ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00570_選択と集中

選択と集中

やるべきことを選んで、そこに集中して資源を投下する。

 

そうすべきかなって。

どうしても色んな事をやろうとして風呂敷を広げすぎたり、妄想を走らせすぎたりする。

それが無駄ではないと思うけど、もっと効率的にしたい。

 

30代に入って久しい。

もうそろそろ、ある程度あるものを伸ばしていく方向に切り替えた方がいいんじゃないか。

新しく始めるとしても、既存のスキルとの親和性考えるとかさ。

 

今自分にどんな能力があるのか、語れるかと言うと。

なかなか、自信を持てる領域は少ない。

専門家と名乗れる領域、自信の持てる領域。そういうものを持ちたい。

 

何か自信が持てるスキルがあるか。

売り物になるものがあるか。

そんなことをよく考える。

 

メンタルヘルス、は間違いなく関わってくる。

もどかしさも多分に感じるが、もう自分の人生はメンタルヘルスと切り離すことはできないと思う。

「全然関係ない領域で普通に仕事がしたかった」とか思うこともあるんだけど、もうしょうがないんだ。できなかったという経験だって持っているし、たられば言ってもしょうがない。

 

もちろん新しいことを学ばなくていいわけじゃなくて。

今ある知識とか経験とかスキルとの親和性を考えて意識的に足していきたいと思う。

 

習熟に時間のかかることを目指すのはやめよう、とも思う。

 

小説を書くこと、とか

絵を描くこと、とか

プログラミングを身に着ける、とか

楽器を上手に弾く、とか

 

適宜あきらめていく。しょうがない。

悪いことではない。

 

都合の良いところ、両方立てられるような妄想に振り回されるのはやめる。

そういうところから現実が始まると思う。

00569_専門家

専門家と言うと、「その分野のことなら何でも、簡単にできる、知っている」みたいなことを考えがちだなと思います。

実際、思ったほどそうでもないのかもな、と言うことを思い始めたのが今日この頃。


いや、もちろん一般人の何倍もいろんな理論や経験を積んでいるはずなのでやっぱり参考にするんだけど。

専門家自身も手探りだったり、未知のケースへの対応だったり、必ずしも確かではないことをやっている可能性だってあったりするのでは、と思う。


どんなに権威ある医師でも、人を永遠に不死にはできないじゃないですか。

極端な例だけど。

専門家に対して抱いているイメージが大きすぎるのではないかな、と反省する。

私は大きすぎるイメージを抱えがちなので気をつけなければと思う。

併せて、自分もメンタルヘルスの専門職として、大きなイメージで考えられがちなことも考えたい。そこに向き合うだけの知識と経験と技術を持たなければならないと思う。

人を不死にはできなくても、目先の病気を治すのは仕事の範囲じゃないですか。

しっかり仕事をしていきたい。

00568_これから

これからどうしようかな、と言う話。

今までもなんかこう具体的な指針があってやってきたわけでもないけどね。

 

ひとつ考えているのが、資格の勉強について思ったことを整理すること。

もう5年以上前になりますが、ヤマカワのアカウントを作った理由は精神保健福祉士の勉強を整理するためでした。

実ははてなブログに来る前にはアメーバでブログをやっていたこともありました。

まぁ色々あってはてなブログへ移行してきたわけですが。

 

今までしてきた勉強だったり、これから本を読んで学んだこと、感じたことを書いてもいいと思うし。

 

まぁでもはてなブログは今まで通り雑記でいいかもしれない。

建設的なことを書くのはnoteにするとか、そういうのでもいいかも。

 

統合失調症の体験談もまた整理してもいいかもしれないし。

文章の書き方的なところも考えたいんだよな。

 

やりたいことはまだまだある。

一個ずつやっていこう。

00567_ひとだんらく

先月くらいからもろもろ重なっていたものがようやくひと段落しそうです。

がんばったなぁ。いや、本当にがんばったんですよ。

「がんばった」って言葉だけでどの程度伝えられるか分からないんですが間違いなく人生屈指のがんばりだよ。おめでとう、ありがとう、まだおわってねぇよ、はい、すみません……



忙しいしきついし方々にご迷惑をおかけするなどもしているんだけど、おかげで何とか乗り越えられたというか、自分としても一回り成長できたのではないかと思うところであります。

 

まぁ、言っても月末ですし。

来月からだってやらなければならないことが山積みだし。

でも、このくらい忙しい方があまり悩まなくて済む、という部分もあるな。

『道は開ける』という本にも、悩まないためには忙しくしろ、という記載があったりして、あながち嘘ではないとも思う。

もちろんそんなことしたらつぶれてしまう状況の人だってたくさんいるから、何とも言えないけどね。

 

良い流れができてきているので、それにうまく乗り続けていたいなと思う。

まぁまた止まることもあるとは思うんだけど、できるだけ軽症で済ませたい。

 

流れに乗っかり続ける方が、止まって悩んでいるより楽なんだよな、と割と思う。

色んなプレッシャーはあれど、自分を責める辛さの方が圧倒的につらい。

 

できるだけ心地よく生きていきたいなぁと思う。

最近天気が良くてうれしい。ありがたいなぁ。今日もがんばろ。

00566_話を聞いて

「話を聞いてもらいたい」と言うのは、実はその他にも色んな前提を含んでいるのではないかと思う。

 

話を聞いて、同意してもらいたい。

話を聞いても、否定しないでもらいたい。

話を聞いて、同情してもらいたい。

話を聞いて、解決策を教えてほしい。

話を聞いてもらって、自分の中で整理したい。

話を聞いてもらって、とりあえず気持ちを落ち着けたい。

話を聞いてもらって、状況を知っている人を増やしたい。

 

色々な目的があるんではないかと思う。

 

例えば、「話しても考えを否定されるばかり」となれば、なかなか相談しには行きにくい。

「話しても何も解決しない」となっても、やはり相談しには行きにくくなる。

相談をためらう要因は、色んな所に含まれている。

それこそ、「相談したらカッコ悪い」みたいな思い込みもあるかもしれない。



「そんなに悩むなら早く相談してくれればよかったのに」と思うこともあるかもしれない。

そんな状況だったのに、なぜ相談しなかったのだろう。

 

自分の悩みがあったとして、誰かが解決してくれるまで待つと言うのは受動的だし。

解決したければ自分が動けばいいと思う。

ではなぜ、自分から動かないのか。

なにがしかの理由を挙げたとして、そういう理由故に動かないという判断をしたなら、結果を引き受けるのは自分自身だよな。そこまで考えた上での判断なんだよな。

 

周囲には気を利かせて解決する責任はない。結局最後は自分で向き合うしかない。

自分で向き合えないのはなぜだろう。

 

こういうとき、すぐに「怖さ」を連想してしまう。あるいは「面倒くささ」

失敗の怖さ、自分で動くための気力のなさ。

どうしたらこの辺り克服できるのかな。

意欲の回復、主体性の回復。

難しいね。

00565_目立ちたがり

子供の頃から、わりと目立ちたがりだったと思う。

生まれながらにして承認欲求が強かったんだろうなと。

それは今もそう。

こんなふうに文章を書いたり、諸々作ったりしているのは、見てもらいたいし褒めてもらいたいから、というのが大きい。


悪目立ちして叩かれることも少なくはなかった。

いろんな人に迷惑をかけたり、心配させたりなんてこともある。


人の目とか気にせずに、好きなことを好きなようにできるようになりたいものです。

00564_えいやーっ

あまりにも暇だと何もできないという現象。

ある程度忙しい方が色んな事がこなせるという現象。

 

どんなに時間があっても先延ばしてしまうこと。

忙しければ忙しさを理由に先延ばしてしまうこと。

 

どちらもあるなぁ。

 

自由と強制はある程度バランスがとれてなければいかんのだと思う。

結構すぐキャパオーバーするし。

かと言ってちょっとでも余裕があるとサボったりつけあがったりしがちだし。

 

あまりにもキャパオーバーが続くとへたってしまうので。

やはり余裕を手放さない生活を中心にやっていくべきだと思うんだよな。

やりたいことはたくさんあるけど、全部に手を出すとガス欠になったり中途半端になったりしそう。

 

ある程度スケジューリングは必要だし、ある程度嫌なこともエイヤーっとやっちゃうことも必要で。

取り敢えずえいやーっをがんばってやろう。自由をやるために勢い付けよう。