「話を聞いてもらいたい」と言うのは、実はその他にも色んな前提を含んでいるのではないかと思う。
話を聞いて、同意してもらいたい。
話を聞いても、否定しないでもらいたい。
話を聞いて、同情してもらいたい。
話を聞いて、解決策を教えてほしい。
話を聞いてもらって、自分の中で整理したい。
話を聞いてもらって、とりあえず気持ちを落ち着けたい。
話を聞いてもらって、状況を知っている人を増やしたい。
色々な目的があるんではないかと思う。
例えば、「話しても考えを否定されるばかり」となれば、なかなか相談しには行きにくい。
「話しても何も解決しない」となっても、やはり相談しには行きにくくなる。
相談をためらう要因は、色んな所に含まれている。
それこそ、「相談したらカッコ悪い」みたいな思い込みもあるかもしれない。
「そんなに悩むなら早く相談してくれればよかったのに」と思うこともあるかもしれない。
そんな状況だったのに、なぜ相談しなかったのだろう。
自分の悩みがあったとして、誰かが解決してくれるまで待つと言うのは受動的だし。
解決したければ自分が動けばいいと思う。
ではなぜ、自分から動かないのか。
なにがしかの理由を挙げたとして、そういう理由故に動かないという判断をしたなら、結果を引き受けるのは自分自身だよな。そこまで考えた上での判断なんだよな。
周囲には気を利かせて解決する責任はない。結局最後は自分で向き合うしかない。
自分で向き合えないのはなぜだろう。
こういうとき、すぐに「怖さ」を連想してしまう。あるいは「面倒くささ」
失敗の怖さ、自分で動くための気力のなさ。
どうしたらこの辺り克服できるのかな。
意欲の回復、主体性の回復。
難しいね。