ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00596_駄々こねこね

一年も半月くらい過ごすとこなれてくる感じありませんか。

今年の目標! とかって意気揚々と掲げたことがしんどくなってきませんか。

分かって下さる体で話を進めます。

なぜなら私が今その状況だからです。

2022年って響きになれるより先に心身が日常になりました。

意気揚々とがんばれないねぇ。自分を責めがちだ。

それでも毎週末トータル一時間くらいはギター弾いてる気がします。

えらすぎる。えらすぎることにしておこう。おれはえらい。

当初の予定ではなぜうまくいかないのか検証し改善するステップに進むはずだったのだが、まずはとりあえず出来た自分を認めることも大事だろう。

厳しいばかりだと続かないからな。

 

いやぁーめんどくせぇ、めんどくせぇよぉ。

めんどくささの一番いい解決法って「とにかくやれ」なわけですけれど。

「嫌だ!」という自分の中の子供の心が出てきますね。

 

何か報酬を設定したらいいのかな。

そういえば目標設定して、それを達成した時にもらえる嬉しいもの、みたいなのないもんな。

やり終わったらおやつを食べていい、とかそういうやつやりたい。

しかし、ありがたいことに日々おおむね自由に生活している手前、そういうのを設定しづらい。何の努力も代償もなくやりたいことしちゃうから、現在からみれば不当に奪われ努力を強いられている感覚になりそう。

 

あれもしたいこれもしたい、って頭の中でイメージするばかりで、

結局ほとんど行動に移さないのどうにかしたいですね。

中途半端に言葉にしてしまって他の人に伝えてしまうなどして、

未来の自分が過去の発言に拘束される感じがしてしんどいこともあります。

いやでも、やるといったことはやろうよ。信頼ってやつだよそれは。

 

目標通りに行かないのはやりたいことが移り変わっちゃうから、というのもありますね。

熱しやすく冷めやすい。興味が移り変わっちゃう。

だから冷める前に完結するくらいの目標建てをするとよいのかもしれない。

一息でしっかりやれること、をまず考える。

とりあえず今日もギターは弾きます。一分間カッティングをやろう。BPM120でいつものコード進行をやろう。うだうだ言ってるうちにちょっとモチベーション出てきたな。

 

「言いたいだけだから」「言って満足した」という事をちょくちょく耳にするのですが、

そういう気持ちも少しわかるような気がしました。

「やりたくねえー!!!」って駄々をこねてしばらくすると気持ちがスンっとして最初の一歩くらい取り掛かれることもあるかもしれません。試してみよう。

00595_2022年

明けましておめでとうございます。

本年も何卒宜しくお願い致します。

 

年頭恒例、今年の抱負を考えていきたいと思います。

このブログも長くなったもので、2017年から毎年新年の記事を書いてます。

すげぇなぁ。塵も積もれば山となる。

5年分見直してみましたが、第一印象が

 

「自分、変わってないな」

 

ということでした。

当たり前と言えば当たり前なんですけど。

まず、「毎年決意を新たにして抱負を書こう」ということを続けるあたりが変わらない。

心機一転、というのが好きなんだなと思う。

未来への可能性とか希望とかで突き動かされやすい部分が自分にはあると思っている。新年にはそういう希望とか可能性とかが無条件で支給されるように思える。なのでお正月はだいたい好きです。それを取り巻く色々が大変、ということはあるかもしれないけれど。

 

「もうこれ、自分ほとんど変わらんな」という思い自体、気づいてからもう10年くらい経ってしまうような気がします。やべぇな。

「なので、今できることを加速させていく、積み上げていくを目標にしたい」ということも、もう何年も言っているような気がします。

何年も言わなければならないのは何年も成し遂げられないでいるからです。

すぐに「新しいことをやってみたい!」という思いに駆られて、全然突拍子もない方向へ妄想が進んでしまうんだよな。もう少し収斂していこうよ、といつも思う。

 

目標は実現可能で、具体的なものにすること。

そのために何をするかも具体的にすること。

ちゃんと振り返ること。

PDCAをちゃんと回せるようになりたい。去年も書いてたなこれ。

 

なぜPDCAが回せていないかを掘り下げてみよう。

 

・書くだけ書いて忘れる。

・具体化して直面するのが怖い。

・面倒くさい。

・目標が高すぎる。実現不能なもの。

 

そうよ、そんな感じ。

実現可能な計画を立てる、って結構難しいよなぁ。

相談支援専門員が実務経験を必要とする資格なのにも大きく首肯してしまう。

まじで誰か僕にも人生の個別支援計画を作ってくれんかな。

 

そういえば学生だった頃、姉が言っていたけれど。

「勉強の計画を立てるのは楽しいけれど、いざ実行するのはしんどい」

今思い出してもそうだなぉと思う。そしてさすが姉弟、よく似ている。

 

実行ができないのであれば、

 

・実行の面倒くささを下げる(実行しやすくする)

 

ということが必要だと思う。

そのためにはどうする?

 

・他人に声掛けしてもらう。

・そもそもの目標を少し下げる。

・壁に書いて貼る。いつでも思い出せるようにする。

・アラームをかけてできるようにする。

・できるようになるメリットを思い浮かべる。

 

色々な手法が考えられると思う。

今なぜこれらが取れていないか、を考えるのも得るものがありそうだ。

 

さて、せっかくなので、「PDCAを回せる」ということがどういう意味なのかを自分の中で少し掘り下げてみるか。

 

・計画的に積み上げていける。

・成果につながっている。成長している。

・定期的に振り返れている。 等

 

相変わらず抽象的なものばかりだと思う。

もう少し具体的にしてみたい。

「ギターがうまくなりたい、そのためにPDCAを回す」

にしてみるとどうだろう。

 

・カッティングがうまく弾けるようになりたい。

・レコーディングに時間がかからないようにしたい。

・自作曲の中で生音を使いたい。

・既存曲を学んで色んなフレーズを取り入れたい。

 

だいぶ具体的になった気がする。

もう少し具体的に、明確にしよう。

 

・カッティングは、右手ではピックの持ち方やストロークの不安定さを改善したい。安定して弾き続けられるようにしたい。左手ではナインスを抑えるのをそもそも安定させないといけないと思う。できればスライドさせたり細かいフレーズを入れたりできるようになりたい。

 

などなど。

これは結構具体的になってきたな。

どこまで言ったら「ストロークの不安定さが改善された」と判断するか、を決めんといかんな。ゴールが決まらないと評価ができないから。

1分間ミスなくカッティングを続けることができる、とかにしてみようか。

そのためにどういうスケジュールで何をするか。

出来れば毎日練習をしたいところだがなかなかそこまでも出来ないだろうし。

毎週末に1時間ギターを弾く時間をつくる、とかにしてみようか。

あとはこれを実践して振り返りをしていく、ということだな。

計画を立てるのは楽しかった。さて実践してみて、うまくいかないことはきっと出てくるから、それをどう組み込んでいくかだな。

 

2022年も頑張っていこう。

00594_2021年末

2021年も早いもので大みそかとなりました。

今年も色々なことがありました。

目標にしていた公認心理師試験の合格を果たせたので、今年は分かりやすい成果があったと言えます。

それ以外にもいろいろなことがありました。主には仕事をがんばった。

ブログはあまり更新できなかったけれど。この記事も含めて今年は23件の更新だそうです。

 

来年のことは来年また書くとして。

今年はまぁまぁ動いたと思う。

とはいえ、やりたくてもできなかったことも多い。

これはこれまでもずっとそうだったし、仕方のないことなんだと思う。

やってみたい、興味をもったという事は悪いことではない。

とはいえ現実的にできることには限りがあるのだから、優先順位をつけてやっていくしかない。

やっぱり夜は寝た方がいいし、できれば身体を動かした方がいいし、薬もしっかり飲んだほうがいい。

当たり前のことを当たり前にやっていく事が大事だと思う。

 

00593_何もない普通の日

何もない時、というのは、調子のいい時、という意味なのかもしれないと思う。

 

面白くもなかったけど、言うほど辛くもなかった。

そういう日は、自分の主観的な感覚より、良い成果を残した日なのではないかと思う。

 

「今日は調子がいいぞ! がんばるぞ!」と言うときって、意外と急かされがちだったりするし、

もちろん「今日はもうだめだ……」という日はしんどさが大きい。

 

来週にはもう思い出せないような、何もない普通の日、っていうのが一番良いのかなと思う。

 

「何もない普通の日」を「良い」と思えるようになるのは結構大変だと思う。

 

環境に恵まれて、

体調に恵まれて、

初めて良い「普通」が生まれ得るのだと思う。



ずっと普通でいたいなぁと思うけれど、なかなかそうも行かないと思う。

良いことも悪いことも、自分でコントロール出来る範囲にはなかなかない。

いい流れの時はちょっと無茶しても調子いいし、

どうあがいても何も変われない局面の時もある。

変えられるものは限られている。我々はあまりに無力……

 

そういえば小学生の頃日記を書いていて、よく

 

「書くことがないのでこれで終わり」

 

としていたように思う。

そういう日が、実は結構幸せなんじゃないかと思う。

 

幸せが空気のように満たされているとき、

やはり空気のように見えないものになってしまって、

水の中とか煙の中に入って初めて

空気のありがたさを知る。

そんなこともあるような気がする。

00592_天使のような悪魔の笑顔

あちらを立てればこちらが立たず。

どこかを立てるためにはどこかを倒さなければならない。

そういうことはよくある。

人生は常に選択だなという気持ちになる。

 

あっちも立てて、こっちも立てて、

視界の中ではうまく立て切ったつもりでいても、

見えないところで色々崩れていくこともあるかもしれない。

崩れていることに気づけないこともあるでしょう。

立て切れるのも、自分の手の届く範囲内が限度だろうしね。

 

万事都合が良い解決を望みすぎる、という指摘を受けたことがあり、

まぁそうだよなという気持ちになる。

うまい話を期待しすぎる、というのは確かにそうだなと。

もっと現実的に物事を見て考えられるようになりたい。

 

自分はどこか変わっている、と今更ながらに思う。

そのお陰で得たものもあれば、失ったものも多かろう。

機会損失。

とはいえ「そういうタラレバに振り回されることがよくないんだよ」というのが「うまい話を期待しすぎる」という指摘の言わんとすることのようにも思うしな。

 

今あるものは大切に。

とはいえ立てられるキャパシティは広げていきたいでもあるので、

やっぱり努力は続けていくしかないよなぁ。

 

何をやっても誰かからは何かを言われる、ので。

結局自分がしたいようにするしかないのだ、と思う。

そういうことをようやく思えるようになってきたと思う。

いい加減自分を隠したり、自分に嘘をついたりするのはやめてさ。

好きなものを好きと言えるようになったら良いんじゃないか。

 

こんな風にきれいごとをささやくのが悪魔の声、

と言う風に連想しがちなんだけれども。

誰も否定できないことを言葉巧みに語りかけてくるのって、

分かりやすい悪者よりよっぽど悪魔だよなと思うなどした。

悪魔の解像度が少し上がった気がしますね。

 

「そいつは悪魔だよ」と言う天使がいて、

「君はそのままでいいんだよ」と優しい言葉をかけてきて

実は自分を拘束しようとしている本物の悪魔だった、とかさ。

そういう話もありそうだよね。

偽物に気をつけろと言いながら贋金を握らせる詐欺師、というのはアドラーの本に書いてありましたね。

 

相変わらずこういう恥ずかしいことを書いていく。

楽しくてやめられないんだろうと思う。

思ったことを取り敢えず書いていく、広がっていく。そういうところから考えが広がっていく、整理されていく。そういうモノなんだろう。

今回みたいな独白体もいいし、会話形式でもいい。人のツッコミは独白の時も想定しているけど、会話形式でリズミカルに進む方が辿り着きやすい思考もあるかもしれない。ないかもしれない。どちらでもいい。多分考えるのが好きで、書くのが好きなんだ。

00591_強い感情

やりたいことをやりたい。

口だけじゃなくて実践したい。

朝早く目が覚めてしまい、色々なことを考えている。

もっとこうしたいよな、とか。

今のままじゃここがまずいよな、とか。

色々思いはしても、実際なかなか変えられないんだけどさ。

 

現状を変えていくのは勇気が要ることだよなぁと。

今更ながら嫌われる勇気とかに書いてあったことを思い出す。

今ある、見えている、確かな現状から、

まだない、見えない、不確かな未来とか変化先を目指す。

そりゃ怖いはずだよなぁ。

「うまくいかないかもしれない」と言い始めたらきりがない。

 

「それでも〇〇したい」とか

「それでも〇〇せずにはいられない」とか

 

そういう強い感情が必要なのかなと思う。

 

強い感情が起こらないようにしているのが今の服薬であり、健康を意識した生活リズムだよなぁなどと思いもする。

それは「妄想に駆られて突飛なことをしてもろくなことがない」という学びから得たものでもある。

とはいえ現状は抑圧しているようにも思えるし、「これでいいんだろうか」感もある。

色んな問題ごちゃ混ぜに考えすぎててまとまってないなぁ。

 

まぁあんまり抽象的に考えすぎても良くないかなとも思う。

「現状を変えていくには勇気が必要」とはやはり思うのだが、

その勇気って別に汎用性があるものでもないよなとも思ったりする。

あるシチュエーションで勇気を発揮できたからと言って、別でも出来るかというとそうでもないように思えるし。

うーん、実際はちがうのかもしれんが。



抽象的にばかり考えるところとか、

あんまりこだわりなく「どっちでもいいよ」となりやすいこととか、

それはそれで自分の特性なんだろうなぁと思うし。

身の丈に合った生き方をしていくしかないんだよなぁ。

 

どうしてもブログに書けるようなことはポエムになってしまう。

具体的なことを書けないのは仕方ない。

オフラインでやるしかない。それが足りない気もする。

 

00590_公認心理師試験に合格しました

Twitterで先にお伝えしましたが、先日受験した公認心理師国家試験の結果が発表されました。

無事合格することができていました。

今回、受験に当たり多くの方々にお世話になりながら勉強・準備など進めてきました。

関係各位、本当にありがとうございました。

 

自分自身がメンタルヘルスを患ってから、精神保健福祉士の勉強を開始し、取得。

実務経験を積みながら、公認心理師についても合格と、

思えばずいぶん積み上げてきたのだなと感じます。

 

とはいえ、まだまだ自分の力不足を感じざるを得ません。

対人援助職のスキルはずっと磨いていかなければならないものだと思っています。

完全な手探りで始めた仕事も、足元くらいは見えるようになってきたように思います。

もう少し視野を広げていきたいのはもちろんだし、方向性を自分で立てて歩いて行けたりとか、

人や組織を引っ張っていけたらとか、そんなことを思います。

 

日々葛藤の連続ですし、大変苦しい時もあります。

それでも、この仕事は葛藤を続けることが大前提でもあるもの。

悩みが尽きないことは諦めつつ、前向きに少しずつやっていきたいと思います。