何も解決しない」となっても、やはり相談しには行きにくくなる。

相談をためらう要因は、色んな所に含まれている。

それこそ、「相談したらカッコ悪い」みたいな思い込みもあるかもしれない。



「そんなに悩むなら早く相談してくれればよかったのに」と思うこともあるかもしれない。

そんな状況だったのに、なぜ相談しなかったのだろう。

 

自分の悩みがあったとして、誰かが解決してくれるまで待つと言うのは受動的だし。

解決したければ自分が動けばいいと思う。

ではなぜ、自分から動かないのか。

なにがしかの理由を挙げたとして、そういう理由故に動かないという判断をしたなら、結果を引き受けるのは自分自身だよな。そこまで考えた上での判断なんだよな。

 

周囲には気を利かせて解決する責任はない。結局最後は自分で向き合うしかない。

自分で向き合えないのはなぜだろう。

 

こういうとき、すぐに「怖さ」を連想してしまう。あるいは「面倒くささ」

失敗の怖さ、自分で動くための気力のなさ。

どうしたらこの辺り克服できるのかな。

意欲の回復、主体性の回復。

難しいね。

00565_目立ちたがり

子供の頃から、わりと目立ちたがりだったと思う。

生まれながらにして承認欲求が強かったんだろうなと。

それは今もそう。

こんなふうに文章を書いたり、諸々作ったりしているのは、見てもらいたいし褒めてもらいたいから、というのが大きい。


悪目立ちして叩かれることも少なくはなかった。

いろんな人に迷惑をかけたり、心配させたりなんてこともある。


人の目とか気にせずに、好きなことを好きなようにできるようになりたいものです。

00564_えいやーっ

あまりにも暇だと何もできないという現象。

ある程度忙しい方が色んな事がこなせるという現象。

 

どんなに時間があっても先延ばしてしまうこと。

忙しければ忙しさを理由に先延ばしてしまうこと。

 

どちらもあるなぁ。

 

自由と強制はある程度バランスがとれてなければいかんのだと思う。

結構すぐキャパオーバーするし。

かと言ってちょっとでも余裕があるとサボったりつけあがったりしがちだし。

 

あまりにもキャパオーバーが続くとへたってしまうので。

やはり余裕を手放さない生活を中心にやっていくべきだと思うんだよな。

やりたいことはたくさんあるけど、全部に手を出すとガス欠になったり中途半端になったりしそう。

 

ある程度スケジューリングは必要だし、ある程度嫌なこともエイヤーっとやっちゃうことも必要で。

取り敢えずえいやーっをがんばってやろう。自由をやるために勢い付けよう。

00563_4年

ヤマカワラボラトリを始めて、4年が経ちました。

今までお読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。

 

あっという間に過ぎてしまったような、それでも一日一日は内容の詰まっていた、そんな4年間だったように思います。

公私ともに本当に色々ありました。

 

最近はちょっと更新がおろそかですが、おおむね元気に生きています。

時々メンをヘラってしまい、生きづらくなってしまうこともありますが、おおむね機嫌よく過ごすことができております。

これも支えて頂いている皆様のおかげです。

 

5年目に入って何かやりたいことがあるかというとそうでもなくて。

大きな目標に向かう、というよりは日々穏やかに機嫌よく過ごしていきたいなと思っております。

それで問題を先延ばしにして大きくなりすぎる、ということには気を付けなければいけないけれども。

 

4年間、560とかいう数の記事を書いてきて、ほとんど内容は覚えてないんですけど、いくつかそこそこ心に残っている記事もあって。そういう風にして今後もインターネットポエムを流していくんだろうと思います。

00562_一貫

いつも飲んでいたちょっといいドリップコーヒーに、少し飽きてしまったようだ。

前までは「いい香りだな」と、袋を開ける時にも少しわくわくしたものだが、最近では無感動になっているし、「あの感動がなくなってしまったのか」と少し寂しくもなってしまう。

なので今朝はインスタントのやつにした。これだって別に悪いわけじゃない。

 

慣れて飽きる、ということは色々なことに起きる。

年始に立てた目標を忘れてしまうのとも似ているかもしれない。

壁に張った夢がただのオブジェと化してしまうようなものでもあると思う。

 

同じ感情をキープするということはなかなか成しえない。

それが大きなものであればあるほど難しい。

ある程度思い続けていれば慣性の法則的に思い続けられるものでもあるとは思うけど。

それでもまぁ考え感覚は変わるもの、と言う方がしっくりくる。

 

自分自身もまたどんどん変わっていく存在だし。

周りの人々もまた変わっていく存在だし。

変わらないことそれ自体を以て良いことと言えるわけでもない。

適切に変わっていくことの方がむしろ正しかろう。

 

しかし、一貫性や安定感を求められるのも事実。

自分が人に求めてしまいがちなのも事実。

ずっと変わらないもの、何だろうなぁ。

 

最近自分はアクティブになれていると思う。

成長したね、なんて言われることも増えた。

 

そういえば、大学に入った後高校時代の友人と遊んだ時、

「なんかよくなったね」

と言われることもあった。嬉しい思い出の一つだ。

 

まぁ、人に「なんか最近悪くなったね」という人もそうそういないとも思う。

自分自身、悪かった時期だって十分にあったが。

それを見て「お前最近駄目だな」とか言われることはなかった。

 

割と波のある人生を歩んできているので、どの場面で出会ったかによって私の印象は結構違うのではないかと思う。

あぁ、でも真面目さとか固さとか現実検討甘いところとか、その辺はずっと変わらないものかもな。

 

ネスカフェゴールドブレンドのインスタントコーヒーは、高校生のころからずっと味が変わらない。

すごいなぁ。

自分がミルクや砂糖を入れてたとか、大学生くらいからブラックで飲むようにしたとかそういう違いはあるけどね。

 

コーヒーのようにはいかないかもしれないが、変わりゆく世の中において、安心感を与えられるような一貫性を持ちたいものだと思うのです。

00561_人の力を借りる

 自分一人で何でもしなければならない意識が強かったのですが、人の力を借りることを少しずつ身に着けてきたように思います。

 できる人に頼めればその方が早い。自分より軽い負荷で、自分より素早く正確に仕上げてくいただける。であればお願いした方が効率的。そういう話。

経済学でもあったよね。得意に応じて分担した方が成果が上がる話。分業の話かな。調べたらリカードの比較優位と出てきた。懐かしい。

 

 自分はある程度なんでも自分でできるようにバランスよく色んな事に取り組みたいと思っていた。でもきっと、そろそろ専門分化せねばならんのだという気もしている。

 

 自分でやればコミュニケーションの労力をかけずに済む、というのが大きかったんだと思う。コミュニケーションの労力、と言うのは特に前職で苦労した部分でもある。ほんの少し、簡単な質問ができずに悶々と何時間も過ごす苦痛は、もう味わいたくないものだ。

だからある程度は「自分でやった方が楽、速い」という思いでずっときている。

しかしそれではいかん、というフェーズに来ていると思っている。

 

 人とつながったり、人に動いてもらったり、そういうことで、一人では成しえない所まで進んでいく。そういうの、気がつけば今までだってずっとそうだった。自分ももちろん頑張るんだけど、人の力を借りることは悪いことじゃない。そのためのエネルギーとか労力を自分が支払えるか、プレッシャーに耐えうるか。そういう部分がいるんだと思うし、それは「覚悟」という奴なのか、と思う。